サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「自由」の重圧に堪えかねて

 私が生まれ育った社宅には、それなりに大きなベージュの本棚があって、それは今も両親が終の栖として定年後に購入した東松戸のマンションの和室に聳え立っている。母親の本は、料理や裁縫に関する書籍や雑誌が大半を占め、他にはフランス語の小さな辞書、そして何かの評判を聞きつけて買い入れた、恐らく決して読み終えることはないだろうと思われる数冊の小説が混じっている。

 父親の本は、最近では専らオカルトや宗教関係の書物ばかりが増えているが、中には恐らく学生時代に購入して、そのまま何となく処分せずに保持してきたのだろうと思われる書物が数十冊あった。カバーも帯もない、ページも紙魚が浮いたり黄ばんだり、或いは千切れたり輪ゴムが付着したりしている、それらの古びた書物の目録は、過ぎ去った父親の若き日々の痕跡を伝えている(私の父は、書物を丁寧に取り扱うという習慣が稀薄なのである)。人文書院から刊行されたジャン=ポール・サルトルの「存在と無」や、新潮文庫に収められたアルベール・カミュの「異邦人」「カリギュラ」「カイエ」、或いはドストエフスキーの「悪霊」やカフカの「変身」、函入りの初版本の「砂の女」「燃えつきた地図」「箱男」、クロード・レヴィ=ストロースの「野生の思考」、柄谷行人の「意味という病」といった小難しい方面の、どちらかと言えば美術好きの母親とは全く異質な関心領域に属する書物が、父親の所有であった。1968年、あの世界的な革命の季節に、東京大学教養学部の貧しい苦学生であった父が、後年どんなにオカルトや新興宗教の類に血道を上げようとも、若者であった頃には時代の風潮に思い切り染まっていたのだなということが、今になって漠然と推し量れる。特にサルトルカミュカフカ安部公房といった系譜からは、所謂「実存主義」の臭いが露骨に漂ってくる。尤もサルトルを除いて、他の作家たちが実存主義者という自己規定を採用していたとは思えないが、一般論として、彼らが実存主義という観念と関連する存在として認識されていることは事実だろう。

 予め断わっておくが、日本大学の国文学科を光の速さで中退した愚昧な私には、哲学的な教養もアカデミックな訓練の経験も欠けているので、実存主義という単語を公的に認められた正しい定義の下に取り扱うことが出来ないし、そもそも学術的な標準に依拠して意見を述べようとも考えていない。だから、飽く迄も自分なりの身勝手な解釈に基づいて実存主義というタームを使わせてもらう。そして私が、実存主義という哲学的な臭気を纏った用語を敢えて使うのは、誰にとっても無関係では有り得ない問題、即ち「自由」という極めて捉え難い抽象的な観念を巡って、私的な思索を積み重ね、醗酵させる為だ。

 「実存は本質に先立つ」というサルトルの提示したテーゼは、実存主義の基礎的な考え方の一つであると認められているが、こうしたテーゼの提示が意味を持つのは、自由という主題との関連において歴史上、所謂「合理論」と「経験論」との果てしない相剋が、方々で演じられ続けてきた為であろう。要するに若き日のサルトルは、人間というものが何らかの「本質」によって先験的に制約された存在ではなく、自らの選択に基づいて自らの存在を構築する生き物であるということに力点を置いたのだ。そこから自らの人生の倫理的な方針を構築していったのである。

 実存主義という観念が、或る哲学的な転倒のプロセスであることは言うまでもない。批評家の柄谷行人は、その著作において、哲学という運動が絶えざる「移動と転倒」の累積であることを幾度も強調している。実存主義という観念が、当時の世界で或る重要な思想的衝撃を発揮し得たのは、それが従来の価値観を覆すような新たな視角を備えていたからだ。つまり、それは人間の倫理的な自由を獲得する為の、思想的な挑戦の形だったのである。

