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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「鯨」に捧げられた「聖書」のごとく ハーマン・メルヴィル「白鯨」に関する読書メモ 3

 どうもこんばんは、サラダ坊主です。

 先日、遂にハーマン・メルヴィルの「白鯨」(岩波文庫・八木敏雄訳)下巻を読み終えましたので、ここに感想の断片を遺しておきたいと思います。

 上巻と中巻に関する感想文の記事で触れた内容と重複する部分も出て来るかも知れませんが、御了承下さい。

 メルヴィルの「白鯨」には、古今東西の文献から引かれた故事や学識が無数に象嵌されています。別けても「聖書」からの引用は実に夥しく、この書物キリスト教社会の風土で育まれた作品であることを如実に示しています。

 キリスト教に関する知識も、聖書を繙いた経験も持たない私には、それらの引用の意味、或いは本歌取りの面白さを直ちに把握し、理解することが出来ないのが残念です。

 この小説は、キリスト教聖典ギリシア・ローマ時代の古典から引かれた無数の故事と共に、鯨に関する様々な雑学的知識の象嵌によって構成されています。それがメルヴィルの語り口に途方もない熱量を附与する一つの原因として働いている訳ですが、そうした引用の技術を丸ごと削除してしまったとき、この作品が極めて平明で単純な物語に変貌してしまうであろうことは、容易に想像がつきます。

 筋書きだけを純粋に抽出してみるならば、この「白鯨」という作品の描き出す物語の構造は極めて簡明な代物です。モービィ・ディックとエイハブ船長という二つの異様な存在の相剋を主軸に、一艘の捕鯨船が辿る悲劇的な末路を描いた物語、という具合に要約するのは簡単な作業です。しかし、その物語的な構造だけを淡々と活写するだけならば、岩波文庫で三冊という長大な分量を費やす必要性は生じなかった筈だと言い得るでしょう。言い換えれば、この単純な筋書きそのものに「白鯨」という作品に固有の文学的生命力の根源が宿っている訳ではないということです。

 この作品は、エイハブとモービィ・ディックという宿怨によって結び付けられた二個の存在の対決を描いていますが、実際に両者の対決の場面に対して割り当てられたページの分量は極めて僅少であり、終盤の三章だけに過ぎません。長短は様々であるとはいえ、総計で百を超える章節を含んでいる「白鯨」において、その比率は極めて小さいと言って差し支えないのではないでしょうか。

 物語を駆動する重要な核心と看做すべきモービィ・ディックとエイハブの相剋に僅少な枚数しか割かない代わりに、作者は夥しい数の「鯨」に関する知識を、縦横無尽に鏤めて、その為に「白鯨」という作品の物理的な規模は過剰な膨張を示しています。逆説的な言い方ですが、メルヴィルは白鯨とエイハブとの対決という物語的な「絶頂」に対して、然したる関心は有していなかったのではないでしょうか。飽く迄も私見ですが、「白鯨」に対する強烈な「畏怖」や「憎悪」に関する厖大な記述とは対蹠的に、実際に白鯨そのものの登場する場面は僅かであり、エイハブの死は極めて簡潔な仕方で提示されるに過ぎません。作者が主要な関心を持っていたのは、飽く迄も一つの崇高なイデアとしての「鯨」(The Whale)の現実的な諸相を余さず書き尽くすことであって、その野望の重要性に比べれば、「白鯨」という作品を構成する物語の骨格は、作者にとっては単なる体裁、表層的な飾りのようなものに過ぎなかったのではないかと、疑いたくなるほどです。

 言い換えれば、この作品は「鯨」に関する非学術的な論文のようなものであり、そもそも「小説」という文学的様式に対する忠誠など持ち合わせていないのです。或いは、次のように言えるかもしれません。作者は飽く迄も「鯨」という特権的な主題に、あらゆる角度から照明を当てて、その現実的な諸相を語り尽くすことに全身全霊を捧げており、その目的を実現する為に、あらゆる言語的な技法を駆使することも躊躇わなかった、その結果として「白鯨」という作品が従来の文学的な区分や範疇から逸脱してしまうことにも、特別な関心を払わなかったのだ、と。

 その意味で、メルヴィルは「鯨」という崇高な生物と、それに附随する「捕鯨」の世界に就いての「聖書」のようなものを創造し、編纂しようとしたのではないかと、私は考えています。「白鯨」の文中には夥しい数の「聖書」からの引用が刺繍のように埋め込まれていますが、豊饒な挿話や故事を含み、多様な人物の多様な言行が記録されている「聖書」の内容が、悉く「神」という特権的な主題に向けて捧げられているように、メルヴィルの「白鯨」もまた、その総ての細部に至るまで「鯨」という特権的な主題に向かって差し出されています。そして「神」を語る為に「聖書」が多彩な編集的工夫を凝らし、斬新な形式の開発に励んでいるように、メルヴィルの「白鯨」も、八方破れの「逸脱」や「混淆」に傾斜してでも「鯨」の諸相を全面的に浮かび上がらせることに注力しているのです。

 

白鯨 下 (岩波文庫 赤 308-3)

白鯨 下 (岩波文庫 赤 308-3)