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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

それまで存在しなかった「世界」を切り拓く為の苦闘

 転職を志すに当たって、自分自身の本心を振り返り、その内側、その奥底に底流している感情や思念を探り出そうと、連日こうして文章を書き殴っている。書き進めるうちに、少しずつ見えてくるものもあれば、余計に深みに嵌まり込んで真実が遠退いてしまうような気分に陥ることもある。何れにせよ、転職を考えるに当たって、いい加減な「棚卸」はしたくない、すべきではないという倫理的な感情が脳裡を幾度も掠めている。

 繰り返しになるが、私は二十歳の時に結婚した。大学を中退したフリーターの私に、妊娠した妻と、その連れ子を養う為の才覚や経験は何もなかった。それでも、結婚して子供を養い育てると覚悟を固めた以上は、その「何も持たない自分」という現実の上に屈み込んで、手を拱いている訳にもいかなかった。とにかく私は具体的な行動を起こし、自らの置かれている社会的な境遇を更新しなければならなかった。毎日思い悩み、幾度も口論を繰り返し、何も確かな希望が見えない中で、じりじりと歩み続けるのは苛酷な経験だった。

 専門的な知識も技能も、社会人としての基礎的な常識さえ持ち合わせていない私が、社会の中に自らの「居場所」を築くのは、骨の折れる作業だった。この「居場所」という言葉は、最近久し振りに読み返している山田ズーニーさんの著作の中に度々登場する大切なキーワードである。「居場所」とは「生きていく場所」と言い換えてもいい。

 十九歳の夏に妻の妊娠が分かり、双方の親から堕胎を迫られた。それを押し切って、私は結婚という選択に向かって突き進んだ。それだけが正しい選択だと、苦しい状況の中でも信じて疑わなかった。或いは、疑いたくなかったと表現する方が精確かも知れない。勢いだけで、つまり軽薄な考えだけを持って、私が最初に選んだ職場は回転寿司チェーンだった。かなり劣悪というか、大雑把な労務管理の会社で、4週6休と聞いて入ってみたら実際には4週4休、しかも公休を潰して本社研修を受けろと言われる。新人のうちは早く上がらせてやると言われたが、それでも勤務は朝の九時から夜の九時で、先輩たちは夜遅くまで残って食材の仕込みに時間を費やしているのに、十時になれば強制的にタイムカードを切れと命じられ、それに従っていた。私はたったの二週間で逃げ出した。労務環境の劣悪さが引鉄だったにせよ、根本の原因は私の労働に対する覚悟の甘さだった。仕事を辞めたいと言い出した私に、実家の父親は怒りを露わにした。「そうやって何でも直ぐに投げ出していたら、自分で自分を信じられなくなる。俺はやれば出来るという気持ちを掴めなくなる。俺は東大の入試に受かる為に、毎日朝から晩まで十時間以上も勉強に打ち込んだ。本番のテストでは疲労の余り鼻血が出て、答案用紙が血塗れになった。それでも合格したことで、俺は努力すれば目標を達成出来る人間なんだと思えるようになった」と、私を叱咤した。尤もな意見だったが、憔悴した私は、だから頑張ろうと思う気力を保てなかった。つまり、私は逃げ出したのだ。

 大学を中退したときもそうだった。私は嫌なこと、気の進まないことから直ぐに逃げ出す習慣を肥大させていた。寿司屋を逃げ出して、次に業務用複合機の法人営業を行なう八重洲の販社へ入った。毎日、分厚い電話帳を繰って手当たり次第に企業へ電話を掛け、アポイントメントを取って複合機のリース契約を成立させる仕事だ。完全な成果主義で、契約が取れない人間には容赦のない罵声が飛んだ。夜の九時くらい、外回りの営業が帰社したタイミングで、専務が全員を集めて訓示を垂れた。「なんで契約が取れねえか分かるか? お前ら誰一人、このカタログ一冊の中身すら覚えて来ねえじゃねえか!」と怒号を発し、手近なデスクの側面を蹴り上げた。

