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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

あの曲がり角の向こうには、どんな景色が広がっているのだろうか?

 自分の想いを掘り下げることの重要性について、考える日々が続いている。彼是と雑多なことを書き散らす習慣は、このブログを始める以前から十年以上も続いている。十代の頃は、もっと訳の分からない個人的な走り書きのようなものを、ノートに書き溜めていた。精神の均衡を欠いていたのかも知れない。

 自分でも自分の想いを捉えることすら、きちんと取り組んで来なかったという気がしている。言い訳は幾らでも塗り重ねられる。止むを得ない事情があったのだと言い張ることは常に容易い。だが、本当は怠けていただけではなかったのか。或る限られた枠組みの内側に己の存在を押し込めて、その限られた区画の内部で色々と発想したり思索したりしただけで、何かを真剣に「考えている」積りになっていただけではないのか。

 手枷足枷、それは私たちの心に極めて容易に纏わりつく。私は今の勤め先の社員として働き出した当初、色々な「違和感」を持っていた。知らない世界に飛び込んだばかりの「異邦人」の眼に、先輩たちにとっては見慣れている風景が「違和感」を伴うのは自然な現象だ。しかし、私はその「違和感」を忽ち薄れさせていった。或いは、そうした「違和感」を振り捨てると決めた瞬間から、私は正式に「社員」としての自己形成を開始したのかも知れない。

 そうやって、知らぬ間に、自分では広々とした世界を眺めている積りでも、或る限定された構図の中に拉致されてしまう。限られた範囲でしか通用しない価値観を、絶対的なものだと信じ込んで疑わなくなる。思い返せば、それが直近の十年間、私を捉えていた足枷だった。自在に動き回っている積りでも、私は足枷に結わえられた鎖が伸び切る範囲でしか、考えることも行動することも出来ずにいた。

 二十一歳か、二十二歳か、その頃の私は新橋の店舗で働いていた。当時の私は今よりも遥かに未熟で、狷介で、閉鎖的で、挑戦的だった。未だ「違和感」を捨て去れないまま、自分の本心を扼殺し切れないまま、それでも夢中で働いていた季節だ。休憩中、私は昼飯も食わずに本を買って読んでいた。自分が所属している世界から脱却したいという欲望は、今よりもずっと強烈だった。一日中、立ちっ放しで働き続ける苛酷な体力勝負の世界で、昼飯を抜いて読書に励むというのは、当時の私が、肉体的な飢渇よりも精神的な飢渇の方に、意識の焦点を吸い寄せられていたことの証左であるに違いない。しかも、やたらと意地を張って小難しい書物に挑んでいた。ベルグソンの「時間と自由」とか、ニコラウス・クザーヌスの「学識ある無知について」とか、自分の知力や気力では到底太刀打ちし難い書物に向かって、齧りつくように視線を叩きつけていたのだ。無論、直ぐに断念して別の本へ浮気してしまうのだが、とにかく私は「未知の世界」に憧れていたのだ。ここではない「何処か」へ旅立ってしまいたいという危険な誘惑が、絶えず魂に吐息を吹き掛けていた。

 しかし仕事に慣れ、環境に慣れ、評価を得られるようになると、そういう「異邦人の感覚」は一挙に萎れ始めた。つまり、固定された価値観に囚われるようになったのだ。勿論、持ち前の個人的な価値観に固執して、外在的な価値観に染まることを峻拒し続ける高潔さが、常に美徳であるとは私も考えていない。だが、自分が固定された、局地的な価値観の「虜囚」であるという自覚を失うことで、一気に歯止めが利かなくなるような種類の「堕落」が存在することに、私たちはもっと倫理的な意味で「鋭敏」であるべきだ。

 だが、世界の外部を信じるということは、今の自分が知り得ないものを信じるということだから、とても困難で勇気の要る決断だ。勿論、調べられる限りのことは事前に調べた上で航海に乗り出すにしても、手持ちの海図に綴られた情報と、実際に自分の五感で確かめる風景との間には夥しい落差が生じる。結局は、誰かの言葉を信じて、それに基づいて、見知らぬ世界の風景を想像する以外に途はない。自分が今、この場所にいることで強いられている「制約」の枠組みを見凝め直すことは、その場所から飛び出すという手続きを踏まねば達成し得ない。

 だが、外部に出てしまえば、その外部も早晩、一つの内部と化すだろう。だからこそ、柄谷行人はカントやニーチェデリダといった思想家の著作に基づいて「超越論的」という概念を持ち出したのだろう。つまり、外部など有り得ない=知り得ない状況において、外部から内部を見ること、自分が強いられている状況の歴史性=相対性を把握すること、それが最も困難でありながら人間的な勇気に支えられた「英断」であることを、彼は信じているに違いない。

