サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「出来ない理由を探すな」というイデオロギー

 仕事をしていると、色々な意見に遭遇する。銘々の個性を備えた人間同士が、様々な見地から自分の持論を述べ合うのだから、それらの多彩な見解が相互に矛盾したり、或いは適当な次元で折れ合い、馴れ合ったりするのも、日常茶飯事になるのは避け難い。だからこそ、自分の意見は必ず持つように心掛けるのが、働いて世渡りする上では大切な心得であると私は信じている。

 特に売り上げの悪い時など、私の勤め先の上司たちは「出来ない理由を探すな」と言いたがる。そういう後ろ向きな発想に拘束されていては、現状を打開する方策など思い浮かぶ筈がないという、至極尤もな言い分を堅持しているのだ。実際に上司たちが「出来ない理由」を計え上げるという消極的な悪習と無縁であるとは思えないが、彼らの言いたいことは理解出来る。何らかの袋小路に落ち込んでいる状況を改善する為には、思い切った変革が要求されるのは当然の理窟である。

 だが、そういった価値観が過剰に信奉されてしまうと、極端なオプティミズムの伸張を招き、現実が見えなくなる虞が生じる。これも一面では疑いようのない真実であると私は思う。前向きに物事を捉え、有意義な可能性を捉えることに躍起になる余り、目的の達成にとって「不都合な真実」は否認してしまうという厄介な病弊が蔓延しかねない。「出来ないことは出来ない」のが世界の真実であり、その厳粛な前提を受け容れない限り、本当の意味で有効な施策を講じることは不可能である。「出来ないと決め付けること」の弊害に関しては論じるまでもないが、現場の実感として「出来ない理由」を検討するのは、寧ろ本当の意味で「やろうとしている」からこそ派生する真摯な手続きなのである。現場には観念的な正義など通用しないし、崇高な理想が身も蓋もない些末な理由によって踏み躙られることも珍しくない。そうした真実を踏まえて、具体的な修正を繰り返さなければ、理想が現実に近付くことなど有り得ないのだ。

 無論、会社が現場の泣き言に一から十まで耳を傾けていては業務の改革など儘ならないだろう。だが、唯々諾々と会社の理想論に従って、出来ないことさえ出来ると無理に言い張り、出来ない現実を糊塗して「出来ている」かのように見せかけるような偽装に汲々とするようでは、誰も幸福にはなれない。結局、会社の思惑と現場の実態が乖離するだけで、上意下達の指揮系統さえ形骸化してしまう。こうした現象は、何処の業界でも日常的に頻発している不幸な現象ではないかと思う。私自身の実感としても、出来ないことを出来ているかのように見せかける業務に伴う徒労感は尋常ではない。そうやって無理に形だけ取り繕ってみたところで、有意義で持続的な成果が計上されることは皆無に等しいからだ。出来ないことは出来ないと言える環境を、会社は固より現場の側からも努力して作り上げていかない限り、所謂「粉飾」はあらゆる局面に侵入し、浸透するだろう。過度なオプティミズムと精神論は組織を腐敗させ、破綻に導く。そもそも、行き過ぎた楽天性に異議を唱えることは、決して陰気なペシミズムに膝を屈することではないのである。