 その会社も結局、三箇月で退社した。同じタイミングで入った中途採用の同期三名は既に、私より先に辞めていた。櫛の歯が抜け落ちるように、次から次へ人がいなくなり、何も知らない新人が適当な謳い文句に釣られて補充されてくる、そういう職場だった。私は直ぐに挫けて、契約を一件取っただけで年明けに退職を願い出た。しかも当時の妻の誕生日に辞めたのである。最低の夫であり、父親だった。

 一月末に、今の勤め先に雇ってもらえることが決まった。内定の電話が掛かってきたとき、私は家の近くのファミレスで友人と酒を呑んでいた。入社後、先日のエントリーに書いたような紆余曲折を経て、十年余り働き続けてきた。十年を費やして、少しずつ居場所を切り拓いてきた訳だが、何しろ一旦は職務を放棄して行方を晦まし、会社に多大なる迷惑を掛けた人間である。しかも新卒の正社員ではなく、中途採用契約社員から始めたので、当面は手厚い待遇を望むことさえ難しい。特別な技能もない。とにかく「持たざる者」として新しい世界へ足を踏み入れ、少しずつ根を生やしていく以外に手立てがなかったのだ。

 やがて正社員に登用され、昇格して給与も上がり、居場所は徐々に大きく、根強いものになっていった。それ自体は確かに努力の成果であると言えるだろう。生来、人付き合いの不得手な気質であったのに、気付けば店長として四〇名弱の人員を管理し、様々な顧客と接し、取引先と協調し合う立場を任されていた。別に店長になりたいとは考えていなかったのに、そういう先の見通しは何も持っていなかったのに、いつしか会社に手を曳かれて、新たな居場所を幾つも宛がわれてきたのだ。そういう人生にも、勿論「価値」や「歓び」は存在する。自分自身の知らない側面や新たな可能性を引き出してもらえるというのは、紛れもない奇蹟であり、自己発見の幸福である。

 だが、宛がわれた居場所の中で住み心地を良くする為の努力を重ねる日々に、倦怠を覚えていることも事実だった。良くも悪くも、会社という仕組みへの馴れ合いのような感情が、私の胸底に宿り始めたのだ。昔の私は、自分の居場所を切り拓き、自分の価値を証明する為に必死だった。尖っていたとも言えるし、挑戦的であったとも言える。もっと言えば、自分の意識と自分の仕事との間に「癒着」のようなものが生じていた。言い換えれば「癒着する覚悟」を固めたときから、私は徐々に居場所を作り出す作業に成功していったのだろう。無我夢中で没頭し、深いコミットメントを実現する。端的に言えばワーカホリック的な状態だが、そういう根深い没入を経由しなければ到達し得ない境涯というのも、確かに存在するのだと私は思う。

 自分の居場所がなかった世界に、自分の居場所を切り拓く為の努力というのは、一旦軌道に乗れば慣性の法則に従って加速していくが、それを適当なところで切り上げてしまえば、総てはもう一度、振り出しに戻る。勿論、それまでに切り拓き、培ってきたものの価値まで水泡に帰する訳ではない。離婚してしまえば、夫婦としての価値はゼロに戻るが、離婚を通じて学び取った経験や知識の価値は決して色褪せることがない。

 居場所、存在、世界といった言葉で、改めて自分自身の半生(30歳の分際で「半生」などと称するのは僭越だろうか?)を振り返り、自分が辿ってきた足跡の意味を捉え直すことは、これから歩いていく道程を見定めるに当たって、有意義な作業だろう。それは決して「未来」を「過去」の延長線上に形作りたいという話ではない。自分が何を考え、何を望み、どういう決断を下してきたのか、それらの表層的な現象の背後に潜んでいる本質的な意味を、もっと明瞭に見極めておきたいのだ。そうした内省を踏まえずに、これから切り拓こうとする世界のイメージを素描することなど出来ない。私は、私自身の本質を知りたいし、その本質を踏まえた上で、新しい世界を開拓していきたい。