 だが、ルネサンスによるヒューマニズム創発、所謂「人間中心主義」の輝ける称揚から出発し、ニーチェが宣告した「神の死」への漂着を経て、西洋の文化的伝統が到達した実存主義の世界が、固有の不安によって彩られていたことは言うまでもない。キリスト教という強靭な観念的体系に呪縛されてきた西洋社会において、絶対的な支配者としての「神」の否定に踏み切るという果敢な選択は、人間的な自由が根源的なニヒリズムと不可分の関係にあるという蒼白の事実を明るみに出した。実存主義は、先験的な公準の否定を通じて、絶対的な超越者としての「神」を頂点に推戴するキリスト教の壮麗な体系に叛逆した訳だが、そのような思想的冒険を通じて見出された世界の根源的な特性は「不条理」であった。そこから、アルベール・カミュの「シーシュポスの神話」のような問題意識も析出された訳である。

 自由であるということは、客観的な基準を持ち得ないということであり、あらゆる問題に関して自分自身の判断で、自分自身の責任において、物事を処決せねばならないという苛酷な境涯を指している。それゆえの苦悩や煩悶が所謂「実存的不安」の主要な成分である。それは「神」という絶対的な他者と、それに由来する教会の提示する基準に従って生きればよかった牧歌的な時代の「奴隷の苦しみ」とは異質な苦しみである。そこにはルネサンスの華やかな「解放」の歓喜は存在せず、立ち竦みたくなるような孤独の曠野が果てしなく広がっている。

 サルトルが「人間は自由という刑に処されている」と言ったのは、実存主義という思想が「実存に先立つ本質」を認めないという極端な発想に立脚していた為である。無論、現代の生物学は、私たちの存在の組成が遺伝子の配列によって制御されている事実を明らかにしている。だが、サルトルが考えていたのは恐らく、そうした科学的な範疇に属する問題ではなく、もっと倫理的な次元における「自由」の問題であったのだろうと思う。そして、実存主義的な考え方の抬頭は、西洋社会においてキリスト教の支配力が衰弱しつつあったことと無関係ではないだろう。

 無論、西洋社会の歴史的な特性と状況に論点を絞り込む必要はない。宗教でなくとも、共同体の道徳的な規範のようなものでも構わない。何らかの外在的な基準が絶対的な威信を孕んで成員を拘束していた時代、実存的不安というものが生じる必要はなかった。自由を持たない人間が、自由であることの不安に捕獲される気遣いは存在しないからだ。そのような状況において、決して手の届かない「自由」の境涯が驚嘆すべき輝きに満ちて、人々の眼に映じたとしても奇異ではない。だが、隣の芝生が蒼く見えるのは時代や環境を問わず、普遍的な真理であるのだろう。実際に「神々」や「共同体」の軛を振り切って辿り着いた「自由」の世界は、恐るべき重圧と艱難に満ちていた。その当惑と混乱が、所謂「実存主義」の思潮を生み出した淵源なのではないかと思う。

 しかも、こうした実存主義的不安は、時間的にも空間的にも極めて射程の広い問題である。直接的には、西洋キリスト教社会の没落がジャン=ポール・サルトルアルベール・カミュを生み出したのだとしても、実存主義という問題構成が包含している社会的な範囲は、西洋社会に限定されない普遍性を帯びている。例えば古き良き農産共同体の瓦解は、工業や通信技術の発達、もっと言えば資本主義的原理の凄まじい氾濫によって齎されているが、そのような不可避の世界史的奔流の中で、実存的不安が蔓延する範囲は、サハラ砂漠のように拡大の一途を辿っている。都市化の進行、核家族化、地縁・血縁の瓦解、個人の「原子化」、あらゆるものがアウトソーシングされ、誰もが「おひとり様」として生きていくことが容易な環境が整備され、未婚率は上昇し、出生率は低下し、インターネットを通じた抽象的な人間関係の構築が日常的な光景と化した先進国の実情は、実存的不安の更なる亢進を齎す社会的な潮流として、私たちの鼻先に突き付けられている。他方では、そうした現状に対する反動のように、所謂「マイルドヤンキー」的な地元志向が強まったり、或いは「帰農」による古き良き共同体への回帰が流行したりしているが、それも煎じ詰めれば実存的不安が育んだ果実の一種ということになるだろう。

