サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

二〇一七年四月の端書(銭金の亡者)

 読むことに熱心でいると、次第に書くことが疎かになるのは、難しい問題であるとも言えるし、当然の問題であるとも言える。読むことと書くこと、何れが劈頭を飾るべき要素であるか、わざわざ小難しく考えずとも、読むことが先決であるに決まっている。生まれてから一文字も読まないで、自在に文字を書き綴り、自分の思考や雑念の不安定な航跡を眼に見える形に置き換えるなど、出来る筈もない。

 先ほど、漸く勇気を振り絞ってAmazonアフィリエイト・プログラムに登録の申込みをした。以前にも一度試みたことがあったが、極めて微々たるアクセスしか集められない分際で、目先の金を欲して、そういう社会的な仕組みに手を出すのは、卑しく浅ましい心根であるような気がして、踏ん切りがつかなかった。それから暫く経つ。以前に比べれば、読者登録の数も増え、アクセスの平均値も上がった。そろそろ、図々しい行為に及んでも、看過される頃合いではないか。無論、今でも「サラダ坊主日記」が「零細」の称号に相応しい水準の運営状況であることは否み難い酷薄な現実であるが。

 審査を無事に通過出来るのか分からないが、自分の書いたものが少しでも経済的な利潤に繋がるかも知れないという希望(全く漠然とした希望だ)を持つことは、少なくとも悪い気分ではない。尤も私は、濡れ手に粟の大儲けを志すほど、愚昧な脳味噌の持ち主ではないと一応は自負しているので、ブログの記事で飯を食おうなどと、気宇壮大な妄想に現を抜かすことはないと断言し得る。ただ、千円でも二千円でも、或いは数百円であっても、つまりキャスターマイルド一箱分の金銭でも、本業以外の経路で捻り出すことが出来たら、苦しい家計の足しにもなるだろうという、実に慎ましく純朴な根性の為せる業なのである。

 本を読み、感じたことや考えたことを文章に仕立てて、ネットの海原に浮かべて見ず知らずの衆目に晒す。それだけでも随分と厚顔無恥の所業であることは疑いを容れないし、そうした自己顕示欲が既に充分浅ましいものであることは無論、理解していない訳ではない。だが、そうした欲望を、他人の眼を殊更に気に病んで腕尽くで封じ込めるのは、いささか不健全な選択であり、心身の健康には余り好ましいとも思われない。

 最近は余り、アクセスの増減ということが気にならなくなった。それより、熱心に本を読んで、その感想を書くという極めて個人的で地道な作業に精励したいという気持ちが強い。だから、ブログの更新頻度が鈍っている訳だが、それで誰かに迷惑を及ぼす気遣いもない。淡々と日々を暮らし、そして小銭を稼ぎたい。稼いだ小銭で莨一箱、書籍一冊の費用が賄えるなら、それだけで見える景色の質は変わってくるだろう。

 この言い訳がましい文章は、アフィリエイトの審査に通った暁に、俄かにブログの記事へAmazonのリンクが濫造され、狭い世間からサラダ坊主も結局は金に眼が眩んだ愚者に過ぎないかと呆れられることを危惧し、その際の読者諸賢の冷酷な視線を少しでも和らげようとする、消極的な保身を目的として著述されたものである。審査に落ちた場合には、単なるほろ苦い想い出の破片として、雪融け水の奔流の彼方へ消え去るであろう。家計の足しなど見果てぬ夢、結局は単なる電気代の濫費という虚しい宿命の前に、情けなくも跪くことになるかも知れない。