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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

図書館の子供たち

 私は小さな頃から読書が好きで、小学生の頃から図書館に通うことが重要な趣味の一つであった。当時は未だ、大阪府枚方市に暮らしていて、樟葉駅に程近い樟葉図書館が、私の主要な拠点であった。自転車を乗り回して出歩くことが日常になってくると、わざわざ地図を調べて牧野や御殿山の図書館まで足を延ばすことも増えていった。

 図書館というのは、私にとっては一種の故郷のような感じさえ起こさせる場所だ。静まり返った黴臭い館内、そこには夥しい数の書物が放つ独特の臭いが充満している。あの眠たくなるような懶さの中で、私は色々な書物を捲り、読み耽った。シャーロック・ホームズや、ゲド戦記や、子供向けに編輯された様々な偉人の伝記を夢中になって読み耽った。図書館の棚には疎らながらも官能小説の類も配架されており、小学校高学年になって所謂「春機」が目覚めてからは、そういった書物も私の個人的な目録の中に割り込むようになった。或いは歴史に興味を覚え、読んでも分からないくせに辞典のように分厚い中国史書物を借りて、殷王朝に始まり中華人民共和国に及ぶまでの壮大な栄枯盛衰の年表に見蕩れることもあった。

 牧野の図書館で、久美沙織が書いた「小説版 ドラゴンクエスト6」を偶然手に取って読み出した時の、あの心臓が顫えるような興奮は今でも鮮明に思い出せる。そういう興奮は、大人になった今では容易に味わえる感覚ではない。夕暮れ時、閉館の間際まで夢中で読み耽り、自転車を猛然と走らせて夜道を急ぎ、家に着いた後もソファに座って熱心にページを捲った。たかがテレビゲームのノベライズだろうと侮る人は、RPGと読書の醍醐味を知らない、憐れむべき精神的貧者である。ゲームの世界だけでも充分に胸が躍るような冒険の愉悦を味わえるのに、そこに活き活きとしたキャラクターの描写、物語に奥行きを持たせる種々の描写が加わって、驚くべき臨場感が醸成されているのだ。読んだことのない人は、是非Amazonで買い求めて頂きたい。

 樟葉の図書館では、不快な経験をしたこともある。小学生の頃、偶々一人で図書館に立ち寄った私に、顔も知らない少し年上の男の子たちが絡んできた。理由はよく分からないが、何か揶揄するようなことを言う。腹が立ち、何だよと凄んだら最初は怯んだが、直ぐに数を恃んで調子に乗り始めた。もう帰ろうと思って館外へ出ると、自転車に跨った私を取り囲もうとするので、無理やり突破して遁走した。いわば「L+R同時押し」である。私のささやかな「図書館戦争」の記憶という訳だ。

 その頃の私の夢は、日本で一番巨大な「国立国会図書館」を訪問することであった。千葉県へ転居して彼是十六年が経つというのに、未だに永田町の国会図書館には足を踏み入れていない。己の怠慢を恥じるのみである。