サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

小説「夏と女とチェリーの私と」 2

 二十歳の私は、蒸し暑く物狂おしい京都の日盛りの道を、黙々と歩いていた。大学を辞めて、空っぽになった身も心も、持て余しながら、耳障りな喧噪、人々の話し声、生温く湿った熱風、熱り立つような陽射し、それら様々な事象の混淆に、打ちのめされるように歩いていた。鴨川へ向かって東へ、とぼとぼと、だらしない足取りで歩いていたのは、私の心に一つの野心が芽生えた為で、要するに或る女性を好きになったのに、それを具体的な関係へ推し進める重要な一歩が、何も思い浮かばなかったのだ。若者らしい情熱に浮足立つばかりで、どうしたら、触れ合えぬ肌、絡まない指先を、繋ぎ合わせられるのか、もどかしい想いに鬱々としていた。その日は、午前中だけ授業の受け持ちがあり、国語と数学、一コマずつ教えた帰りで、地下鉄で四条まで来たところで、何の宛がある訳でもないのに、脚が自然と生温かい地下のプラットフォームへ逃げ出した。腹が減っていて、何か冷たい麺類でも啜りたいと、躰が疼いていたが、頭の方は然して食欲になど関心がない。

 同じ予備校の先輩講師であった彼女は、私よりも三つほど年上で、大学院の修士課程に通う才女であった。専門は物理学、別けても光学的な研究とやらに携わっており、然し研究者の卵に似つかわしい地味な、陰気な印象など少しも感じさせない、朗らかで円満な気質の人だ。職員室、というほど大した部屋でもない、狭苦しい事務室の一角で、偶然机を並べる機会に恵まれ、二言三言交わし、互いの素性に就いて当たり障りのない情報を交換することから始まった、ささやかな交情は、傍目には有り触れた、袖の触れ合いに過ぎないだろう。然し、私にとっては、何とも甘酸っぱい、奇蹟のようなひと時であった。何故なら、当時の私は未だ、黴の生えた童貞だったからだ。

 女を好きになる心持、その摩訶不思議な原理の成り立ちを、確かに辿り切る自信はない。何れにせよ、その根源に青々とした肉欲が犇めいていることは恐らく確実であるにせよ、動物が生殖という類的使命に背中を突かれ、定められた発情期に判で押したように盛り始めるのとは、幾らか事情が異なる。人間は、単に劣情だけで女の尻を追い掛けられるとは限らない、複雑な作りなのだ。況してや、女を知らず、世間を知らず、生きることの不条理にも疎い、若造の分際で、そんな青々とした肉欲だけを手掛かりに、誰かを慕うなんて、余りに不躾だ。案外、その頃の方が、妄想の翼の助力を要する年頃なのである。夢見る力に引き摺られて、或る日私たちは突然、思いがけない事故のように恋に落ちる。無論、それは事故であるから、傷が癒えれば、退院するほか、しょうがないに決まっている。哀しいが、長続きする事故を望んでも詮無いことだし、落とし穴に引っ掛かった自分を、愛に燃える青年として擬装する為には、どうしたって幻影に溺れる弱さが欠かせない。

 恐らくは何の変哲もない理系女子に過ぎなかった彼女を、そのほんのりと匂い立つ香水の甘酸っぱさや、細身の眼鏡を外した後の清々しい目許に基づき、性愛の対象として見凝めてしまったのは、勘違いに過ぎずとも、幻影には幻影なりの原理と、強度があるものだ。その幻の力強い翼に攫われた心を、闇雲に奪い返せと叫んだって報われないし、そもそもつまらない。

 出町柳の辺りで、静かな小径に面した暗い看板の喫茶店を見付けた。飛び切り苦い珈琲でも飲もうと考え、そのひんやりとした硝子戸を押し開け、席に着こうとしたところで、私は心臓を射竦められたように驚き、そのまま踵を返すべきか、反射的に思い悩んだほどであった。頭の中に、極彩色のペンキをぶちまけられたみたいな、訳の分からない煩悶が迫り上がる。彼女は、窓際の小さな卓子に向き合って、額をノートに擦り付けるように、何かを熱心に調べ、書いていた。さらさらと揺れる手許の万年筆は、成人式の日に母親から貰った贈り物で、確かモンブランだと言っていた。

 後ろで束ねた黒髪に、窓から射し込む夏のぎらついた光が当たって、ナイフのように白く鮮やかに見える。俯いた目許に、淡い橙色のフレームの眼鏡、薄く削いだ水晶のようなレンズ。私は息を呑み、畏怖すべき偶然に戸惑い、進み出て、声を掛けることを躊躇った。だって、こんな馬鹿げた話があるだろうか。これじゃ、まるで小説の中の、絵空事じゃないか。だが、実際に、これは今、目の前で生起しつつある、疑いようのない現実で、手を伸ばせば、触れられそうな近さで、彼女は呼吸し、思考し、ペンを走らせている。偶然の仕業だと信じるには、出来過ぎた抜群のタイミングで、私はこの初めて訪れる珈琲屋の軒先に立ち、ドアノブを、彼女も触った真鍮のドアノブを掴み、引き開けたのだ。

「御疲れ様です」

 堅苦しい他人行儀の鎧を、そう簡単には脱ぎ捨てられない、何しろ当方は奇妙な偶然に取り巻かれ、胸倉を掴まれたような気分で一向に落ち着かないのだから、親しげに微笑むなんて無理難題だ。引き攣った薄笑いだけが、精一杯の仮面となり、彼女の眼差しに対する防護壁の役目を背負ってくれる。静かに視線を上げた彼女の円らな瞳が、一層明るく見開かれ、色素の薄い瞳に、輝くような幸せの光が満ちる。幸せの光、つまり他人の心を温かく和らげる、ラジウムのように危険な放射性の感情。心の奥まで覗かれているような薄気味悪さが、胸一杯に広がって、莨を吸った訳でもないのに噎せ返りそうになる。

