サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

小説「夏と女とチェリーの私と」 7

 至極当然のことながら、先輩は予備校講師のアルバイトを辞めてしまった。本人は病室に幽閉されたままらしく、代わりに先輩の母親が菓子折を持って挨拶に来た。不幸な事故に巻き込まれた立場であるのに、仕事に急に穴を空けて御迷惑を掛けたからと、先輩の母親は何度も薄汚い主任の長谷川に向かって詫びを述べていた。そんな風に謝る必要など何もないのにと、偶々現場に居合わせた私は、不透明な憤りのような想いを懐いた。先輩も、その親族も、誰かに咎められるような悪事は何一つ働いていないのだ。実際、謝罪される側の長谷川も調子が狂ったのか、仰々しいお悔やみの科白を不器用に並べるだけで、その表情には困惑と虚偽しか映じていなかった。先輩の事故は、確かに或る不可解な波紋のような効果を備えていて、それは平穏で退屈な予備校の日常に奇妙な興奮を、或いは下世話な混乱を喚起していた。誰もが、誰の責任なのか分からない曖昧な事件に魘されるように、言葉の選択を仕損じていた。バイクを運転していた奴が悪人だと、決め付けるのは容易いことだが、それで私たちの胸底を蝕む奇怪な錯綜が解消される訳でもなかった。何故、彼女が不条理な悲劇の標的に抜擢されたのか、私たちは哀しいほどに無知であった。不運だと言い切ってしまえば済むのだろうか。それによって、先輩の身に降り注いだ邪悪な暴力の意味が、解き明かされると信じ込むのは少し横着ではないだろうか。彼女が巻き込まれた残酷な経験の意味合いを、若しも意味合いと呼べるものが存在すると仮定した場合の話だが、そんな決まり切った平凡な型枠に押し込んで安心することなど出来る訳がない。いや、他人には出来るのだ、そのような別種の暴力は極めて容易に行使され得るから。誰だって他人のことならば気安く客観的な批評を試みることが出来るし、それがたとえ的外れな指摘のオンパレードだったとしても、偽証罪に問われる訳でもない。無責任な風聞が世の中に尽きないのは、それが一種の快楽であるからに決まっている。誹謗も同情も、結局は同じ一つの現象の、互いに異なる側面に過ぎない。一見、違って見えたところで、突き詰めれば同じ絡繰に囚われてしまっているのだ。誰も彼女の不幸の意味を解き明かしたり引き摺り出したりすることは出来ない。どんな言葉も間に合わない場所に、傷ついた彼女の孤独は横たわっている。

 だが、何よりも恐ろしいのは、彼女の巻き込まれた残酷な惨劇に寄せられる無責任な論評の類ではない。彼女が陥った孤独な境遇の根深さでもない。社会の表舞台から束の間、退場させられてしまった彼女の不幸な境遇でもない。何よりも、私の頭が懼れていたのは、あの白い繃帯によって蔽い隠された「顔」の状態であった。光を失うほどの深い傷が、あの整った清潔な笑顔に墓標の如く刻まれ、強く深く穿たれたという事実そのものが、それが何を意味するかということ以上に、名状し難い恐懼の根源となって、私の胸板の裏側へ迫り上がってくるのだ。真っ黒な光が、繃帯の隙間から徐々に滲み出してくるのではないかと懸念したくなるほど、その顔に刻まれた「傷」の深刻さは、私の精神を動揺させ、平穏無事な安定性を奪い去った。女性の顔に打ち込まれた楔、その血腥い印象、それは片目が失われ、世界が半分しか映らなくなったという壮絶な事実よりも更に、秘められた魂の奥底にまで達するような破壊的効果を、昼夜を問わず発揮し続けているに違いなかった。

 紗環子先輩の母親が健気な謝罪の行脚を済ませて立ち去った後、長谷川は喫煙室へ消えて暫く戻って来なかった。普段は脂ぎった額に不快な皺を幾つも注連縄のように這わせて厭味を並べるだけの人間の屑にも、一応は他人の不幸に平伏してみせるくらいの良識は備わっていたのだろうか。席へ戻った後も、眉間に普段とは印象の異なる哲学者のような皺を寄せて考え込んでいる姿は、厭味ったらしく他人の失態に目敏い教務課主任の評判とは食い違った光景であった。他人の不幸は、時々そういう教育的効果を齎すものだが、齢を重ねて成長よりも頽落の方が相応しい年代に脳天まで浸かっている長谷川が、今更そんな殊勝な心掛けに耽溺するとは思えなかった。そんな風に幼気な心の動きを甦らせるには、紗環子先輩の存在は彼にとって物足りない筈だ。血の繋がった親子ならば、何れかの死は殆ど神秘的な啓示のように強烈な感化力を発揮するだろうが、所詮は長谷川にとって彼女は幾らでも取り替えの利くアルバイトの一人に過ぎないのだ。繃帯に呑まれて木乃伊のように存在の手応えを薄れさせた草薙紗環子の追い詰められた境遇に、過剰な憐憫を捧げるとは考えられない。

