サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「安房鴨川」 其の二

 先日の記事の続きを書く。

saladboze.hatenablog.com

 前置きばかり長くなって恐縮だが、自分の好きなように書かせてもらいたいと思う。海浜幕張駅から、京葉線を経由して外房線に乗り入れる特急「わかしお」に乗り込み、私たち家族は房総半島の南東部に位置する鴨川市の海辺へ向かって出発した。

 サービス業で生計を立てている私は日頃、曜日に関わらず働く不定休の人間である。だから、世間様が正月や盆の休みで浮々と華やいでいる季節には、人一倍働いて荒稼ぎすることが宿命である。それは一見すると辛いことのように思われるだろうが、逆に言えば、世間様の大半が馬車馬の如く働いているときに悠然と休めるということでもあるのだ。平日の朝、海浜幕張駅には出勤途上の方々が大勢いらっしゃったが、我々は暢気に南総へお出掛けである。殆ど王朝時代の京都の御公家さんの気分である。冷え切った空気の中、コートに身を固めて憂鬱な一日の始まりを迎える人々の波に混じって、我々は優雅に鴨川へシャチのパフォーマンスを見物しに行くのである。殆どドバイの石油王並みの贅沢な御身分であった。

 長年、東葛地域で暮らしてきた私は、海浜幕張を出発した「わかしお」の最初の停車駅である「蘇我」が千葉市の一部であるという理解さえ持ち合わせておらず、てっきり「蘇我市」という自治体が存在するものだと思い込んでいた。私と同棲を始めるまで、幕張の実家を出たことのない生粋の千葉市民である妻から、厳格な訂正を受けたことがある。つまり、私の未知への旅路は、早くも蘇我駅の時点で開始の号砲を鳴らしたのである。随分と近所の段階で未知の領域への門出が始まるということは即ち、普段の私の行動範囲が極めて保守的で狭苦しいという事実の傍証であろう。

 幼い娘の機嫌を取りながら、静かな車内に陣取って流れていく車窓の風景を漫然と眺める。臨海部の工業的な風景が後方へ遠退き、宅地化の進む鎌取、誉田、土気を黙殺するように通過すると、大網駅に辿り着いた。ここも宅地化は進みつつあるが、基本的に風景に対して田畑の占める割合がかなり高まったように感じられる。土気駅までは政令指定都市で県庁所在地でもある千葉市の領分に含まれていたが、ここからは大網白里市に移るので、自治体としての財力の多寡が、駅前の開発の進展具合にも重要な影響を及ぼしているのかも知れない。いよいよ、千葉県の奥地へ足を踏み入れつつあるな、という静謐な興奮が、私の心臓へ微温湯のように広がり始めた。都会化された景色を眺める為に、私は旅へ出た訳ではないのだ。普段の生活では触れることの出来ない異郷の風光を総身に浴びる為に、私は高い特急料金をJRに納めて「わかしお」に乗り込む決意を固めたのである。

 ところが、田舎らしい景観に恵まれ始めたと喜び勇んだのも束の間、茂原駅で私は己の肉眼を、いや厳密には眼鏡による矯正視力を疑うこととなった。車窓から眺める茂原駅周辺の風景が、大網とは比較にならないほど「都会」であったからだ。少なくとも千葉市中央区蘇我駅と平手で将棋が差せるくらいの風格と貫禄は充分に備えていると言えよう。ウィキペディアで調べたところ、茂原市天然ガスの生産量が日本一で、この地域の産業の要衝となっているらしい。私はそれまで茂原市に就いて何の知識も有していなかったが(「こりん星」が茂原市内に存在するという噂は耳にした覚えがある)、実際に茂原駅の景観を自分の眼で確かめ、蒙を啓かれた気分であった。

 だが、茂原を過ぎれば再び景色は、私の期待する辺鄙な眺望を紅蓮に輝く不死鳥の如く甦らせてくれた。やがて辿り着いた上総一ノ宮駅は、総武線を日常的に使用する私にとっては、幾度も耳にしたことがありながら、現物を拝見した例のない伝説的な地名である。下り方面の総武線快速列車は、千葉駅から先は複雑怪奇な枝分かれを行なうことで古来知られており、千葉県の地理に不案内な人間にとっては、「君津行」と「上総一ノ宮行」の違いを論理的に説明することさえ大変な難事なのである。

 上総一ノ宮駅は、総武線快速列車と外房線の直通運転の境界線に当たる。津田沼に暮らし、市川や柏へ通勤していた頃の私にとっては、千葉駅へ足を踏み入れる機会さえ皆無に等しかったので、況してや上総一ノ宮駅というのは空想の中だけに存在する蜃気楼のような空間であった。実際に辿り着いてみれば、長閑な地方の小駅という印象で、いよいよ遠くまで来たものだという感慨に耽るのに相応しい条件が整っていた。尤も、私の暮らすJR幕張駅周辺も古びた商店街が連なる、長閑な地方の一隅に他ならないので、珍しさを感じる筋合いもない訳だが、この「遠くまでやって来た」という感覚は、旅情を掻き立てる為には必須の代物なので、有難く咀嚼させて頂いた次第である。

 私は現在、千葉市内の百貨店に入居するテナントの店長なのだが、他のテナントの従業員の中には、この上総一ノ宮駅よりも更に南へ下った大原駅から通っている人もいる。その百貨店は房総半島全域が商圏であり、東葛地域を除く千葉県全域から顧客が訪れる。当然、大原からも上総一ノ宮からも人が流れてくる訳で、この辺りの土地に暮らす人々にとって、県庁の存在する千葉市の威光というのは、なかなかに侮り難いものなのではないかと、改めて私は感じた。誤解を避ける為に附言すれば、私は決して地方の僻地を嘲ったり蔑んだりしようと思って、こうした文章を草している訳ではない。元々は大阪府の辺境に生まれ育ちながら、不可思議な宿縁に導かれて千葉県に住まうこととなった己の人生を一層深く耕す為に、千葉県という土地の現実に就いて、忌憚のない観察を行ないたいと密かに、極めて個人的な仕方で望んでいるだけである。

 さて、寄り道をし過ぎて再び紙幅が尽きてしまった。続きは、また次回。