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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

愚直の幸福 武者小路実篤「人生論・愛について」(新潮文庫)

文学

 中学生の頃、私は自分の人生に就いて、深刻に思い悩む日々を過ごしていた。

 今になって顧みれば、何をそんなに重苦しく考え込んでいたのか、その入り組んだ経緯を明晰に想い起こすことは不可能に等しい。今でもこの掌に残っているのは、記憶の漠然とした陰翳のみである。だが、その当時は切実な主題として、私の精神を完全に呪縛していたのだ。

 固より、中学生になった途端に深刻な懊悩や煩悶が俄かに沸き立ち始めた訳ではない。どんなことにも、滑走路のように長い伏線が関わっているものだ。生まれつきの性格、後天的な成育の環境なども、個人の心理的状態を制約する与件として働き得る。小さい頃から、私はプライドの高い人間で、強情で、神経質であった。一歩間違えれば、狷介であるとさえ言えた。それでも小学校くらいの時期は、子供らしい無邪気さを豊富に蓄えていたから、強情な気質もそれほど深刻な煩悶を喚起しなかった。けれど、中学に上がって、それから父親の転勤の都合で大規模な引越を済ませてから、その手の苦悩は日に日に増大していった。

 なかなか新しい環境に馴染めず、思うように友達も作れなかった私は、松戸市立第一中学校の三年生の教室で、不自然に浮き上がった存在だった。周りの級友たちは皆、二年生からの持ち上がりで、既に強固な紐帯を築き上げていたから、余所者の私が嘴を差し込む余地は猶更僅かだった。或る強力な共同体の中で、異邦人として存在することは、強烈な不安を呼び覚ます。居場所がないという感覚は、人間の精神にとっては極めて深甚な負担を強いるものなのだ。家郷を逐われた哀れな流氓のような孤独を、当時の私はあらゆる場面で咬み締めていた。遠くへ逃げ出したいという衝動に幾度も駆られたが、実際に家出に踏み切る勇気は保てなかった。或る時、鞄に道路地図とドライバーを詰め込んで、明日の朝が来たら本当に家を出て行方を晦ましてしまおうと考えたこともあった。詰襟を着たまま何食わぬ顔で家を出て、何処か公衆便所を見つけて平凡な私服に着替え、国道六号線近辺でヒッチハイクをして、見知らぬ世界へ遁走しようと考えたのだ。ドライバーを学校のスポーツバッグに忍ばせたのは、当時の私が生計を立てる為の有力な手段として、空き巣を検討していたからである。ドライバーの尖端で掃出しの窓ガラスを切り取って、差し込んだ手で錠前を開き、無人の家屋へ侵入するという空き巣の古典的な手口を、インターネットか何かで学んだのだ。

 しかし、実際に家出に踏み切ることは出来なかった。勇気が湧かなくて脚が竦んだことも一因だが、最大の障壁となったのは、想像の中で嘆き悲しむ母親の顔だった。私がいなくなったら、母は酷く悲しみ、気が違ってしまうだろう。そう考えたら、どうしても家出の計画を実行に移すことが躊躇われた。結局、私の妄想は妄想のままで潰えた。

 それほど精神的な安定を欠いていたにも拘らず、当時の私は一日も休まずに学校へ通い、皆勤賞を取った。一度でも惰弱な己自身の囁きに屈して登校を断念してしまったら、二度と立ち上がれなくなるだろうという漠然とした不安に脅かされて、懸命に歯を食い縛って登下校の道程を辿っていたのだ。親に心配を掛けたくないという想いもあった。当時の苛烈な辛抱が反動を齎したのか、後年、私は俄かに大学を中退したり、年上の子持ちの女性を妊娠させたり、好き放題に行動するようになったが、中学生の時分は未だ、辛うじて純朴な気質を留めていたのである。

