サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

小説「夏と女とチェリーの私と」 1

 河原町四条の繁華な通りを、私は黙って歩いていた。夏の日のことである。

 塾の講師とは言いながら、要は時給で雇われた使い走りで、何しろ二十歳になったばかりの若造である。鍋底のような、茹だる暑さに全身を苛まれて、とぼとぼと歩きながら、私は無性に闇雲であった。心の奥底には、何だか冷え切った塊のようなものが凝っていて、然しその心情の正体は、定かではない。

 本当は此間まで、百万遍の交差点を渡る無数の自転車に跨った若者同様、私もきちんとした大学生の御身分であったのだが、授業には碌に出ず、雀荘に入り浸ったり、馬券を握り締めて淀の芝生を駆け抜ける、立派な体躯の馬の尻ばかり追い掛けたり、酔い潰れて烏丸御池の道端にラーメンの切れ端やら、お好み焼きの残骸やらを吐き出したり、全く殊勝な心根と無縁の暮らしで、軈て大学の事務室から、親に連絡が入った。金沢に暮らす両親は悲嘆の深淵に沈み込み、すっかり擦り切れた、縋るような声で、後生だから学校へ通えと促したが、こっちはてんで聞いちゃいない。親に恨みがある訳じゃないし、高い学費を払ってもらってる手前、反抗するなど言語道断の不孝者だが、いかんせん、内なる夜叉に唆されて、どうにもこうにも抜き差しならない放蕩の日々に、頭から減り込んでしまうのだ。それがどんな素地の上に築かれた、堅牢な人格であるのか、皆目見当もつかない。気付いたときには、もう出来上がっていた性分なので、親に叱られ、事務室の助手に優しく諭されても、少しも態度は改まらず、雀荘の常連であり、居酒屋の傍迷惑な上客である御身分に、変更は生じないのであった。

 情け無いと思わないではなかったが、どうにも身の内を灼き焦がす衝動には逆らえず、下らぬ日々を送りながら猶も学校へは通わず、成人式で郷里へ帰った折に、愈々親父が腹を立て、私の頬を張り倒して辞めちまえ、今すぐ働くがいいと口角泡を飛ばした。流石の私も、日頃は温厚な父が阿修羅の形相で徳利を壁に叩きつけ、零れた酒が畳へ染み入るのも構わず、私の胸倉を掴んで振り回そうとするので、観念しない訳にはいかなかった。愛する親に、何時までも無駄金を払わせておくのも本意ではない。況してや、退学することには吝かでないのだから、御互いの幸福の為に、学生稼業から足を洗うのは適切な措置であるように思えた。母親は溜息をガスボンベのように堪えて、失望を総身から滲ませていたが、親父の決めたことであれば、此れ以上の論議は家庭の秩序を壊すばかりと諦めたのか、泣き言を漏らすぐらいの反応に落ち着いた。親不孝という言葉は、私の代名詞のようなもので、一族の金看板に泥を塗りたくる悪評は、遠くの親戚の耳にも、蜜のように入り込んでいた。

 どうにもならない衝動を、世間は、或いは古人は、若気の至りと呼ぶ。何とも使い勝手のいいクリシェで、私は私自身を周囲から、意識の上でだけでも、庇おうとしていた。驕慢な自意識で、他人の尤もらしい正論を、受け流すことに精励していた。悪質な若造である。そうやって得られるものなど、本当は何もないのに、それで万事が解決すると決め付けていたのだ。

 然し、流石に学生という野放図な免罪符を取り上げられて、ふわふわと浮足立ち、それでも猶、自堕落に暮らせるほど、この心臓はタフではなかった。雀荘へ足繁く通う悪習も、仕送りを停められては、そうそう続けられるものではない。幸いにも、世間様には、どんな言い訳だって通用する。親が病気で、介護をせねばならんので、金沢へ帰ることになりました。然し、兄がそれを不憫に思い、京都へ残りなさいと言ってくれました。勉強を続けようと、思ったのですが、兄に迷惑ばかり掛けられず、一旦は退学して、働きながら学び直し、来年にでも受験をしようと思います。何だか筋が通っているのだかいないのか、はっきりしない出任せで、幾つか面接を渡り歩くうちに、五条坂の近くの予備校へ勤めることになった。といっても、正規の職員ではなく、時給で雇われた居候のようなものである。しかも、その予備校は一流でも大手でもなく、それほど優秀な子供が集まるような条件は整っていない。

