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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「安房鴨川」 其の三

 再び紀行文の続きを書く。

saladboze.hatenablog.com 

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 総武線快速列車の直通運転の終着駅であり、一つの重要な「境界」である上総一ノ宮駅を出発すると、次第に車窓越しの景観は仄かな南国の雰囲気を知らぬ間に纏い始めた。その薄らとした気配というか徴候は、勝浦駅に辿り着く頃には、かなり鮮明に捉えられる状態になっている。日本の古式床しき地理的区分である「令制国」の慣習に準じるならば、いよいよ「上総国」(かずさのくに)を通り抜けて「安房国」(あわのくに)へ足を踏み入れたという感覚が浮き彫りになり始めるのだ。

 JR外房線の駅名を眺めてみれば、自分が総州から房州へ入り込みつつあることの明確な証拠を手に入れることは容易である。「安房小湊駅」「安房天津駅」そして終点の「安房鴨川駅」まで、口喧しく感じられるほどに当地が「安房国」の版図であることを此方へ訴え掛けてくる。

 外房線が海沿いを走るか、内陸に沿って走るか、ただそれだけの違いで印象ががらりと変わったに過ぎないのかも知れないが、勝浦から南へ入ると、温暖な光が降り注ぐように感じられる。農業よりも漁業の香りが色濃く私の鼻腔を擽り始める。この辺りまで来ると、住宅などの建物が犇めき合っている海側の風景と、がらんとして人間の気配が疎らな山側の風景との間に歴然たる違いが目立つようになる。

 良くも悪くも、千葉県は海の国である。尤も、そうした事実は、松戸に住んでいた頃は少しも意識する局面に恵まれなかった。雄渾な江戸川の風景は見慣れても、潮風の匂いを嗅ぐ機会は、あの常磐沿線の地域では得難いものだ。だが、総武沿線は船橋にしても千葉にしても、海までの距離が近く、広大な外界へ向けて無限に開かれているような印象がある。海岸線から遠く離れた国道十四号線の北側に住む私の家のベランダにも、夏場の蒸し暑い日には、噎せ返るような磯臭い空気が爛れた妖怪のように押し寄せてくる。

 安房鴨川駅から無料の送迎バスに乗り、鴨川シーワールドの敷地に隣接するオフィシャルホテルへ辿り着き、フロントで荷物を預ける。宿泊台帳に素性を書き入れ、入園のフリーパスを受け取って戸外へ出ると、眼下に広大な太平洋の紺碧の水面が煌きながら現れた。一月の寒々しい季節ではあっても、遮るもののない海原と砂浜へ降り注ぐ目映い陽光は文句なしに温かく、夏場ならば眩暈を覚えるほど劇しい光の氾濫に襲われるに違いないと思う。

 日頃、海を見る機会に乏しい、厳密には全くない私のような人間には、鴨川の岸辺から眺める太平洋の広々とした青さは、それだけで特別な世界に降り立ったような感興を齎すものであった。幾つもの波頭が果てしない干満の反復を示し、遠くの方では盛り上がって波に変わろうとする水面の紺碧の隆起が無際限に生み出され続けている。その単調で無機的な眺望には、異様な迫力と魅惑が備わっていた。水平線の向こうには何も見えず、ここが陸地の最果てであることを暗黙裡に物語っている。それは不思議な感覚だった。

 それなりに都市化された世界だけに閉じ籠もって日々過ごしていると、こういう自然の風景が齎す感興に対して無防備になる。何と言えばいいのか、人間が掃いて捨てるほど蠢いている都会の息詰まるような風景に、時々嫌気が差すことがあるのだ。そうした厭世的な理由から田舎暮らしへの美化された憧憬に心を焦がす人は大勢いるだろう。肋骨を折られるんじゃないかと危惧せずにはいられない通勤ラッシュの満員電車に来る日も来る日も揺られている人々は特に、人間の匂いを嗅いだだけで反吐が出そうになることもあるのではないだろうか。駅や街中で起きる不毛な啀み合いや下らない喧嘩の類は総て、人間が密集し過ぎていることに由来する現象なのではないかと思う。余りに過剰な人間の集団は、私たちの精神を耗弱へ追い遣る。

 無論、余りに人が疎らな世界に暮らすのも淋しいもので、私自身は隣家と何キロも隔たっているような僻地へ移り住むことになったら、きっと堪えられずに逃げ出すだろうと思う。例えば先ほど少し触れた勝浦などは、市域全体の人口が直近では2万人を割り込んでおり、過疎化地域に指定されているという。豊かな海の幸に恵まれながら、人口の減少に歯止めがかからない古びた田舎町は、日本中に点在しているだろう。いや、寧ろそうした地域の方が多いのかも知れない。東京から余り離れていない地域で暮らしていると、あの満員電車の風景が平均的な日常のように感じられるが、本当はそれは日本の典型的な現実ではないのかも知れない。そう考えると、自分の「日本」に関する種々のイメージに一体どれほどの価値と精確性があるのか、随分と疑わしくなってくる。

 少しの間、明るい海岸の眺望に眼を凝らした後で、私たちは時季外れで人影の疎らな鴨川シーワールドへ足を踏み入れた。