「どうしたの、こんなところで逢うなんて、珍しいじゃない」

 僅かに年上の、先輩風を吹かすような言い方も、声が舌足らずな甘さを湛えているので嫌味には感じない。舐められている、甘く見られていると、年下なりの男の矜持とやらを、埃を叩いてまで持ち出そうとも思わない。彼女の、陽射しを浴びた横顔に、特別なメッセージを読み取ろうと齷齪するのは、此方の勝手な都合で、妄想でしかなくて、彼女は唯、木々が風に戦ぐように、単にそこに腰掛けて書き物に時を費やしているだけだ。偶然? 果たして、偶然なんてものが、この世の中に存在するのだろうか。偶然と言えば偶然、必然と言えば必然、そうやって見る角度を革める度に世界は異なる相貌を剥き出すだけで、この意想外の邂逅も、単に「意想」の「外」だったというだけで、これが最終的に偶然となるか必然となるかは、最後まで書き綴られ、筆を擱かれた長い物語のように、結末を読むまでは定められないのではないか。

「ちょっと近くまで立ち寄ったんです。あ、午前中だけ、仕事だったんで」

 歯切れの悪い科白が、舌の上で息切れした魚のように飛び跳ねる。決して狙い澄まして、この邂逅を演出した訳ではないと、知らず知らず言い訳がましい気持ちになるのは、此方がこの数奇な偶然、出会い頭の衝突事故のような接触に驚き、下心を暴かれたような困惑に、苛まれていることの反映でしかない。彼女の真直ぐな瞳、それはそうだ、彼女の側には、何も臆する理由はなく、疾しさを感じなければならない一厘の事情さえない。勝手に慌てふためき、水槽の見えない硝子に鼻面をぶつけて、頭を打ん殴られたような衝撃に騒めいている見窄らしい熱帯魚めいた阿呆面を、彼女は純粋な、澄み渡った心持で眺めているだろう。この対蹠的な二人の構図はどうだ。今更ながら、悔しさの入り混じった反発的な感情が蠢いて、どうにも胸が苦しくなる。呼吸が荒く、額には汗の粒が滲み、私は湿った掌をズボンの尻に擦りつけて誤魔化そうとする。何故、こんなところで行き当たってしまったのだろう。これを運命の呼び声だと思い込みたくなるのは、幼稚な衝動だと知っていても、走り始めた南瓜の馬車に、いきなり消え去れと呪文を唱える訳にもいかなかった。

「この喫茶店、いつも使ってるの?」

 円らな瞳が私を正面から捉える。その寛いだ、柔らかな微笑の浮いた口許が、年上であることも手伝って、猶更胸の内側の下心を、肛門を蹴り上げるように刺激して已まない。彼氏がいるのかいないのか、そんな然り気ない問い掛けさえ遠慮せざるを得ない、ジャングルの下生えに潜り込んだ邪悪な毒蛇のように意気地のない、腐れ童貞の私には、その艶やかな瞳の濡れた水面さえ、心臓に直に縛り付けられた敏感な爆弾のように剣呑なのだ。流石に陽物が嘶いて前肢で宙を掻くような事態にこそ陥らなかったが、精神的な次元では、充分過ぎるくらいに硬く強く勃起して、先端がズボンのジッパーに擦れて砕け散りそうなほどだ。その割れた硝子片、炸裂した榴弾の金属片のように汚らわしい私の精神的精液は、イメージの中の彼女の理知的な面差しに思い切りぶちまけられていた。童貞。その度し難い迷妄、永久に開かれることのないように見える観音開きの厨子の中の秘仏

「いや、偶々です。何してるんですか、先輩は」

 先輩という堅苦しい響きの言葉で、私は彼女という存在に土足で踏み込むこと、素手で触れることを避けている、本当は深く触れ合い、何だったら存分に繋がり合いたいと、とても絵には描けないような妄想なら毎日だって飽きないのに、実際の生活の現場では、その垣根を乗り越えることにさえ、二の足を踏んでしまうのだった。

「あたし? 論文の草稿だよ。今度、教授に見てもらわなきゃいけないんだけど、全然進んでないんだよね」

「大変ですね」

「まあね。でも、嫌いじゃないから、勉強」

 勉強。それは人生の様々な局面に置かれる度に光沢の色合いを変じる鏡面のような単語だ。子供の頃、それは崇高な営みであり、寿がれるべき偉業に違いなかった。何時の間にか、思春期という呼び名が適切かどうかも分からないが、或る時期を境に、その素朴な宗教的観念はだらしなく色褪せ、衰弱してしまった。堕天使のように、勉強という観念は私の胸の奥底で腐り落ち、堪え難い異臭を放つようになった。学問、知識、理性、優等生としての実存。色々なものが混ざり合った、美しい形象。大学で教養を深め、だらしない自分を砥石で磨き抜き、つるつるに輝かせる超人的な努力という奴に、私は何時しか如何なる信仰も情熱も感興も懐けなくなった。何故、社会の歯車と巧く咬み合えなくなってしまったのだろう。親不孝と知りながら、高額な学費を溝に捨てるような真似を恥じもせず、寧ろ曖昧な勲章のように胸許に誇らしげにぶら下げて、意気揚々と、有り触れたメインストリームの生き方を擲ち、落伍してしまった自分の醜態を、日頃は愚かしいとも特に思わないが、先輩の前では、そう、紗環子先輩の前では、みっともない、逃げ遅れた罪人のような気分で、断頭台に縛り付けられている。