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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

人間の尊厳と、労働の内実と

仕事

 私は十年前に今の会社へ入り、特に適性があるとも思えないまま、それでも続けるうちに技倆も上がり、経験も積み上がり、信頼も少しずつ得られるようになって、未だに居座り続けている。先月の頭から本格的に転職活動を始め、最終的には頓挫してしまったが、その過程で色々と自分の来し方を振り返る機会に恵まれた。

 色々と不満も覚えながら、それでも何とか歯を食い縛って堪え忍んだり、自分なりに頭を使って創意工夫で乗り切ったり、仲間と愚痴を零し合ったり笑い合ったり、そうやって誰しも努力して環境に順応し、自分自身の生涯を支えていく訳だが、時には堪えかねて、所属する環境を離脱する場合もあるだろう。それでも多くの勤人は、大抵の苦痛や屈辱ならば我慢して時が過ぎ去るのを待つだろう。

 無論、先日来、大々的に報道されている電通の新入社員の過労自殺問題のように、正常な判断力を保てない次元にまで追い詰められて、自死を選ぶような悲劇は絶対に是正されねばならないし、あのような環境においては「艱難辛苦に堪えること」は全く正義ではないと言わざるを得ない。けれど、何だかんだと文句を呟きながら、一つの会社に十年と少し勤め続けている私のような人間に関して言えば、結果論として、今の仕事が好きなんじゃないかと思ってしまう。意識の上では、それこそ無数に不満があるし、職場へ出掛けることに心底うんざりする場合も稀ではない。それでも、あくまでも結果論として言えば、私は水が合っていたに違いない。人間は、本当に遣りたくないことは遣らない生き物であるのが普通で、自分自身の心を欺き続けるのは、それほど容易ではない。自分という存在とは二十四時間付き合い続けなければならない訳で、その間ずっと、最も間近な隣人である「己の本心」を言葉巧みに説得し続けるのは難易度の高い「無謀」である。

 電通の事件の場合、不幸な選択をしてしまった若い彼女は、恐らく生真面目で努力家で、自分の本音を押し殺したり言い包めたりすることに長けた方だったのではないかと思う。自己暗示というのは諸刃の剣で、使い方を誤れば恐るべき惨劇を招来することにもなりかねない。本音では、きっと逃げ出したかったのに、現実の束縛から合理的な方法で逃げられずに、世界の外側へ飛び出してしまった。或いは、二つの本音が衝突し合って、どうにも身動きが取れなくなり、冷静さを失ってしまったのだろうか。

 もっと言えば、自分が遣りたいこと、それを冷静に対象化すること、明確に言語化すること、つまりは「自分が本当は何を欲しているのか」ということを見定めるのは、酷く困難な営為なのだ。彼女の場合、「辞めたい」という想いも「続けたい」という想いも共に正しく、その他にも無数の鬩ぎ合う想いを抱え込んだ状態で、どれを「己の本音」として認めればいいのか、分からなくなったのではないか。そうやって渾沌の渦中に追い詰められた一人の女性を、組織として擁護したり援助したりする体制を持たなかった「電通」という企業の苛烈さに、暗澹たる想いを禁じ得ない。無論、時流に乗じて「電通」を罵倒したり批判したりすることが極めて容易い「遊戯」に他ならないことぐらいは自覚しているし、自分が「電通」という組織の風土に染まり切った人間だったら、果たして生真面目な新入社員の「苦衷」に気付けたか、彼女を救済する為に会社の「風土」に抗えたか、心許ないというのが率直な感想である。直属の上司や同僚たちを非難して吊るし上げるのは簡単だが、それで片付く問題ではない。社長を痛罵しても、労基の甘さを難詰しても、それだけでは世界は変わらない。

 新入社員に100時間を越える残業や休日出勤を強いなければ回らない企業、それが巷間の片隅の暗がりに蔓延るのではなく、国内屈指の大企業として社会的な威信を誇示し、国家の中枢にさえ食い入っているという事実は、吐き気を催すほど不気味である。だが、そもそも本当に彼女は100時間以上も残業しなければならなかったのか? その苛酷な労務環境に堪え得ないことは、社会人としての「敗北」であり、「未熟の証拠」なのか? 新入社員が「未熟」であることは罪悪なのか? つまり、彼女の苛酷な労働は「合理的なもの」であったのか? 電通という優良企業(今後は誰も「優良」だとは考えなくなるだろうが)の内部で、どのような現実が大手を振って闊歩していたのか、その腐臭漂う暗闇の真実を明るみに出すことこそ、表層的な改善報告書を眺めるよりも遥かに有益な作業であることは論を俟たない。