サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

貴方は、その仕事を愛してますか

 会社の直属の上司に、改めて退職の意思を告げた。

 内定を確保した訳ではないが、年末の繁忙期に向けて、小売の現場は俄かに忙しくなる。十二月に入り、冬の賞与が支給され、歳暮やクリスマスプレゼントを購入する顧客が百貨店のフロアに濫れ始める頃になれば、そこから年始の初売りまでは一気呵成に時が経つ。

 あわよくば、その繁忙期が訪れる前に会社を辞めたいと考えていた。繁忙期に引っ掛かれば、退職の時期は一気に後ろへ倒れるだろう。退職前に溜まった有休を消化したいと考えている私自身の方針を考慮すれば、成人の日を過ぎて年間で最も消費が冷え込む時期に至った段階で勤務を終え、そこから有休消化に入ることになり、最終的な退職日は二月末まで延びるだろう。そういう事態は避けたいと判断して、十月一日を迎えたのを契機に上司に伝えたのだが、繁忙期前の退職に関して、彼は即座に難色を示した。クリスマスから初売りまでの地獄の一週間、私たちの業界が最大の修羅場を迎える時期の手前で、いきなり店長の首を挿げ替えれば、売場の混乱は必至である。私が上司だったら、絶対に繁忙期明けまで慰留するだろう。勿論、退職届を突き付けて腕尽くで辞めることは不可能ではない。だが、そうやって後味の悪い辞め方をするのは、私の性に合わない。この後、直属の上司を経由して、更に上層部へ話が通り、私は本部へ呼び出されるだろう。そこでどんな風に話が転ぶのか、実際にその瞬間を迎えてみなければ、何一つ確かなことは言えないが、何れにせよ私の目算が成り立ち辛いものであることは、明瞭な事実だろう。

 会社は無論のこと、自分が預かっている売場のスタッフにも、そういう無理な我儘を押し通せば顔向けが出来なくなる。どうせ会社を辞めるのに、同僚や部下の顔色を窺ったところで何の利益もない、覚悟が固まったのなら、甘っちょろい御託を並べていないで、さっさと非情に辞めればいいだろうと考える方もおられるかも知れない。だが、転職したいと思う感情も、一刻も早く現在の職務から解放されたいと願う感情も、周りに迷惑を掛けたくないと気遣う感情も、世話になった会社の顔を後肢で蹴飛ばすような真似は慎みたいと判断する感情も、それらが互いに矛盾し合ったとしても、一つ残らず私の真率な「本音」なのだ。もっと合理的に事を運ぶべきだと苛立つ、見知らぬ誰かに、義理を立てるのも馬鹿馬鹿しい。自分の人生なのだから、自分がきちんと責務を果たした上で辞めたいと考えるなら、正しいと思う通りに振舞えばいいのだ。

 一方で、それは内定が取れていないから感じられる悠長さなのだと、自分自身、感じない訳ではない。若しも自分が心から行きたいと思う会社の内定が取れて、その会社から二月末まで待てないと言われたら、私は今までの恩顧を踏み躙ってでも、次のステップへ邁進すべきだろう。だが、会社に迷惑を掛けたくないと考える私の心情を汲み取ってくれない職場なら、それは本質的な意味で「御縁がない」ということなのかもしれないと、考えるときもある。

 何れにせよ、私は日々、思い悩み、煩悶している。これほど真剣に、己の身の振り方に就いて懊悩する日々は久し振りで、それだけ今回の転職の計画は、私にとって重要な意義を担っているのだ。要するに、私は少しでも自分の関心のある領域、つまり「書くこと」に近づける環境へ、思い切って転身したいと考えている。否、転身すると覚悟を固めている。今のところ、検討している企業は幾つもあるが、こういうことは恋愛と同じで、互いの心と時機が巧い具合に重なり合わなければ、幸福な成功には至らないものだ。転職にしても恋愛にしても、判断の難しい、結果の先取りし難い問題に就いては、鷹揚な運命論者として振舞うのが最も賢明な態度であると、私は個人的に信じている。或る夫婦やカップルが破局したという事実は、どれだけ長い年月を閲した後であっても、単に破綻でしかない。つまり、両者は合わなかったということだ。本当に相性がいいならば、別れたくても別れられないのが浮世の理である。別れたという事実は、動かし難い厳然たるもので、あのとき、こんな風に振舞えば別れずに済んだのに、という哀切なシミュレーションは総て無益である。別れたということは、言い換えれば別れることが出来たという事実は、両者の関係がその程度のものであったことを暗黙裡に明証している。そして、共に過ごした歳月の長さは、必ずしも永続的な幸福を保証しない。寧ろ、長く続き過ぎた為に情が湧いて、関係の解消に踏み切れないという事例は、枚挙に遑がない筈だ。労働も同様である。勤続何十年という経歴が、その後の幸福を約束する根拠は、実はどこにも存在しないのである。