サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「意味」からの遁走 中上健次に就いて 1

 中上健次出世作である「岬」の世界は、土俗的な湿り気に満ちている。その湿り気が作中に充満する「情緒」の派生的な効果であることは論を俟たない。中上健次が「岬」において描き出す光景は、或る一族の閉鎖的な側面であり、その描写が及ぶ領域は極めて限定的なものである。そこから滲み出る鬱屈した息苦しさに、読者は不可避的に共振させられる。主人公の秋幸(「岬」の段階では、未だ「竹原秋幸」という客観的な人格としては明示されていないが)が感じる鬱屈は、彼が置かれている閉鎖的な環境の産物である。この息苦しい閉鎖性、あらゆるものが限界まで煮詰められてしまうような閉鎖性は、彼らが暮らしている「路地」に加えられてきた歴史的な「差別」の暴力性によって醸成されている。

 一体「差別」とは何か、という問題は解決が難しい。ただ、それが何らかの恣意的な基準に依拠して作り出された歴史的な秩序であることは明白である。そして真の困難は、誰かの手で恣意的に生み出された秩序が、後に或る絶対的な規範にまで高められてしまうという酷薄な現実に根差している。それは何らかの具体的且つ人工的な濫觴を有する社会的な「制度」でありながら、一旦固定化されてしまうと、如何なる手段によっても覆し得ない強靭な規矩として成員を支配し始める。この奇妙な絡繰は、人類の歴史においては普遍的な強度を維持し続けてきた。

 中上健次は「岬」において、被差別部落の内側に暮らす人々の窮屈な生涯、その愛憎の複雑な絡まりを「内側から」描き出すことを企図しているように見える。様々な登場人物が「名前」で呼ばれる代わりに種々の代名詞(「母」や「姉」や「兄」といった言葉たち)で示されるのも、総ての事物や現象が主要な視点である「秋幸」の立場から眺められ、「秋幸」との関係性を通じて描写されていることの反映であろう。この作品は一人称の私小説ではなく、秋幸も「彼」という人称代名詞で客観的に名指されているが、だからと言って、この作品を充分な客観性に基づいて構築されたものとして定義することは出来ない。この作品は飽く迄も強烈な「主観性」を通じて語られることによって、土俗的な生々しさを獲得している。土地の呪縛、血の呪縛を浮き上がらせる為の方途として、こうした描写の形式や話法が採用されたことは一つの確かな事実であろう。

 こうした傾向は続編に当たる「枯木灘」において、若干の変容を見せる。飽く迄も秋幸が主人公であることは変わらないが、彼の関係する世界は、異質な視点を導入することによって更に立体的な相貌を獲得するのである。「彼」という単一の視点から語られていた世界は、より包括的な視座を作り出し、曖昧に描かれていた「実父」は「浜村龍造」という独立した人格を備えて登場する。

 批評家の柄谷行人は「三十歳、枯木灘へ」という評論において、こうした事情を明晰に要約している。

 この突発的な出来事は、しかし、書くという行為をおいてありえない。この飛躍にかんする手がかりの一つは固有名にある。たとえば、『岬』では、秋幸の姉美恵は「姉」としてあらわれ、秋幸は「彼」としてあらわれる。人物に名がないわけではないが、主要な人物はすべてこうした語で指示されている。「姉」とは「彼」の姉である。つまり、「母」も、自殺した「兄」も、「義父」も、「あの男」(実父)も、「彼」との関係においてあり、関係を指示する語である。いいかえれば、登場人物はすべて「彼」を中心とする関係においてあり、「彼」の視点においてある。いうまでもなく、「彼」とは「私」のことであり、このような彼=私という装置は明らかに私小説的伝統に属する。(「坂口安吾中上健次講談社文芸文庫

 「枯木灘」における視点の変容は、「岬」という作品を貫いていた私小説的な視座の変容として形成されているが、それは飽く迄も表層的な変化、或いは過渡的な変化に留まっているように見える。彼の属する世界は「岬」から「枯木灘」への変容を通じて大きな広がりを獲得することに成功しているが、その広がりは描き出される事実の「俯瞰」のレヴェルに留まっている。後の「地の果て 至上の時」においては、そうした事実の客観視という次元を飛び越えて、物語は重層的な分裂を示す。そこでは様々な「噂」が複雑に混淆し、客観的な事実と主観的な真実との境界線が酷く曖昧に溶解させられている。こうした段階的な変容は、中上健次という作家の技術的な成長を意味しているのだろうか? 恐らく、それは俯瞰的な図式化、明確な図式化からの遁走という企図を内側に含んでいる。