 その頃の私が、精神的な飢渇の解消を求めて熱心に読み耽ったのが、父親の黴臭い書棚から偶然見つけ出した、武者小路実篤の「人生論・愛について」(新潮文庫)だった。過日、久々にその書物のことを思い出し、半ば衝動的にAMAZONへ注文して取り寄せ、横浜へ転職の面接を受ける為に出掛けた総武線の車中で、ぱらぱらと拾い読みした。転職という人生の分水嶺となり得る問題に取り組んでいる渦中で、あの頃と同じように心理的な安定性を欠いていた為に、きっと読みたくなったのだろう。

 実篤の文章は御世辞にも流麗とは言い難い。本職の作家が書き綴ったとは思えないほど不器用で、同じ言葉の反復が目立ち、犀利な知性の閃光を感じることもない。極めて平凡な人物が、平凡な知識と経験と語彙を組み合わせて書いたような文章である。しかし、実篤を嘲る者は、実篤の底知れぬオプティミズムに精神を震撼させられるだろう。彼が語っている言葉の一つ一つは実に有り触れた真理しか宿していない。けれど、その平明な真理を現実的な行動に移し替えようと試みれば、誰もがその恐るべき難しさに立ち竦むに違いない。

 中学生の私は、実篤の文章に沈潜している強靭な楽天性に強く憧れていた。この人の考え方を真似れば、自分の落ち着かない窮屈な心境も癒やされるのではないか、もっと自由に生きられるのではないか、という考えが、私の尻を絶えず叩き続けていた。

 死の恐怖を感じることは、その人がまだ自己を生かし切っていないからだから、自分の余力を尽して、自分の地上でしてゆこうと思うことを忠実にしてゆくことだ。そしてその仕事にその人の全力が生かされれば、その人は生き甲斐を感じ、同時に死に甲斐を感じるであろう。

 例えばこのような一節は、幼稚園児の頃に「自分が死んだ後の世界」を想像して、その宇宙的な恐怖に身が竦み、枕を涙で濡らした経験のある私にとっては、切実な意味合いを持つ言葉に感じられた。言い換えれば、この本の中には「救済が存在する」と感じたのだ。

 ところが今の多くの人は金もうけの仕事に終始している。随ってあくせくはし、よく働くが心は空虚になり、その空虚のよってくるところがわからないから、酒や女や賭博や、その他の娯楽でその空虚さをごまかして、これが人生だと思っている。酔がさめると淋しく空虚なのだ。

 自然から命じられている仕事をしないから、自然からくる深い落ちついた喜びを感じることが出来ないのだ。

 こうした文章も、荒天の中を総武線の快速列車に揺られていく孤独な転職希望者の心には、単なる堅苦しい道徳としてではなく、もっと根本的で重要な「省察」のように響いた。「金もうけの仕事」と「自然から命じられている仕事」という、まるで穏当な新興宗教の講話のような二元論さえ、一蹴し難い人生の「要諦」の如く感じられるのだから、人間の心理というものは複雑である。或いは逆に、単純明快と評することも可能だろう。

 しかし、この文章に行き渡っている清冽なオプティミズム、或いは「希望」に対する素朴な信仰が、思春期の暗がりに迷い込んで出口を見失った当時の私には、麗しい恩寵のように感じられたのであった。誰かに「正しい言葉」「優しい言葉」を掛けてもらいたいという臆病な性根が、実篤の文章に漢方薬のような滋味を嗅ぎ取ったのである。あれから十数年が経過して、再び人生の迷宮に潜り込んで途方に暮れてしまった最近の私にも、彼の文章は葛根湯のように独自の緩やかな効能を示した。結局、世界の真理は常に楽観的なものであるべきだと、私は思う。そうでなければ、人生の途上で味わう様々な艱難辛苦に、重要な教訓を見出せる日が永久に来ないということになるからだ。過ぎ去った世界の残像は常に美しく、和やかで、哀切である。その普遍的な真理を学ばずに、生きることの本質的な歓びを感受することは決して出来ないだろう。