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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

売上の根底には「信用」が横たわっている

仕事

 小売業の店長という立場は、日々の売上予算を追い掛けることに仕事の重点が置かれる。サービスの良し悪し、商品の良し悪しは固より大事な要素だが、幾ら壮麗な経営理念を公言してみたところで、実際に数字を出せなければ販売部の任務を成し遂げたことにはならない。金儲けだけが企業活動の総てではないが、儲からない事業は企業にとって罪悪である。カスタマーサティスファクションという美しい言葉は、収益の向上という身も蓋もない現実を足場に据えることで初めて七色に光り輝くのだ。

 だが、そもそも売り上げを得るとはどういうことなのか? 既に一定の規模まで成長した会社に拾われて、右も左も分からない状態から出発して、少しずつ課せられた役目を果たせるようになっただけの人間には、つまりこの私には、全くの「ゼロ」の状態から一つずつ物を売り、一円ずつ対価を獲得していくという根源的なプロセスの経験が欠如している。だから、私は売上というものを半ば「自動的なもの」だと錯覚している。しかし冷静に考えてみれば、自社の商品を見知らぬ誰かが買ってくれるということは、明らかに一つの奇蹟なのだ。

 仕事柄、日々の売上状況をチェックし、品揃えやオペレーション、サービスに必要な修正を加え、千円でも二千円でも多くの収益を確保する為に創意工夫を積み重ねていく、という一連の業務は、否が応でも一定の日商が積み上がっていく現実を少しも疑っていない。台風や大雪で誰もが出掛けることに躊躇するような日であっても、店舗の売上がゼロ円であったことは一度もない。それは何故なのか? 結局、根本的な次元で会社と顧客が「信用」による繋がりを維持しているからだ、ということ以外に、本質的な答えは有り得ないように思う。

 売上そのものは、色々な条件によって左右される「水物」である。だから、顧客の「信用」さえ勝ち得ておけば、売上は自動的に附随すると楽観的に考えて済ませられるほど、商売の仕組みは単純ではない。例えば、私が或る店のカステラに絶対的な信頼と評価を寄せていたとしても、毎日そのカステラを買おうとは思わないだろう。或いは、私は伊勢の「赤福」が好きだが、だからと言って毎日「赤福」を買って食べようとは思わない。信用が直ちに日々の売上に、確実に換算される訳ではないのだ。だが、少なくとも「信用」は、売上や収益という「果実」を育む土壌の役目を担っている。その「信用」を形作る為の行為は、今この瞬間に「売上」を形作る為の、いわば引鉄を絞るような行為とは性質が異なっている。収穫と播種が互いに異質な作業であることは論じるまでもない。勿論、両者は繋がり合っているが、種を蒔いた瞬間に果実を刈り取ることは出来ないのだ。

 このブログを書くのも、或る意味では「播種」の作業であると言える。一つ一つの記事を通じて、見知らぬ誰かの「信用」を徐々に培っていくことが、ブログを運営することの根本的な手続きであると私は思う。それは売上のような明確な数字としては捉えることの困難な、もっと曖昧模糊とした社会的関係である。「信用」の正体を把握することは、容易な業ではない。だが、それゆえに文章を書くことは何時も、奇蹟の予感と隣り合わせになっているのだ。