読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

書斎と機械人形

 縁があって「本が好き!」という書評サイトに、過去にこのブログでアップした読書感想文の類を幾つか転載し始めている。

www.honzuki.jp

 古びた書棚から、暫く手つかずのまま放置していた本を引っ張り出して埃を払うように、こうして過去の記事を漁って転載の作業を進めていると、我ながら、たった一年半ほどの間に随分と色々な文章を認めて、恥も外聞も構わずにネットの大海原へ公表し続けてきたのだなと、大仰な感慨に浸りたくなってしまう。

 だが、所詮は塵芥の類だと自虐的な気分にも絡まれるのが実情であり、彼是と書き散らしたような積りでいても、長年の書き手に比べれば微々たる分量であり、書評を綴ったと言っても、私の読んだ本の総量なんて高が知れているのだ。

 生きることは読書とは違う。生きることはもっと割り切れず、計り知れず、騒々しいものである。それなのに、彼是と背伸びして、手を伸ばして、見知らぬ書物の魅惑的な外貌に吸い寄せられることを辞さないのは、私の心が、もっと広大な世界を欲していることの紛れもない証左なのだろうか?

 これから、世の中はどんどん移り変わっていき、様々な業種や職種において、効率的な「機械化=情報化」の圧力は高まり続けるに違いない。今まで当たり前のように存在した職業の大半が人間の手から奪われ、人間よりも遥かにタフでスマートな一群の機械的組織によって独占されるようになることは最早、必定の運命なのである。そういう、或る意味では苛酷な時代に、人間としての生活を送り、営んでいく為には、単なる労働者の境遇に甘んじているだけでは余りに能天気であろう。機械化=情報化の爆発的な進展は、単なる哲学者の「酔狂」の範疇を超えて、もっと即物的な形で、私たちに「人間であること」の意味を問い詰めてくるに違いない。機械の代わりに人間へ賃仕事を宛がうのは、かつての奴隷制度と同じく、人権思想に抵触する許し難い「犯罪」として裁かれるようになる。そのような未来の靴音は、未だ微かではあるが、着実に響き始めている。私たち「人類」に残された領域を深々と耕し、豊饒な稔りを得る為には、単純な「労働」からの逸脱が求められるのである。

 本を読み、読み取った事柄に就いて入念に思索を巡らせること、それこそが新時代の人類の基礎的な作法になる。その意味で、私はこれからも、読むことと書くことの間で、下手糞な踊りを演じ続けたいと思っている。