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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

会社が私を縛るのではない。私が私を縛っているのだ。

仕事

 「自縄自縛」という言葉がある。文字通り、自分で自分を縛るという意味だ。

 自分の本心を掘り下げて、今まで余り直視した例のない暗がりにまで鼻面を突っ込んで、深く覗き込んでみようと努めるのだけれど、自分で自分の躰を抓るときのように、どうしても手加減が混じってしまう。なかなか、自分の力だけで、自分の封鎖された暗闇の内部を探究し尽くすのは容易な業ではない。だが、それでも息を詰めて水底へ向かって深く潜るように、思考を掘り下げていく。そうやって初めて見える景色は、幾つも存在するだろう。

 転職を思い立って、活動を始めてから間もなく一月が経とうとしている。転職というのは一つの博打だから、当然のことながら無事に成功するだろうかという不安が脳裡を幾度も掠めていく。不安の材料ならば、それこそ無限に思いつく。給与が大幅に下がったらどうしよう、仕事が退屈だったらどうしよう、無茶な転勤を命じられたらどうしよう、そもそも面接に受かるかどうか分からない、果たして今の会社を本当に見限って良いのだろうか、そこから人生の歯車が不穏な方角へ軋みながら回り始めないだろうか。

 不安は言い訳を貞淑な伴侶のように、或いは忠実な召使のように連れてくる。今の会社で十年間、苦労を積み重ねて堪え抜いてきたからこそ、慎ましくともそれなりに恵まれた暮らしを送ることが出来ている。その境遇を無造作に抛り出して、天罰が下らないだろうか? こういう類の奇妙な考えが、不安に揺らぐ精神の亀裂から忍び入る。会社への愛着を今更ながら実感して、淋しさに胸を衝かれて、やっぱり転職は撤回しようかなと考えた瞬間もあった。しかし、冷静に突き詰めていくと、それも一種の反動に過ぎないという結論に達した。不安に競り負けて、過去に縋って、眼前の安逸に縋りつこうとしているだけだ。そういう自分に、より良い未来など有り得ない。

 結局、誰かがこう言ったとか、転職サイトにこんな風に書いてあったとか、他人の言葉を根拠にして何らかの選択を行なうことが問題で、たとえ他人の助言に従って何らかの決断に至ったとしても、それは助言してくれた誰かの責任ではない。その助言に従うと決めたのは自分自身の判断なのだから、責任を負うのも自分自身だ。それが生きることの原理原則であり、その原理原則を閑却して恨み言を並べ立てるのは下品だし、人間として卑しい。会社の悪口を言うのも個人の自由だが、会社の所為で今の自分が不自由な訳ではない。会社の規則に従い、尻尾を振って給与を貰っているのも、煎じ詰めれば「私」の決断の結果なのだから、恨むなら己を恨むべきである。

 勿論、こういう考え方が捻じ曲がると、極端な自己責任論に帰着し、所謂「弱者切り捨て」のファシズム的な発想へ退行してしまう虞を孕んでいることは承知の上だ。但し、注意を促しておきたいのは、社会的な弱者に対して自己責任論の金科玉条を振り翳し、努力が足りないなどと言い放って切り捨てようとする発想は、自分には何の責任もない、誤謬もないという妄信に支えられている点で、卑怯であるという事実だ。他人には厳しく責任を追及しておきながら、自分自身は免責して恥じないという、実に厚顔な論法なのである。私が言いたいのは、そういう論法とは対蹠的な原理である。会社が慰留するから辞めない、給与が良いから辞めない、そういう理窟の妥当性を証明するに際して、他人の言葉を借用するのは、正しく自己免責の論理である。そうではなく、どういう決断であっても、それは自分自身の責任において選び取った道筋なのだ、という認識を維持すること、つまり自己を不用意に免責しないこと、それが己の「本心」に基づいた生き方であると、私は訴えたいのだ。

 私は元々、小売業という世界に情熱や関心を懐いていた訳ではない。食べていく為に仕方無く、小売の世界へ裸一貫で飛び込んだのである。だが、食べていく為には仕方無かったという尤もらしい論法で、己を無造作に免責するほど、私は図々しい人間ではない。自ら選び取った以上は、その宿命に矜持を持つべきであろう。世間がのんびり休んでいるときに馬車馬の如く働くのも、帰りが遅いのも、朝が早いのも、総ては不満や苦痛の温床となり得る条件だが、そうした条件が支配する世界に足を踏み入れたのは、他ならぬ私自身の決意である。だからこそ、そこから足を洗うのも私自身の決意に基づいて行われるべき変革なのだ。

 他人の言葉を参照し、そこから有意義な教訓を汲み取るのも重要な心構えである。他人から学ぶことを知らない人間には、狭隘な世界しか用意されない。だが、他人の言葉に学ぶことと、他人の言葉に責任を押し付けることは、全く異質な事象である。大切なのは、自分自身の本心に訊ねてみることだ。他人を口実に用いず、自己を免責せず、人生の選択に答えを出していく地道な積み重ねだけが、充実した人生を切り拓く。そのように信じて、私は新たな一歩を踏み出す準備を整えつつある。会社が私を縛るのではない。私が私を縛っているのだから。