サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「勇気」に就いて

 勇気を持つことは、誰にとっても簡単な行為ではない。勇敢であること、様々な艱難を懼れないこと、不安や絶望に呑み込まれないこと、あらゆる先入観を信じないこと、これらの崇高な資質は、万人によってその意義を承認されながらも、実践の現場においては様々な艱難によって打ち砕かれ、その全面的な発揮を妨げられている。

 勇気というものは、不透明なものに対する挑戦の気概である。従ってそれは、直ちに無軌道な蛮勇へ堕落する危険を孕んでいる。だが、考えてばかりいることが、つまり何も行動を起こさずに観念的な妄想に似た推論ばかりに日月を費やすことが、蛮勇よりも正当であり、健全であると言えるだろうか? 実際に行動して確かめてみること、不安定で陰惨な未来図を覆せるかどうか、具体的な実践を通じて、生身の肉体を用いて探究すること、それは無意味な思索の何倍も稔り豊かな選択である。行動を忌避する人間に限って、尤もらしい、聞き齧っただけの半可通のロジックで、何もかもを見通した預言者の如く振舞いたがるものだ。言い訳、釈明、自己弁護の為に用いられる、退屈で意味の通らない、泡沫のような論理の群れ。真実を掘削する為ではなく、寧ろ真実を積極的に糊塗し、恣意的な虚飾によって蔽い隠す為に組み立てられる、馬鹿げた言葉の伽藍。そういうものを蹴散らすことが出来るのは、単純な真実に直面することを辞さない「勇気」だけである。勇気とは即ち、真実を懼れないこと、偽りを真実と混同しないことなのだ。