 今日、直属の上司に、職場の近くの喫茶店で退職の意思を告げた。上司は了承せず、全力で慰留に取り掛かった。上司の立場からすれば、辞めたいと言い出した部下を素直に辞めさせる理由はない。部下を導けない上司ということで、社内的な株価も下がってしまうし、単純に彼自身の業務量も増えてしまうだろう。そもそも、今の環境に獅噛みついて頑張っていこうと心に決めている人にとって、その環境から脱出したがる人間というのは、どう考えても「馬鹿な奴」である。上司たる者、「馬鹿な奴」はきちんと訓育してやらねばならない。私の上司はプライドが高い人なので、猶更私の「愚かな考え」に疑問符を叩きつけたがるのだ。一時的な気の迷いで退職したいと言い出した浅はかな部下を、正しい道筋へ導いてやろうというような口振りで、彼は私を慰留し、上には未だ話を上げない=報告しないから、もう一度考え直せと命じた。私としても、次の仕事が決まっている訳ではないし、慰留の言葉を足蹴にも出来ないから一旦は引き下がることにした。しかし、不思議と決意は革まらなかった。

 本当は自分自身、直属の上司に胸中の想いを打ち明けてみれば、案外あっさり退職の意思は翻るのかも知れない、という考えも持っていない訳ではなかった。上司に告げて、容易く覆される程度の覚悟ならば、退職せずに土俵際で踏み止まった方が建設的であるに決まっている。しかも、その上司と私との付き合いは決して短くない。今の妻と挙げた結婚式で、彼は乾杯の発声を務めて下さったのである。その人に思い切って話せば、今までの煩悶は吹き飛んで、涼しい顔で「やっぱり頑張ります」と自分自身に向かって言えるのかも知れないとも思っていた。

 結果的に、それは単なる夢想に終わった。上司は慰留に熱心だったが、それが私の人生に対する責任感から生み出される情熱ではないことは、明らかだった。心配してくれているのは事実かも知れないが、それより退職者を自分の手許から出したくないという想いの方が強いのではないかと、私は感じた。同僚の店長が一人、既に退職を決めている。今期に入って半年に満たないうちに、部下の社員が二人も辞めたとなれば、彼のマネジメント能力に関して、上層部は疑念に満ちた視線を向けるだろう。少なくとも上司の評価が向上するような案件ではない。彼は手持ちの知識と言葉を惜しみなく駆使して、私の考えが軽率なものであることを立証し、私に納得させようと努力した。しかし、私は退職の意思を明瞭には撤回せず、何れにせよ内定を取った訳ではないので、未だ考える時間はあります、ただ、この場で仕事を続けますと断言することは出来ません、という譲歩の言葉だけを発した。上司は分かったと言った。慰留に成功したと思っているのだろうか。彼の価値観が勝利したと、凱歌を揚げているのだろうか?

 私も、昨年度の新卒社員の部下から退職の意思を告げられた時は、全力で反対した。たった一年働いただけで何が分かるのか、せめて三年くらい働いて金を貯めてから、食えるかどうかも分からない「やりたいこと」に挑戦すればいいだろうと言った。しかし彼女は強情な子だったから、私が幾ら理窟を並べても引き下がらないし、納得もしなかった。農業をやりたい、自給自足の生活を送りたい、という彼女の願いを、私は単なる「夢想」として嘲笑った。だが、それは結局、私自身が「他の世界で生きる可能性」を信じていなかったからで、私の意見が正しいという保証は全く存在しなかったのだ。

 今になって、私は彼女の気持ちが分かるような気がするし、もっと遡れば十余年前の、何に属すればいいか分からず、どうやって生きていけばいいかの目算も立たぬまま、ふらふらと大学をサボり、新宿の雑踏に紛れて、漫然と靖国通り沿いのドトールコーヒー柄谷行人の「内省と遡行」や、舞城王太郎の「煙か土か食い物」や、冲方丁の「マルドゥック・スクランブル」や、浅田彰の「逃走論」を読んでいた頃の、何だか形の定まらないアメーバのような自分自身の気持に、もう一度触れているような感覚さえ懐いてしまう。あの頃が無性に懐かしいのは、私がそのとき孤独だったからであり、孤独であるがゆえに、何にでも繋がり得る開放性を、見た目とは裏腹に備えていたからだろう。

 そうやってもう一度、真っ新な状態から、ゼロから何かを生み出していくことは可能だろうか? 勿論、この十年間で学んだり、鍛え上げたりした部分は確かに存在する。それを踏み台にして、今までとは異質な風景の中に、自画像を描くことは出来ないだろうか?