サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「仙台・松島・塩釜」 其の三

 仙台旅行二日目の目的地は、日本三景の一つ、松島であった。

 早起きしてホテルのビュッフェで朝食を取り、小雨の降り頻る街路を、仙台駅へ向かって歩いた。月曜日で、ホテルの前を行き交う人々は、休暇気分の暢気な我々とは異なり、足早に職場へ急いでいるように見えた。

 松島海岸駅まで、JR仙石線に揺られて移動する予定であったが、仙台駅に到着したタイミングが悪くて、次の電車まで間が空いてしまった。仕方なく時間を潰す為に、新設されて間もないエスパル仙台東館の土産物売り場を物色した後、手近な改札を通って仙石線のホームを目指すことにした。

 ところが、仙石線のホームは想像以上に地下深くに埋没しており、しかも途中でエレベーターのない箇所があった為に、我々は娘とベビーカーを別個に抱え上げて、エスカレーターを下らなければならなかった。東京駅の総武線ホーム並みに暗闇の奥底へ秘められた仙石線の乗り場の遠さに恨み言を吐き掛けながら、我々は四両編成の電車が到着するのを待ち受けた。

 仙石線の車両は、乗客がボタンを押してドアを開閉するタイプのもので、東京や千葉で見掛けることは滅多にない。私の知る限り、同様の設備は、かつて草津温泉を訪れるときに利用した群馬のJR吾妻線でしか見たことがない。冬場、寒冷になり易い地域ゆえの特別な措置なのだろうか。いや、疎覚えだが、京都を訪れたときに、自分で開閉するタイプの車両に乗り込んだことがあったような気もする。宇治へ向かう快速列車だったろうか。ネットで調べてみると、それらしき情報を探り当てたので、私の記憶は恐らく正しいと思われる。

 仙台から松島海岸まで、概ね四十分ほどの距離であった。ホームまで辿り着いてから初めて、私は仙石線の「石」の字が「石巻」を意味するものであることに気付いた。京成電鉄が「東京」と「成田」を結び、阪神電車が「大阪」と「神戸」を繋ぎ合わせるのと同様の理窟に基づいた命名である。恥ずかしながら、私はこれまで「石巻」と「花巻」の区別さえ、まともに理解することが出来ていなかった。世の中には、余りにも私の知らないことが多過ぎて、しかも私の脳味噌の容量は余りに小さいのだ。

 仙石線の車窓から眺める沿線の風景は、総武線や常磐線の車窓から眺める風景に近似していた。繁華な都心部から、郊外の住宅地へ向かって徐々に色調を変化させていく街衢の風景は、千葉でも宮城でも大差のない眺望であり、こうした都市の同心円的な「濃淡」の移り変わりは、現代日本の全体を覆い尽くす基本的な構造なのだろうと思われた。幅の広い国道や県道が動脈のように大地の上を這い回り、各種の巨大なチェーンストアが、遠くからでも直ぐに見分けられるサイズの看板や外観を備えて、ハンドルを握り締めた顧客たちの眼差しを奪おうと躍起になっている。

 松島海岸駅は、幅の狭いホームと、古びた雰囲気を漂わせる、典型的な田舎の小駅であった。本塩釜駅と比べれば、その貧相な造作は一層、明瞭に看取されるだろう。ホームの面積が狭く、エレベーターの整備を期待する余地もない。苦労して駅舎の外まで辿り着くと、車の影もない静かなロータリーが眼前に現れた。

 同じ列車に乗り込んでいた他の観光客たちは、もたつく我々家族を尻目に、さっさと遊覧船の案内所を経由して、何処かへ姿を消してしまった。事前に組み立てた明確な計画に基づいて、きびきびと行動しておられるのだろう。限られた時間を有効に活用する為の算段を立てておくのは、旅人の重要な心得である。しかし我々には、穴子を食うということ以外に、明確な目標がない。しかも、肝心の穴子を食う店さえ決めていない。ガイドブックに記載された幾つかの店が、漠然と脳内候補に挙がっているだけの曖昧な状態である。

 とりあえず我々は遊覧船に乗り込む前に、穴子を食らうことに決めた。ガイドブックの中から妻が選び出した店に向かい、二十食限定とメニューに謳われた穴子の定食を注文する。幸いにして店内は比較的空いており、目当ての穴子も品切れしておらず、しかも子連れには有難い座敷の席へ通された。幸運である。

 穴子は柔らかく、美味であった。だが、十年近く前に広島の宮島で食べた穴子は、もっと美味であったような気がする。無論、古びた記憶が美化されるのは世の中の摂理である。だから本当のところは分からない。兎も角、無事に「松島で穴子を食う」という我々の掲げた唯一の使命が無事に達成されたのだから、何の不満もない。会計を終えて店を出ると、玄関の前に空席待ちの列が出来上がっていた。やはり、昼食というのはタイミングが総てである。僅かな判断の差が、こういう不毛な待ち時間を生み出す訳だ。

 満腹した我々は、遊覧船の発着場へ向かった。切符売り場に併設された、クーラーの効いたレストハウスで、用便を済ませたりジュースを飲んだり莨を吸ったりしながら、我々は松島湾を周遊する一番人気の遊覧船が桟橋へ現れるのを待った。月曜日であるにも拘らず、遊覧船を待つ観光客の姿は、桟橋を埋め尽くすほどに多かった。出航の定刻が近付き、荷物を抱えて桟橋の行列に加わると、直ぐに後ろへ待ち人が列なって団子が出来た。日本三景の盛名、誠に畏るべしである。