サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「悼むこと」に就いて

 余り具体的なことを書くと差し障りがあるので、詳細は省くが、今日、勤め先の店舗の固定電話に、常連の御客様(仮に「Sさん」としておこう)から、私宛てに電話が掛かってきた。

 最近、余り顔を見なかったので一頻り久闊を叙した後に、Sさんは今度の日曜日にオードブルを作ってもらうことは可能かと私に訊ねた。事前に予約してもらえれば、予算や食べる人数に応じて見繕いながら用意出来る旨を伝えると、Sさんは唐突に、母親が「旅に出てしまった」と言った。一瞬、発言の意図を掴みかねた後で、いつも一緒に買い物に来ていた老齢の女性の姿を眼裏に想い描き、母親が亡くなったという意味だと悟った。日曜日に焼き場へ行くので、その都合でオードブルが入用になったという訳だ。母も貴方のことを気に入っていたから、貴方の店で頼めるのならば頼もうかと思ったのだけれどと、Sさんは言った。私は咄嗟に何と答えればいいのか分からず、恥ずかしながら当惑してしまった。

 一通り事務的な遣り取りを終え、向こうが電話を切ろうとする気配を感じたところで、私は受話器に向かってSさんの名前を呼び、自分は不勉強で、こういうときに、どういう言葉を掛けて差し上げればいいのか分からないのですと告げた。するとSさんは穏やかな口調で、こういうときは「御力落としのないように」と言えばいいのよと教えてくれた。私が改めて「Sさま、どうか御力落としのないように」と告げると、Sさんは私の名前を呼び、「ありがとう」と咬み締めるように答えた。

 自分が未熟な人間であるということ、それは例えば、こういう局面での咄嗟の対応に表れるのだろうと、電話を切った後で静かに考えた。帰り道も、何かの拍子に昼間の一件を思い出し、誰かを「悼む」という経験が、或いは不幸に見舞われた人を「慰藉する」という経験が、自分には欠けているのだなと痛感した。

 勿論、身近な誰かを亡くすような経験は、少ない方がいいに決まっている。だが、私の両親も数年経てば七十の坂へ差し掛かるし、今は元気でも何がきっかけで躰を壊したり、堰を切るように三途の川を渡ってしまったりするか、それは誰にも予測し難い話だ。自分自身が齢を重ねていくほどに、知り合いの訃報の数は着実に増えていくだろうし、その度にどうにもならない悲哀と踵を接することになるだろう。私は未だ、自分の親が存在しない世界を経験したことがない。生まれてこの方、一度も親の不在を味わったことがない。考えてみれば、それは少しも当たり前の状態ではないのだ。

 誰かが死ぬということ、それ自体はこの世界では有り触れた出来事で、戦争やテロリズム、事件や事故、病気や老衰など、様々な原因に荒々しく踏み躙られるように、人間の生命は容易く散ってしまう。だが、本来エゴイスティックな存在である人間は(私を筆頭に)遠い他人の死を生々しい事件として感受する力を有していない。けれども、あらゆる「死」には必ず「当事者」が附随しているものであり、そこには深甚な絶望や悲哀が必ず刻み込まれている。

 そうした「死」との付き合い方や「作法」に関する活きた知識も具体的な経験も、今の私には欠けている。それが三十一歳という年齢ゆえの「幸運」の賜物であることは事実だが、何れにせよ、その「幸運」が私の人間的「未熟」の温床であることは否定出来ない。「死」というものと半ば無関係に存在し、生きているという相対的な現実が、私という人間の軽薄な側面を形作る原因として働いている。それを具体的に革めることは出来ない。自ら「死」との関わりを望むのは、倫理的な意味で不健全であるからだ。だが、人間としての成熟を企てるのならば「死」との関わりは何れ、避けて通れぬ道程として私の行く手に立ち開かることになるだろう。

 死者に寄り添うこと、或いは遺族の哀しみを自分のことのように引き受けること、それが人間的な価値の重要な側面であることは論を俟たない。大事な存在を失った人に向けて投げ掛けるべき常套句の一つも弁えないようでは、幾ら馬齢を重ねたところで「餓鬼」のままである。それでは駄目だ、もっと学ばなければならない、もっと成長しなければならない、というのが、今日の私の「気付き」であり、反省点である。