 中学生から高校生まで、クラスの顔触れは様々だが、私が主に受け持ったのは、高校受験を控えた中学三年生、しかも、そんなに志の高い連中でもない。彼らは、誰もが通うものだから、親に強いられて、逆らい難くて入ってきたのだ。中には、帰りの夜道で莨を吸っていたり、シンナーを浴びたりする酷い奴も混じっていた。学校の教科書に落書きしかしないくせに、高い金を払って予備校へ通う、その目当てが、学校とは異質の友達付き合い、望めることなら女の子でも引っかけようという浅ましい魂胆であり、そんな連中に何を教えてやることがあるかと、最初は憤ることもあったが、次第に分かってきたのは、自分も彼等と同じ穴の狢であるという真実であった。そもそも、予備校自体が、本格的に整備されたものではない。街角の私塾に腋毛が生えたぐらいのもので、クラスの分け方も雑であり、高い目標や息苦しいほどの情熱に煽られて瞳を輝かせる子供などいない、皆漫然と、暇潰しのような積りで通うから、出席率の変動が尋常じゃない。二箇月ぶりに逢って、黒髪眼鏡の清楚な女の子が、金髪ピアスの垢抜けた女の子に様変わりするくらいの変異は、当たり前に起きた。彼女は、その塾で彼氏を作り、そのうち辞めた。国語が好きな女の子だったが、彼氏の影響に遣る瀬ないほど染まり、下手な音楽に目覚めて駅頭でギターを掻き鳴らし、甘ったるい子供騙しの歌で衆目を集めることに快感を覚え、夢中で低俗な歌詞を書き散らすようになってしまった。

 

 あなたがいない翳った部屋で

 レモンハイを作るわ

 冷たい銀のマドラー

 窓辺で眠る黒猫のペニスみたい

 

 若いうちは、付き合う人種によって属性が深刻な変貌を遂げる、此れは珍しいことではないし、彼女の「創造的進化」に難癖をつけても始まらない。大学に入ったのに、雀荘へ通い詰めて講義には出ず、済崩しにフリーターの日々に転落した私と、何も変わらないのだから、責める筋合いはなかった。マドラーとペニスの組み合わせも、別に色情狂という訳ではない。単に彼女のなかの、眠っていた芸術的野心が、唐突に火を噴いただけなのだ。笑ってはならない。彼女は真剣そのものだった。麦藁帽子の中に投げ込まれた通行人の錆びた十円玉に、その瞳は明るく瞬き、喜ぶのだ。先生、素敵な歌詞だと思わない? だってさ、あたしの家の黒猫のおちんちん、勃ったときでも、マドラーみたいに痩せてるんだもん。だから、これはリアリズムなのよ、分かるかな、先生、写実主義って。

 彼女の可愛い飼猫の性器がどのような形状であろうと知ったことではないが、そもそも芸術が人の顔色ばかり窺い、人の好みにばかり阿る義理もないのだから、別に構わないのだ。彼女がどんな歌を芸術と呼び、そこに魂の充足を感じるのなら、その歌声から発せられる光は本物だろう。

 却って、優秀過ぎる子供の方が、壊れ物のように危うく見えるときがある。父親教育委員会の人間で、母親が大学職員という、いかにも白墨臭い家の長男坊が、私の受け持ちに入っていた時期があり、確かに紛れもない秀才の卵で、賢いのだが、その賢さは、狭い世界で磨き上げられた宝珠のようなもので、本当の挫折を知らないから、当然、傷の痛みも知らない。割れて、砕け散ることに慣れていない魂というのは、危ない。良心的な子供の、秘められ、閉ざされた胸の奥底に、眠っている魔物の顔色を、想像するだけで痛ましくなり、ぞっとする。

 悪人正機という、有難い親鸞さまの遺訓を、私の耳は聞き齧ったことがあるだけに過ぎないが、その言い分は何となく見えないでもない。傷つき、腐りかけ、物事の裏側へ沈み込んだ人間の瞳に、却って世界の根源から湧き出る清水のような希望が映じるという可能性を、私は蔑ろにしない。寧ろ、そのようなパターンの方が安心するのは、この魂自体が、どちらかと言えば落伍の方角へ傾斜している為であろうか。固より、綺麗ごとなど好みじゃないし、道徳的な生き方に憧れる物好きでもないから、私は悪事からの恢復、暗闇からの蘇生、そういった筋書きに縁取られた日々を、愛するのかも知れない。親近感を覚えるのは大抵、駄目な部分がある子供で、然しそれも度を越すと手に負えないから、途端に疎ましく、嫌になってしまう。例えば、その国語好きの歌唄いの女の子も、可愛らしいと思えなくもなかったが、自分自身の情熱に偏り過ぎていて、いつしか私は見放していた。だから、辞めたのだろうか。見放されることに、大抵の子供は敏感だから。それが生死に関わるほどに、子供というのは繊弱な生き物だから、どうしたって敏感にならざるを得ないのだ。

 男の影響に過度に染まるというのも、結局は寄る辺ない心情が常に胸の内へ蔵われているからであって、その空洞のような寂しさを想うとき、私はいつも居た堪れなくなる。いや、厳密には、常時というほどではない、蜉蝣のように儚い「共感」であり「憐憫」だ。その程度の慈愛しか、塾講師のバイトである身分では、懐きようがない。見捨てられた哀しみが、彼女の心を酸のように侵し、蝕み、そして学業への情熱を痩せ衰えさせ、眠らせてしまった。それは私の罪であり、彼女の罪であり、世の中の、世界の罪だ。

 古い話は、もう止そう。いや、この後も続いて語られるのは、古びた日々の話であり、記憶の断片であるから、変わらないのだが、些末な過去の細々としたピース、行き着くまでの経緯に、筆を費やしても墨汁の無駄である。夏の日のことを、話していたのであった。