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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

創作「14号原理主義者の告発」 第一回「JR幕張駅南口、午前二時 第一幕」

創作「14号原理主義者の告発」

花見川区幕張地域は内陸側にあり、JR総武線京成電鉄千葉線沿線である。美浜区幕張地域は海浜側にある埋立地で、JR京葉線沿線である。これらの地域の地誌は、おおよそ以下の通りである。

習志野市から千葉市西部にかけての東京湾沿い一帯は、下総台地が海岸沿いまで迫って海食崖を形成し、江戸時代には台地を刻む小河川の河谷ごとに村落が形成されていた。こうした形態の村落を西から挙げていくと、現在の習志野市の区域には谷津(やつ)村、久々田(くぐた)村(菊田川)、鷺沼(さぎぬま)村、千葉市に入って馬加(まくわり)村(浜田川)、検見川(けみがわ)村(花見川)、稲毛(いなげ)村、黒砂(くろすな)村である。この一帯の西側は船橋市中心街を形成する海老川河口低地帯の、東側は千葉市中心街を形成する都川河口低地帯の、それぞれ中規模の沖積平野によって区切られる。

花見川区幕張地域は、浜田川の河谷を中心とした馬加村が、上流の武石村、天戸村、長作村、実籾村と合併して成立した幕張村に由来する。この幕張村は浜田川河谷の低地で水田を、周辺の台地で畑作を営んでいたが、特に浜田川と東側の花見川の両河川の河口の間は砂丘が広がり、かつてはここが良質の人参産地となっており、「幕張人参」のブランドで知られた。今では浜田川西岸の台地上にも、東岸の砂丘上にも、畑はわずかしか残っていないが、土の色を見ると西岸の幕張本郷駅近くの畑は関東ローム層特有の赤褐色を、東岸の幕張駅近くの畑は白っぽい砂の色をしており、両者の畑の性格が異なることを知ることができる。

1960年代から1970年代にかけて東京湾沿いの埋め立てが進んだが、浜田川を中心に、西は千葉市習志野市との境界から、東は花見川に至る範囲が、「幕張埋立地」と名付けられた。ここが現在の美浜区幕張地域である。

JR総武線幕張本郷駅は浜田川河谷の低地のすぐ西に迫る台地の上に、幕張駅は東側の砂丘の上に位置している。京成幕張駅の南側の砂丘の頂上には青木昆陽を祭る昆陽神社があり地元民からは芋神様(いもがみさま)と呼ばれて親しまれている。総武線と京成線の重なる「開かずの踏み切り」による交通難の解消のための駅前の再開発で一旦移転したが、後にもとの位置に戻った。(Wikipedia「幕張」より転載)

 俺は全くムカついている。このムカつきは昨日今日に始まった、新参者の苛立ちじゃない。もっと根深くて、執拗で、本質的な憤怒、しかも私情じゃなくて、一種の「義憤」なのだ。

 JR幕張駅南口の静まり返った闇の中で、俺はタバコを吸っている。もう何本吸ったか覚えていられないくらいに吸っている。駅の近くの、誰かがフェンスに針金か何かで結わえ付けた空き缶の中に、山のように吸殻を積み上げる。誰かの築いた貝塚のように、俺の苛立ちが煙と灰の堆積物となって、缶の底に溜まっていく。辺りはすっかり静かだ。終電から随分時間が過ぎて、駅前のロータリーから国道14号線へ向かって傾らかに下っていく目抜き通りも、すっかり人影が絶えている。14号線は、しかし、こんな時間でも一向に眠らない。イトーヨーカドーの大きな看板を照らし出す光が息絶えた後でも、ヘモグロビンが酸素を運ぶように、国道14号線、いや、もっと崇高な名前で呼ぶべきだ、千葉街道、そう千葉街道は、夥しい数の車を、この時間は大半が巨大なトラックだろうが、そいつらを蛍火のように運び続けている。

 何故、俺がムカついているのか、お前たちに分かるだろうか? いや、殆どの人間は、間抜け面を晒して、ぽかんと口を開けて、俺を気狂いのように嘲るに違いない。お前は一体、何に腹を立てているんだ? 下らないことじゃないか? 誰にも具体的な被害なんか及ぼさない、単なる一過性の誤解に過ぎないじゃないか? いや、俺の苛立ちと怒りは、そんな慰めや揶揄には断じて屈しないのだ。それをこれから語ってやろう。俺が何に苛立ち、寂れたJR幕張駅南口の寝静まった静穏な夜更けの空間に佇んで、ニコチンとタールを年代物の炭水車のように吸い込み続けているのか、その理由を、確りと教えてやるさ。

 俺が何で苛立っているのか、それは誰も俺の苛立ちを理解しないからだ。今日も俺は、西千葉の駅前の有り触れた居酒屋で友人たちと酒を呑んでいた。俺が通っている大学は国立で、都心から電車で30分以上もかかる立地でありながら、地元民だけが通う地元様々の安っぽい私立大学なんかではなくて、全国からそれなりに勉強の出来る連中が寄り集まってくるから、西千葉のキャンパスへ通っていても千葉のことなんか何も知らない輩が多い。そういう手合いが、一番危険なのだ。何が危険かって? それは勿論、俺の地雷原を阿呆面ぶら提げて、のうのうと踏み躙る危険が高いって意味だ。

 何処に住んでるの? っていう御決りの質問が、大学へ入った当初から幾度も手垢塗れのクリシェのように投げつけられて、その度に俺は極めてストレスフルな経験を味わった。いいか? 一回や二回じゃないんだ。しかも田舎者の面子が相手となれば、十中八九、そのストレスフルな手榴弾は間違いなく俺の頭上で炸裂し、同時に俺の脳味噌の血管に馬鹿でかい音響でアラームを鳴り響かせるのだ。

 何処に住んでるの? 勿論、俺は満腔の自信を迸らせて、青葉の臭いさえ漂わせるほどに勢いよく迸らせて、威風堂々と答える。「幕張」「幕張? 凄いね」「凄いかな?」「だって、メッセがあるところでしょ?」「違う」「え?」「ちげえよ馬鹿」。

 何故、穏便だった筈の会話が、このような殺伐とした遣り取りに一変してしまうのか? 答えは無論簡単だ、馬鹿な田舎者が、俺の逆鱗に触れるような迂闊な、無知蒙昧な発言を行なったからだ。おいおい、メッセ? いやいや、俺が住んでるのは、幕張だよ、幕張。まさか、意味が分からないのか? おいおい、まさか、お前ら、JR海浜幕張駅近辺が幕張だと勘違いしてねえか? おいおい、お前ら、本当に愚物だな。

 結局、毎回同じような行き違い、有り触れた誤解、下らない不毛な遣り取りに巻き込まれる訳だ。幕張という単語を使ったときに、それが含んでいる意味合いが、何でこんなに食い違うのか、そのこと自体が最初の躓きであり、憎しみの由来だ。俺が知っている幕張と、田舎から這い出してきた世間知らずの連中が頭の片隅に破れかかった雨傘みたいに記憶しているイメージの幕張との間には、計り知れない隔たりがある。それが諸悪の根源だ。イデアと現実との致命的な亀裂だ。そして俺は何時ものように、首を傾げ、眉を顰め、肩を竦めて尊大な溜息を吐いてやるのだった。