サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主日記 500記事達成記念の辞

 昨日の村上春樹ねじまき鳥クロニクル」に関する拙劣な感想文を以て、このブログの記事投稿数が500件に到達した。

 無論、記事の数など幾らでも水増しが可能であり、実際にこのブログにアップされている記事は玉石混淆、或いは石ころばかりというのが実情であるから、500件に到達したことを何らかの有為な成果のように誇示するのは馬鹿げた振舞いである。だが、日記の書き手の立場から眺めれば、曲がりなりにも永久の中断に雪崩れ込むことなく、こうして500件の記事を書けた、投稿出来たという事実は、一つの里程標のような重みを備えて、ささやかな感慨を齎す。不毛な愚行を延々と継続することは、百害あって一利なしかも知れないが、たとえそれが世間の多数派の意見であったとしても、少なくとも私自身にとっては、これは一つの喜ばしい達成であり、孤独な栄光なのである。

 この「サラダ坊主日記」というブログは、平々凡々たる一般市民である私の思考と経験の断片的な記録であり、従って本来ならば誰にも関心を持たれる筈のない個人的なノートのようなものである。だが、普通ならば自宅の抽斗にでも仕舞い込まれて一切脚光を浴びることなく朽ち果てていく筈の文章が、こうしてブログというサービスを経由して衆目へ公開されることによって、見ず知らずの他者の眼に触れ、場合によっては何らかの感想を呼び覚ますという素朴な事実は、驚嘆すべき奇蹟であると言わざるを得ない。この事実は、私の書き物が価値を有しているということではなく、純粋な偶然の賜物として形成されている。私の脳味噌の皺から滲み出した主観的な想念の束が、全く意想外の人々の心に届き得るという可能性は、私の心にささやかな幸福を与える。

 2015年8月25日に開設して以来、営々と文章を認めてネットへ投稿するという地味な作業を積み重ね続けて、未だ二年も経っていないというのに、知らぬ間に随分と遠くまで旅してきたような錯覚に囚われることも一再ではない。たった一年前に書き遺した文章が、今になって読み返すと赤の他人の遺言のように感じられるのは、何も変わらない退屈な日常を掻き分けて泳いでいる積りでも、やはり何かしらの変化を少しずつ刻みながら生きていることの間接的な証左であろう。少なくとも脳味噌が働き、眼が見え、指が動く限りは、この調子でブログ運営という地道な趣味に日々の労力と時間の一部を割いていきたい。書き遺すことは、自分の人生を深く理解することに通じる。その崇高な意義を、私は静かに咬み締めていたい。