サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

中上健次の「記憶」

 先日、NHKで中上健次と「路地」の記憶を巡るドキュメンタリー番組が放映されているのを、切れ切れに眺める時間を持った。

 和歌山県新宮市被差別部落に生まれ育った中上健次の文業が、自身の生まれ育った環境に対する、愛憎の入り混じった執着に染め抜かれていることは、広く知られた事実であると思う。彼は執拗なまでに、自らの個人的な記憶に由来する問題に取り組み続けたし、彼の書いた文章は小説に限らずエッセイも含めて、悉く彼自身の「生涯」或いは「生き方」と緊密に結び付いていた。彼にとって書くことは生きることと不可分であったし、それは彼が職業的な意味での「小説家」という枠組みに留まらない存在であったことと切り離せない。彼は単に、複数の選択肢から俯瞰的な検討の末に「小説家」という生業へ進むことを決意したのではない。書かなければ、どうにも収まりのつかない厄介な問題を個人的に抱え込んでいた為に、只管にペンを握り締めて、集計用紙に向かい続けたのだ。それは書くことで生計が立てられるかどうか、という至極実際的な基準とは無縁の「決意」である。

 NHKのドキュメンタリーでは、生前の中上健次が「路地」(=具体的な現実においては和歌山県新宮市春日)に暮らす老婆から、その身の上話を聴き取ってテープレコーダーに録音していたことに焦点が合わせられていた。彼が「路地」に対する両義的な感情の持ち主であり、或る意味では抒情的な郷愁に囚われつつ、同時に「路地」が強いられてきた被差別の宿命に対する「忿怒」を併せ持っていたことは、少なくとも表面的な事実としては一般に知られているだろう。だが、第三者の滑らかで理知的な言葉で腑分けし得るほど、彼と「路地」の人々が抱え込んでいた問題は簡明でも単純でもない筈である。言い換えれば、それは善悪とか好悪とか、そういう主観的な基準によっては定義することの不可能な絶対性を帯びた領域であったのだ。一面では、そうした「路地」の絶対性が、中上健次の恣意的な「聖化」の所産であったと看做すことも出来るだろう。作家としての中上健次が「路地」の解体に際して懐いた名状し難い感情と、現実に「路地」に縛られて生き続けてきた人々の味わった解放感との間には、否み難い乖離が横たわっている。

 だが、中上健次という特異な作家が「路地」という異形の空間(それを「異形」と称することが不毛な特権化を齎すことは承知の上で、敢えて書く)に対して示した奇妙な執着は、その記憶=歴史に対する特別な関心は、そのような「ズレ」に基づいて容易く論難されるべきものではない。何と言えばいいのか、彼が「路地」という言葉でその輪郭を定めた「領域」に就いて、営々と言葉を紡ぎ続けたのは、職業的作家が金儲けや大衆の享楽の為に小説を執筆することとは全く異質なモチヴェーションに支えられた行為であったのだ。彼は只管に「記憶」し、その「記憶」の意味を「問い詰める」為に、書くという営為を必要としたのである。そういう形の「作家」という存在の様態が有り得ることを、私たちは簡単に閑却すべきではないだろう。所謂「文学」というものが、言語的な娯楽以上の意義を保ち得るとしたら、中上健次の文業は、その好個の事例である。そもそも、芸術とは「記憶」することと等価ではないのか。誰かが何らかの手段で現実の一点に刻み込まない限り、永久に失われてしまうであろう「真実」を忘却の深淵から救済する為にこそ、芸術的な価値というものは存在しているのである。