サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(悪夢・離婚・未熟・カフカ)

*先ほど、寝つきの悪い子供に寄り添って眼を閉じていたら、疲れに誘われるように知らぬ間に眠りに落ちていた。そして、久々に悪夢を見た。妻から別れを告げられる夢だった。理由は分からない。詳しい経緯も、具体的な科白も、早くも記憶の彼方に霞み始めている。無論、夢というのは元来、そういうものだ。

 妻は冷たい態度で、私に離婚という方針をナイフのように突きつけた。動顛した私は、せめて娘だけでも、と言った。すると妻は鼻で笑って、好きにすれば、という趣旨の言葉を返した。どうせ、あんたに面倒なんか見られる訳ないでしょ、という含意が、暗黙裡にその返事の端々に反響しているように聞こえた。

 それから場面は転換した。友人や、職場の上司や同僚や、母親や、そして離婚の意思を示した妻と一緒に、何故か私は呑み会のようなものへ出掛け、しかも場所はカラオケボックスだった。ドリンクバーの機械があった。私は背負い切れない想いを周りの人たちに伝えた。母親にも、伝えたような気がする。上司の上司が、じゃあ彼は二回目の離婚をするんだねと、気遣わしげな表情で呟いていた。

 そういう訳の分からないシーンの連続の後で、不意に眼が覚めた。薄暗い部屋で、私は息苦しい体勢で眠っていた。一瞬、自分の現在地も、現在時刻も把握出来ずに茫然とした。隣では一歳の娘がすやすやと眠っていた。妻は、リビングのソファに横たわり、イヤホンを装着して3DSを両手で掴み、魔王を斃す冒険の旅路を突き進んでいる最中であった。夢で良かったと、私は心底思った。

 その夢の中で、私は昔、最初の妻と離婚したときの経験を思い出した。厳密には、その当時、私の心身を苛んだ「絶望」の感情を精細に思い出していた。妻の冷たい態度に不安を煽られ、問い詰めたら、彼女は「もう愛していない」と明言し、私は真夜中の台所の床に蹲って、恥も外聞もかなぐり捨てて嗚咽した。その泣き声を、リビングで、疲れた妻は無言で聞いていた。泣き止まない子供の寝かしつけに疲弊した母親の後ろ姿だった。そのまま、眠れずに朝が来た。中学生の義理の娘と、保育園に通う幼い息子が起き出す時間だった。私は朝から仕事へ行かねばならない立場だったが、とてもそんな気力が湧かなかった。泣き顔を子供たちに見られたくなかったので、携帯を握り締め、サンダル履きで表へ出た。

 その当時、暮らしていた家賃の安いメゾネットから、流山街道を横切って少し歩くと、直ぐに江戸川の土手へ辿り着くことが出来た。私は亡霊のような足取りで土手へ往き、休みで眠りこけている筈の部下に電話して、今日、私の代わりに出勤してくれないかと頼んだ。寝惚けた声の部下は、突然の連絡に当惑した様子で「一体、どうしたんですか」と訊ねてきた。一体、どうしたのか。確かにその通り、一体、どうしてこんなことになってしまったのか。私は懸命に呼吸を整えてから、「嫁と別れるかも知れないんだ」とだけ、絞り出すように言った。その瞬間、あんなに呼吸を整えたのに、泣き崩れるように声が顫えてしまった。部下は慌てた様子で「分かりました。僕が出勤します」と請け合ってくれた。我ながら、みっともない上司だった。

 それから一年くらい、私は関係の修復を志して、自分なりの努力を重ねた。一人の夫として、父親として、未熟な個所は無限にあったから、修復と改善の余地も大きいように思われた。けれど、一旦冷え切ってしまった人間の心に再び前向きな明るい光を燈すことは至難の業だった。一年後、私たちは大事な問題に就いて話し合うとき、何時もそうするように、台所の勝手口から暗い夜の懐へ出て、莨に火を点けた。何か気持ちに変化はあるかと、私は訊ねた。何も変わらない、と彼女は明言した。経済的な不安から、少なくとも子供たちが手を離れるまでは、私の方から離婚を切り出そうとは思わない、というのが、彼女の既定路線だった。その方針に変更が生じないのならば、私は愈々、自分自身の絶望を現実の一部として受け容れるしかなかった。「別れよう。それでいいな?」と私は決断の言葉を口にした。勝手口のドアの前に屈んで、メンソールの莨を吹かしながら、彼女は黙って頷いた。

 その当時の絶望の生々しい感覚を、先刻の悪夢は冷凍のマグロのように新鮮な状態で保存していた。自分はダメな人間なんだという感覚。総てを失ってしまったという感覚。無論、当時の出来事は今でも記憶しているが、肉の剥がれた骨格のように、それは意味の連なりとして知的に消え残っているだけで、そのとき感じた生々しい情緒は、とっくに掠れて読めなくなっていた。私は甦った絶望の感覚に恐怖した。その恐怖の余韻が、目醒めた後も暫く私の胸底を去らなかった。

 離婚から半年くらい経って付き合い始めた年下の女性と、一年も経たずに別れ話の局面を迎えたとき、彼女は電話越しに「やっぱり私、バツイチ子持ちの人は無理」と言ってのけた。自分は未だ二十五歳で、可能性もあるから、敢えてバツイチ子持ちの人間と関係を持ったり、将来を構想したりする必要はないという趣旨の発言もあった。私は愕然とし、深く傷ついた。つまり、彼女は現在の関係を「勿体ない」と考えるようになったのだ。中古品の男相手に、二十五歳の「女」として、自分自身を最高値で売りつける権利を行使するのは、馬鹿げた振舞いだという結論に達した訳だ。そのときの絶望、つまり「最初は愛し合っていても、結局は必ず終わりが来るのだ。しかもそれは多かれ少なかれ、私の人間的な未熟さに基づいた結末なのだ」という絶望が、先刻の悪夢に私が魘された最大の理由であった。

 リビングで悪い夢を見たと妻に告げると、彼女は大丈夫だ、私はここにいるよと言ってくれた。娘も布団で健やかに眠っていた。台風5号に起因する足早な大雨は既に千葉を去っていた。鏡で確かめると、私はとても酷い顔をしていた。まるでカフカの小説のような夢だった。