 個人がバラバラに、離散的な信号のように点在することは、翻せば思いも寄らぬ異質な交通を可能にする条件が整いつつあるということでもあり、その善悪を一律に断定してしまうことは出来ない。だが、例えば安保法制を巡って勃興し、世間を賑わせた学生団体「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)の熱狂的な運動なども、この観点から眺めれば、一種の反動的な共同体主義のように見えなくもない。それが高度に発達した通信技術の恩恵を享けて一層拡散され、強化されたのだとしても、その本質が「実存的不安への抵抗」を意味するのならば、幾ら外貌が目新しくとも中身は古典的であると言うしかない。結局、私たちは「自由」という問題を持て余しており、過剰な「自己責任論」の大合唱にすっかり疲弊して、かつて近代的な人間中心主義が想い描いた崇高な理想としての「自由」の威信さえ、忘却の彼方に投げ捨てようとしている。そこでは、近代的な市民社会七転八倒の奮闘を通じて徐々に獲得し、築き上げてきた「自由」の権利の重さが、却って人々の精神的負担と化し、生き辛さを助長している。何故、こんなことになってしまったのか? 自由の重圧に堪えかねて、個人の原子化に虚しさを覚えて、人々は反動的にコミュニティを志向する。そして生贄が選ばれ、標的に対する共通の敵意によって結び付けられた人々が、熱狂的な叫喚を分かち合い始める。私たちは、ファシズムの瀰漫が齎した二十世紀の様々な悲劇の記憶から、足早に遠ざかろうとしている。自由の重圧に堪えかねて、私たちは個人の多様性を踏み躙る総合的な理念に縋りつき、自らの頭で考えることの煩わしさから解放されたがっている。

 日本において、こうした実存的不安の問題に異様な執着と関心を示した代表的な作家は、恐らく安部公房だろう。代表作「砂の女」において、自由に憧れ続けた男が、実際に自由への通路を開かれた瞬間に、却って自由からの退却を選び取るという何とも苦々しい、印象的なラストシーンを描いたり、「燃えつきた地図」において、失踪した男の暮らしていた団地を「めいめいの整理棚」と表現したりした彼は、所謂「都市」の問題を通じて「自由と実存」の入り組んだ関係性に着目し、思索を深めていた。「他人の顔」や「箱男」では、アイデンティティの交換可能性が取り扱われ、自由になることで自分自身の特性を見失っていく現代的な困難が描かれた。彼の小説に漲る不透明な戦慄と緊張感、出口の見えない閉塞感は、まさしく実存的不安の有する典型的な症候であると言えるだろう。

 自由に憧れることは、こうした複雑な両義性を常に孕んでいる。自由と幸福を結び付けることが、現代的な価値観においては「正義」として認められているが、このような「正義」が本当に、厄介な錯綜とは無縁の普遍的な汎用性を備えていたとしたら、未だに世界中でファシズム的な悲劇が再演され、維持されていることの理由が剔抉出来ない。膨張するイスラム原理主義が残虐極まりない災厄を中東に撒き散らし、夥しい移民と難民を受け容れることに疲れ果てたイギリスがEUからの離脱に踏み切り、アメリカ国民がドナルド・トランプの身も蓋もないヒステリックな保護主義に拍手喝采を送ったりする時代に、自由という言葉を素朴な理念として慕うのは、危険なことだ。無論それは「自由」という概念の有する倫理的な意義を否定したいという意味ではない。「自由」を甘く見ていると、その惨たらしい罠にどっぷりと嵌まり込むことになる。崇高なアメリカ民主党的理想に、無思慮に寄り掛かるだけでは、自由の問題を解決することは出来ないのだ。それは共和党的な反動を許容するということではない。私たちは今、頗る深刻な「分断」の世紀に呑み込まれつつあるのである。