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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

淡々とした空想紀行文の余韻 筒井康隆「旅のラゴス」

 吉田健一の「金沢」を繙くことに飽きて、新たに筒井康隆の「旅のラゴス」という小説を読み出した。文頭から文末まで縦横に視点が入れ代わり、文意が宙吊りにされ続ける吉田健一の酩酊したような文章と比べると、随分簡潔で読み易いように感じられる。いっそ無愛想なほどに過剰な文学的修飾を排除した文体である。だが、決して無味乾燥という訳ではないし、極限まで切り詰められ、彫琢された文章で綴られた物語でもない。大雑把と言えば大雑把、冗長な情景描写などには然して関心も示さずに、要点を抑えてサクサクと語り続ける。ごわごわとした麻布のような手触りで、様々な架空の街での体験が淡々と綴られていくのである。しかも、そこには巨大な物語の劇的な「うねり」のようなものは必ずしも存在しないばかりか、敢えて意図的に取り除かれているようにも感じられる。

 しかし、この小説は面白い。ダイナミックな物語、リアリティ濫れる描写、そういった所謂「文学的長所」とは少し距離を置いているように見えるのに、間違いなく小説として面白い。何というのか、作者は力瘤を盛り上げて、壮大なファンタジーを描こうとはしていないように感じられる。彼は飽く迄も「それっぽい作り事」としての「小説」を書くということに、自らの「節度」の基準を預けているように思われる。そのことが、興醒めなロマンティシズムの発生を抑制している。言い換えれば、全くの荒唐無稽の空想紀行文であるにも拘らず、この作品には確かな「人生」の感触が行き渡っているのであり、決して一個の小説作品としては厖大な分量とは言い難い長さであるのに、一人の、つまりラゴスという架空の人物の生涯の手応えが、読者の側にずしりと残るのだ。これは一体、どういう魔術なのだろうか? だが、改めて冷静に考えてみれば、単なる文字の列なりに過ぎないものが、一人の男の人生の重みを体現し得るという奇妙な奇蹟そのものが、小説という芸術の本来備えている崇高な力ではないのか、という風にも考えられる。充分に省略の利いた構成でありながら、そして決して長大な分量ではないにも拘らず、充実した「読み応え」を感じられるのは、作者が「小説の魔術」の根本的な原理を知悉しているからなのだろうか? 描き出されるガジェット、エピソードの構成、それらは決して奇異なものでも斬新なものでもなく、ファンタジー的な要素も突き抜けた奇想天外の風格を有している訳ではない。しかし、それが慊らない気分を招来するのではなく、寧ろ重厚なリアリティを担保しているのは、精緻な技巧の賜物としか言いようがない。

 ファンタジー、それは私たちに日常的な現実を忘れさせ、束の間の幻想的な「旅行」の時間を約束するジャンルであるが、そうした性質は元々、芸術全般に宿っている人類の叡智であり、その優れた実例は、決して私たちの精神を妄想に満ちた異界に監禁するものではない。それは必ず現実に対する清新な発見と省察と「視点」を齎すものなのだ。誰しも一度切りの人生を送ることを現し世の摂理によって定められているにも拘らず、私たちは優れた芸術の力を借りることによって、実在するかどうかに左右されることなく、他人の異質な「人生」を追体験することが出来る。それは私たちの「生きる力」を賦活する営為に他ならない。久々に充実した読書の時間を過ごしたと感じさせてくれた名著であった。

 

旅のラゴス (新潮文庫)

旅のラゴス (新潮文庫)