 だから、その日の夕刻に長谷川から名前を呼ばれた私と柏木は、不可解な事態の推移に面食らって互いに顔を見合わせることしか出来なかった。

「呑みに行かないか」

 使い古された科白であっても、それが他ならぬ長谷川の乾いた唇の隙間から放たれたことは、新鮮な驚きを私たちに与えた。人付き合いが良いとは御世辞にも言えず、第三者から尊崇や敬愛を捧げられることとも無縁に見える長谷川が、仕事帰りに誰かを酒席へ誘おうと試みるのは紛れもない奇蹟であったからだ。無論、偶には呑みに出掛けていく浮かれた姿を見ることもあるのだが、相手は大概、彼にとっての上役たちであって、その目論見が上長への見え透いた阿諛追従にあることは歴然としていた。使い走りのアルバイト講師どもに酒や食い物を奢るような豪気とは、最も隔絶した性格の持ち主なのである。噂では、彼は教務課主任の立場にありながらも必ずしも上役から愛されたり評価されたりしている訳ではなく、専らゴマスリの努力の積み重ねの涯に現在の地位を築いているとのことで、固より京都市の片隅に小さな校舎を幾つか抱えているだけの貧相な予備校の職員であるから、その月給は非常に安い、いや、安いとは言わずとも見栄えのする金額ではない、だから目下の人間に酒色を奢るような見返りの保証されない振舞いには禁欲的な方針を貫いているのだ、という話であった。何時も皺の寄った暗色のスーツを着込んで、職場へ着くなりネクタイを解いてクールビズを決め込む彼の風采から、高給取りの優秀な予備校職員というニュアンスを読み取るのは、実際問題、困難である。

 だから、私たちの驚きには相応の根拠があった訳で、どういう返事をしたらいいのかも、直ぐには見当がつかない有様であった。彼と同じ居酒屋で面を突き合わせて麦酒を呑んだりチューハイを呷ったりすることに積極的な関心など懐きようもなく、だからと言って滅多にない彼の誘いを無下に断ればきっと彼の面子を叩き潰してブレーンバスターを浴びせるような仕儀に相成ることは必定であり、目顔で素早く相談し互いの肚の底をまさぐり合った私と柏木は、適当な言い訳を見繕う余裕もないままに、済崩しに夕暮れの夏の京都市街へ、脂ぎった頭に綿飴の欠片のような雲脂を溜め込んだ長谷川と、連れ立って繰り出すことになってしまった。五条大橋を渡って河原町通へ出て、四条の方角へ北上しながら、私たちは余り会話らしい会話も交わさぬまま、此れから呑みに出掛けるとは思えないほど陰鬱な一行として繁華な黄昏の往来を踏み締めていった。

 大学生である柏木と、大学生であることから脱落した私と、長い間、予備校の講師というそれほど華々しいとも思えない仕事に営々と取り組み、上長の御機嫌を伺いながら世間の荒波を回遊してきた長谷川と、これら三人の組み合わせには何ら運命的な必然性は介在していなかった。私たち三人が或る夏の夕暮れに河原町通を連れ立って歩いているという凡庸な事実には、全く神秘的な要素が含まれていない。然し、その絶対的な偶然性が却って、奇妙な宿命に引っ張られ、操られているような、落ち着かない感慨を私の胸底へ湧出させた。私は以前から長谷川のことが嫌いで、直ぐに他人の粗を探し当てて声高に詰ったり、薄気味悪い不潔な見た目のくせに自分に奇妙な自信を持っていたりするところが本当に気に入らなかった。校長やら教務課長(つまりは長谷川にとっての直属の上司)なんかと飲み歩いて彼是とおべんちゃらを駆使する幇間的行為に長けていることも、にも拘らず上長から余り好かれていないという絶望的で致命的な人徳の欠如も、私にとっては目障りに感じられる要素であった。自分たちから積極的に呑みに行こうと誘いたくなるような上司でも先輩でもない、そういう男と摩訶不思議な成り行きに導かれて河原町通を北上するのは、全く以て不本意な経験であり、不毛な時間に他ならなかった。だから、それが却って、自分の欲望や意思の範疇を大きく食み出した、超越的な存在の為せる業であるかのように感じられたのであった。

 だからと言って、それを特別に崇高な時間であるとか、不可解な出来事の神秘性に取り込まれるとか、そういう風に感じた訳ではなかった。私は純粋に退屈で、気詰まりで、いざ店に入って並んでカウンターにでも座ったら、どんな風に重油のように粘つく時間を遣り過ごせばいいのか、ということばかり集中的に考えてしまっていた。粘っこい重油を思わせる長谷川の勿体振った語り口に付き合わされて、終業後の懶い疲労が総身へ行き渡った繊細な時刻を悶々と突き崩していくのは、極めて不幸な経験であると言えた。

 マルイの近く、船頭町の界隈のごみごみと入り組んだ路地裏を彷徨って、私たち青二才二人組は薄手の夏物の上着を乱暴に引っ掛けた長谷川の背中を追い掛けて歩いた。日頃、学校にいる時間は、単に卯建の上がらない風采の、冴えない中年親爺というイメージを脱ぎ捨てられない長谷川であったが、こうやって日暮れの繁華街へ、夫々に欲望を滾らせて往来していく人波に混ざり込んでみると、背広姿の彼の足取りは眺めるだけで気疲れのする雑踏の光景に素晴らしく似合っていた。どんな男にも、つまり夢も希望も高い給料も人徳も持たないような年嵩の、馬齢を重ねただけの哀れな男にも、似合いの風景というものはあり、それは彼が過ごしてきた厖大な時間の蓄積を通じて磨かれた何かが、その風景と呼応し合っているということだ。どんなに若々しい私たちが批判的で皮肉な眼差しをジャックナイフのように隠し持って、彼の一挙手一投足を密かに嘲笑っていたとしても、そんなことに一向動じないような大人の男の、いや中年のオッサンの重圧を感じさせる不敵さが、長谷川の着崩れた地味な背広の後ろ姿には濃厚に滲んでいた。

 私たちは長谷川の案内で煤けた店構えの小さな居酒屋へ入った。夕刻の賑わい始めた往来とは裏腹に、店の中は砂を撒いたように静まり返り、先客は無口な胡麻塩頭の年寄りが一人きりで冷酒の御猪口を傾けているだけであった。その手許には煮魚と沢庵の小皿が置かれて、老人は引き戸をがらりと開いた私たちの風体を訝るように横目で睨んだ。