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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「安房鴨川」 其の一

 会社から勤続十周年の御褒美に、公休とは別に十日間の連休を貰ったので、一月下旬から二月の頭まで働かずに過ごしている。こういう機会は滅多にあるものではないので、本当ならば一週間くらい遠くへ出掛けたいところだが、一歳未満の娘がいるので、そうした目論見は残念ながら遠い夢想のままである。しかし、折角の連休が勿体ないので、一泊くらいならオムツや離乳食を担いで行っても、それほど荷物の量は膨れ上がらないだろうと考え、近場の旅行先を検討してみた。

 幼い子供、しかも漸く歩き始めたばかりで、靴を履かせて屋外の地面を踏み締めて歩かせるには未だ酷な年齢の、乳歯さえ生え揃わず、ミルクからの卒業も果たしていない小さな女の子を伴って、遠方へ長期間出掛けるというのは殆ど絶望的に困難な作業である。しかも我々夫婦は車を所有しておらず、そもそも私自身は運転免許自体を持っていない。運転席に座ってハンドルを握ったら、その時点で犯罪者である。万が一、そのまま公道を疾駆するような事態に陥れば、数分も経たぬうちに人を撥ねるか、他の車に突っ込むだろうから、何れにせよ犯罪者となる末路は避け難い。

 という訳で、入念な検討の結果、鴨川シーワールドに一泊旅行という計画が組み立てられ、車を持たない私たちはJR海浜幕張駅から外房線特急「わかしお」に乗り込み一路、安房鴨川駅を目指して出立することとなったのである。当日は空は青く清々しく晴れ渡り、絶好の旅日和となった。がらがらの特急列車に乗り込み、静かな平日の午前の光を燦々と浴びながら、ゆったりと揺られつつ見知らぬ土地の見知らぬ風景を眺める時間というのは、この上なく贅沢な代物である。

 私は大阪府枚方市で生まれたが、十四歳の時に父親の転勤の都合で千葉県松戸市へ引っ越して以来、彼是十七年ほどの歳月を千葉県民の末席に列なる者として暮らしてきた計算になる。しかし、その十七年間の過半を松戸市民として頑固に暮らしてきたものだから、常磐線沿線以外の地域には非常に馴染が薄く、房総半島の風物に関する知識は極めて薄弱である。

 私の実感では、JR常磐線を大動脈とする千葉県の東葛地域(松戸市野田市柏市流山市我孫子市鎌ヶ谷市)と、JR総武線を動脈とする葛南地域(市川市船橋市習志野市八千代市浦安市)及び県庁所在地としての千葉市方面との間には、生活や文化の著しい断絶が存在するように思われる。言い換えれば、常磐線沿線に住んでいる人々にとっては、総武線方面の土地へ出掛けることは特別な用事でもない限り、不必要であるということだ。勿論、これは私の個人的な見解であるから、一般論として妥当なものであるかどうかは判断しかねる。

 常磐線と総武線は、JR武蔵野線(新松戸~西船橋)、東武野田線(柏~船橋)、新京成電鉄(松戸~京成津田沼)によって結び付けられているが、両者の関係性は頗る稀薄であるように思う。言い方を換えれば、松戸市柏市の辺りは東京・埼玉・茨城との繋がりが強く、生粋の千葉ではないように感じられるのだ。

 千葉県の形を、あの有名な御当地キャラクターのような生物として捉えたならば、確かに鼻は野田市であり、舌先は浦安市であるかも知れないが、それは本当は、余りにも東京一極主義的なイデオロギーに毒された見方であったのかも知れない。江戸川に沿って広がる松戸や市川、或いはディズニーランドと臨海高層マンションで知られる浦安のイメージで、千葉県の本質を語り尽くそうと試みるのは、適切な態度ではないのだ。それらは東京化された千葉県の表層であり、都会の風を浴び続けて変質し、硬化してしまった千葉県の皮膚なのである。本当の部分は、もっと奥深い場所にあるのではないか。

 こういう意見を述べると、東葛地域に御住いの方々は不快に思われるかも知れないが、私も長らく松戸市民として暮らしてきた日々の実感は記憶として持っている。その上で言わせてもらっているので、どうか御容赦願いたいものである。

 東日本大震災の年に市川市の店舗へ配属になってから、私と総武線との出逢いは始まった。その数年後には津田沼へ移り住み、昨春には幕張へ家を買って遂に天下の政令指定都市千葉市の住人と成り遂せた。だが、それでも私にとって夥しい数の路線が乗り入れるJR千葉駅は今でも魔窟の扉であることに変わりはない。改装して随分と分かり易くなったとはいえ、未だに私は外房線内房線の区別さえ満足につけられない愚者のままなのである。

 そんな私にとって、鴨川への旅路は未知との遭遇にも等しい新鮮な経験であった、と言いたいところだが、鴨川シーワールド自体は十年ほど前、未だ松戸市民だった頃に車で訪れたことがあるので、全くの初めましてという訳ではないことを率直に述べておきたい。それでも、当時の記憶は非常に不鮮明な状態になっていたし、外房線の列車、しかも「房総エクスプレス」の英字のロゴを車体の側面に掲げた特急列車に搭乗するのは紛れもない初体験であったから、私の心には未知なる異郷への仄かな憧憬のような感情は確かに宿っていたのである。

 一向に安房鴨川へ辿り着かないままに、2000字を超えてしまった。続きは次回の記事へ持ち越すこととする。