サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「知らない=つまらない」は、つまらない

 私は読みたくなる本が新たに見つかると直ぐに、今手許に置いてページを捲っている書物を投げ出してまで、そちらへ乗り換えたくなる衝動に強く抗えない質である。移り気というか、浮気性というか、余程熱中して読み進めているものでもない限り、そうした衝動を扼する理由が思い浮かばなくなるのだ。人生は有限であり、死ぬまでに繙くことの出来る書物の冊数は自ずと限られている。一旦購って開いた本の総てに義理堅く接していれば、本当に自分に適した傑作に遭遇する機会を逸してしまうかも知れない。そういう風に性急な考えが頭を擡げてしまうと、眼前の文章に意識を集中することが俄かに難しく感じられるようになる。

 最近は、講談社文芸文庫から刊行されている寺田寅彦の随筆集を読んでいるのだが、半ばまで読んだ辺でもう浮気の虫が声高に疼き始め、吉田健一サン=テグジュペリの書物をAmazonで取り寄せて、居間の一角に積み上げている。吉田健一は「汽車旅の酒」「金沢・酒宴」「東京の昔」の三冊、サン=テグジュペリの方は「人間の土地」「夜間飛行」の二冊である。

 どんな本であろうと、それを身銭を切って求める以上は何らかの期待を懐いている訳で、その過大な期待がすんなり満たされる機会というのは滅多に得られぬ僥倖であり、奇蹟である。勿論、少年期に何らかの書物を夢中になって耽読するという経験を持ったからこそ、本を読むことが莨を吸ったり珈琲を味わったりするのと同じように習慣性の快楽として、この魂に登録された訳で、結局はその貴重な快楽を再び咬み締めたいという欲望に教唆されて、次々と書物の購入に支出するのだが、大人になって頭が固くなってくると、色々な偏見やら持ち前の価値観やらが、新たな邂逅の成立を阻もうとする。

 それでも試してみようと思わずにいられないのは、知らないままで死んでは惜しかったなと切実に感じるような数冊の書物の記憶が、この躰の内側に、アルコールの火照りの如く嫋々と消え残っているからである。読書に限らず、何らかの愉楽を玩味する為には、当該の対象を知ろうとする努力、学ぼうとする熱意が不可欠である。競馬の魅力を味わいたければ、競馬に関する知識を少しずつ積み重ねていかねばならない。疾駆するサラブレッドの精悍で優美な馬体の美しさは、素人でも直ちに理解することが出来るだろう。しかし、競り合うサラブレッドと騎手たちの見えない駆け引きや、営々と紡がれてきた厖大な血統の意味に就いて学べば、競馬はもっと奥深い魅力を湛えた、尽きせぬ泉のようなものであることが徐々に見えてくる。そのレースが菊花賞であり、天皇賞であることを知らずに見るのと、過去の菊花賞天皇賞において繰り広げられた熾烈な格闘を学んだ上で見るのとでは、愉楽の奥行きや密度が全く異なる。

 そういう努力を億劫がる人々は「自分の知らないものは、退屈に見える」という悪しき病弊の虜囚であると言わねばならない。「よく分からないから、つまらない」という単純明快な独断ほど、人生の損失を膨張させる態度は他に考えられない。先ずは物事の仕組みを学んで理解した上で、審美的な判断を下すべきであろう。そうでなければ、人格と教養が痩せ衰える一方である。