 小説という雑駁な性質の散文が「芸術」としての性格を堅持し得るのは、それが明瞭な「意味」の体系を否認しているからである。明瞭な「意味」に還元し得る作品は、芸術としての普遍的な独立性を保持することが出来ない。あらゆる芸術は、既存の「意味」の堅牢な秩序を転覆させる為の野蛮な「叛逆」としての性質を有している。若しも芸術が、私たちの所属する素朴な現実の「追認」や「模倣」に過ぎないのならば、それが私たちの存在と精神を劇しく揺さ振ることなど不可能であろう。私たちが明瞭な「意味」として捕捉し得ないもの、如何なる合理的な弁証法にも還元し得ないものを把握し、表現し、それに具体的な輪郭を与える為に、芸術という奇怪な営為は存在している。

 「岬」「枯木灘」「地の果て 至上の時」の紀州三部作は、題材が異なっていても、煎じ詰めれば共通の世界を描き出している。端的に言えば、これらの作品は作者である中上健次の個人的な履歴、己の実存的な課題との「格闘」の成果である。彼は己の出自を文学的な考究の対象に据えている。彼は幾度も「それ」を語ろうとする。だが、幾ら語ってみても、適切に言い当てることの出来ない暗部のようなものが残留してしまう。こうした歯痒い経験は誰にとっても身に覚えのある話であろう。一つ一つの作品を通じて、彼は自己の実存的な主題に或る「答え」を導き出そうとした。少なくとも、それらの対象に明確で精緻な「表現」を授けるべく努力した。しかし、その度に巧く嵌まることのない対象の揺らぎを見出さずにはいられなかった。そのように考えなければ、彼が執拗に「路地」の世界に固執し続けた事実の重みを推し量ることが出来ない。

 作品を一つ仕上げる度に、中上健次は「何か違っている」という「不全」の感覚を拭い去れなかったのではないだろうか。「岬」という表現の形式が過不足のないものであり、それによって彼が明るみに出そうと努めていた世界の輪郭が悉く浮き彫りになったのであれば、彼は死ぬまで「岬」の話法を磨き上げ、その解像度を向上させることだけに心血を注げばよかった筈である。しかし、彼は「岬」の話法に満足出来ず、その表現の形式に具体的な限界を感じ取った。再び、柄谷行人の記述を引用しよう。

 ところで、中上健次は『枯木灘』の雑誌連載(全六回)の初回の初出稿において、『岬』と同様の書き方をしていた。つまり、秋幸の母や義父は「母」や「義父」として書かれている。ところが、その後単行本にするとき、中上はそれをフサや繁蔵などと書き換えたのである。たぶん、書いている途中に突発的な変化が生じたのだ。連載二回以降はフサや繁蔵と書かれている。もちろん、家族的関係がかくも錯綜していれば名前なしには困難があっただろうが、それだけの問題ではない。母はフサとなり、義父は繁蔵となり、あの男は浜村龍造となる。名を与えられた瞬間に、彼らは自立する。彼らは、彼=私との関係においてだけでなく、彼ら自身の歴史的・社会的な関係性において実存する。とりわけ、浜村龍造という名は決定的である。このような変更は、中上にとって飛躍的で、もはや後戻りできないものである。(「坂口安吾中上健次講談社文芸文庫

 こうした変容は、当初「彼」との関係性を通じてのみ見出されていた「他者」の存在に、それ自体の固有の重みを与える作業であるように見える。だが、それは曖昧模糊とした「他者」に明晰な自立性を与えたり、具体的な特徴を明示したりする作業であると同時に、観念的な「抽象化」の作業であるとも言える。何故なら、本当に「彼」にとってリアルなのは「フサ」ではなく「母」である筈だからだ。自分の母親を「母」としてではなく、或る一個の独立した「人格=他者」として純粋に把握することは、生身の人間にとっては殆ど不可能に等しい難事である。つまり、こうした変容は事実の具体的で精細な追究であると言うよりも、寧ろ人工的で抽象的な「綜合」の営為として理解されるべきなのだ。

坂口安吾と中上健次 (講談社文芸文庫)

坂口安吾と中上健次 (講談社文芸文庫)

 
岬 (文春文庫 な 4-1)

岬 (文春文庫 な 4-1)

 
枯木灘 (河出文庫)

枯木灘 (河出文庫)

 
地の果て 至上の時 (講談社文芸文庫)

地の果て 至上の時 (講談社文芸文庫)