サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

物書きの為の苦い良薬 ショウペンハウエル「読書について」

 どうもこんばんは、サラダ坊主です。

 ドイツの哲学者ショウペンハウエルの「読書について 他二篇」(岩波文庫・斎藤忍随訳)を読み終えましたので、ここに感想を記しておきます。

 とはいえ、この薄い一冊の書物は、一度通読したらそれで済むというものではなく、絶えず座右に置いて定期的にページを捲り、初心に帰る為の便として用いるべき性格の文章であると言うべきでしょう。この書物に刻み込まれた内容は、本を読んだり文章を書いたりすることに関わりを持つ総ての人々にとって、重要な示唆と教訓を豊饒に含んでいるからです。

 ショウペンハウエルが、この本に収められた三篇の文章を認めたのは、今から150年以上も昔のことですが、月並みな表現を用いるならば、これらの文章は少しも古びていません。彼がドイツの文筆家たちに対して下した鉄鎚のような批判はそのまま、情報化社会と呼ばれる現代社会の実情に対しても見事に当て嵌まります。それはショウペンハウエルが預言者だったからではなく、その思索が事物の本質的な部分へ到達するほどの鋭さと深さを有していたことの結果です。

 その辛辣な批評的文章を読むと、思わず冷汗が流れそうになります。「著作と文体」と題された一篇から、具体的な事例を挙げてみます。

 第二のタイプに入る人々は金銭を必要とし、要するに金銭のために書く。彼らは書くために考える。彼らの特徴は次のとおりである。彼らはできるだけ長く思想の糸をつむぐ。真偽曖昧な思想や歪曲された不自然な思想、動揺常ならぬ思想を次々と丹念にくりひろげて行く。また多くは偽装のために薄明を愛する。したがってその文章には明確さ、非の打ちようのない明瞭さが欠けている。そのため我々はただちに、彼らが原稿用紙をうずめるために書くという事実に気がつく。我々の愛読するもっともすぐれた著作家にさえもこのような例を見いだすことがある。たとえば部分的にはレッシングの演劇論やジャン・パウルのいく篇かの小説でさえそうである。このような事実を認めたならばただちにその本を捨てるべきである。時間は貴重である。しかしおよそ著者が原稿用紙をうずめるために執筆を開始すれば、それだけでただちに完全に読者をあざむくことになる。他人に伝達すべきものがあるから筆をとるのであると詐称することになるからである。報酬と著作権侵害禁止の二つは文学を破滅させる基である。(P26)

 余りにも苛烈であるがゆえに、ほんのりとしたユーモアさえ感じさせる、このショウペンハウエルの清々しい批判に、屈折した迂遠な文章を好んで書く私などは、精神的な苦痛さえ覚えてしまいます。しかし、作者の筆鋒は苛烈であるのみならず、極めて明快で犀利である為、感情的な反駁を試みようにも、その手立てが思い浮かびません。引き攣った笑顔で、その御高説を拝聴する以外に、選択すべき途が見つからないのです。それほどショウペンハウエルの文章には、本質的で普遍的な「思索」の精髄が濃密に含まれています。

 本を読んだり、文章を書いたりすることは、教養主義的な観点から、実に素晴らしい営為であると喧伝されることが少なくありません。しかしショウペンハウエルは、そのような尤もらしい俗論に対して、無遠慮なほどに直截な攻撃を加え、その愚昧な観念に痛烈な殴打を授けます。

 読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、ほっとした気持になるのも、そのためである。だが読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。(「読書について」P127-P128)

 手垢に塗れた表現であることを承知の上で言わせてもらいますが、ショウペンハウエルが一貫して主張しているのは「自分の頭で考えること」の重要性です。読書においても執筆においても、彼が執拗に糾弾の矛先を向けるのは「思索の不在」という忌まわしい状態に対してなのです。ただ本を読むだけでは何も考えたことにならず、要領を得ない長文を幾ら頑張って書き上げたところで、それは思索の欠如を意味することにしかならないと、彼は熱心に訴えているのです。読むことも書くことも、考える為の手段に過ぎないと、ショウペンハウエルは信じているのでしょう。

 仮にも文筆に関心を寄せる者ならば、この書物に記された思想を避けて通ることは不可能であると言えるでしょう。尤も、この苛烈で清廉な教えを守り通すことは、誰にとっても容易な業ではありません。しかし、重要な指針として時折、この書物を読み返すことは誰にとっても有意義な時間であると思います。

 最後に、これは私の曲解に過ぎないのですが、ショウペンハウエルの徹底して辛辣な筆致は若しかすると、諧謔の一種なのではないでしょうか? 毒舌を揮いながら、意地の悪い哄笑を炸裂させる作者の表情が眼裏に浮かぶような気がするのは、私だけでしょうか?

 以上、サラダ坊主でした。

 

読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)