サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(大人と子供・愛の飢渇)

*偶に自分の幼少期のことを思い出す。自分がどういう経緯を踏まえて現在の状況や人格に辿り着いたのか、その流れのようなものを時折、辿りたくなるのだ。それは必ずしも感傷に耽る為ではない。そういう側面が一切存在しないと言い張る積りはないが、その渦中にいた当時は見えなかったものが、時間と経験の蓄積を通じて新たに獲得された視野によって、今更のように気付きや省察を齎すということは、確かに有り得る話なのだ。

 況してや、日進月歩の勢いで成長していく一歳半の娘を抱える身であれば、自分の幼少期を顧みながら、どういう教育を施すべきか、どういう環境を整えてやるべきか、この子はどのような価値観を形成していくのだろうか、といった諸問題が四六時中、脳裡を掠めるのも詮方ない仕儀であるだろう。どんな大人も、日毎に少年少女であった時代の想い出だけは意識の辺境に留めていたとしても、その当時に懐いていたリアルな「皮膚感覚」そのものを精細に想起出来る人は少数派であると思う。そうやって大人と子供、或いは親子の間に精神的な断層のようなものが生じていく訳だ。

 無論、そうした断層の存在を一概に否定すべきだとは、私は考えていない。大人と子供が互いに異質な存在であることは、人類の社会的な仕組みとして、必要な条件であると思うからだ。確か内田樹氏が何処かで書いていたように記憶しているのだが、子供には子供を教育することは出来ない。子供を教育し、庇護出来るのは大人だけである。その意味で「子供だけの世界」というものは成立しない。例えば作家の大江健三郎氏は、初期の作品でしばしば「子供だけの世界」と、それに類する主題を扱っている。その代表的な成果が、氏にとって最初の長篇小説と謳われる「芽むしり仔撃ち」である。それは集団疎開と疫病の蔓延という二つの要素の融合によって、半ば偶発的に構築されることとなった不良少年たちの「王国」の惨たらしい敗残を描いている。作中に登場する大人たちの野蛮な言行は、殆ど戯画的な醜悪さに縁取られているように見える。その解釈は様々だが、そこから「少年たちの王国」の原理的な不可能性という認識を抽出することは、必ずしも不当な判断ではないと思われる。

 けれども、私は親として、或いは一個の「大人」として、大江健三郎の晦渋とも呼び得る独特な文章によって描き出された、冷酷で暴力的な「大人たち」の肖像に、自分の姿や人格を擬えるような状況には陥りたくないと考えている。言い換えれば、成る可く「子供」の心情から乖離しないように努めたいと思っている。無論、単なる幼稚さは社会的な弊害であり、倫理的な堕落であるに過ぎない。だが、少年少女の特異な実存の形態に関する想像力を棒切れのように放擲するのは、成熟した大人の選択すべき態度であるとは言えない。

 

*幼い頃、私は賢明な子供であった。少なくとも、学校の成績に限って言えば、小学生の頃の私の優秀さは、具体的な点数によって証明されていた。それを理由に、幼い私は方々から称讃の言葉を浴びていた。無論、狭い世間の中の話である。そうした束の間の栄光に大した値打ちもないことは歴然としている。だが、幼い子供にとって、世界の面積と、自分が属する小さな社会(家庭や学校)の面積は、そのまま合致している状態が普通なのだ。

 そうした称讃は、私の幼い自尊心を充分に高揚させたが、他者の無責任な評価によって形作られた自尊心は、極めて容易に虚栄心へと転化してしまうものである。同時にその虚栄心は、世間の評価に対するナイーブな自意識を発達させる。「優等生」であることを理由に周りから称讃を集める、という生き方は、他者に対する過敏な意識を爆発的に肥大させ、独立させる。その息苦しさは明確に、幼い私の人格に重大な影響を及ぼした。

 具体的な年齢は覚えていないが、子供の頃の私は、世間体や体裁を気に掛ける両親の態度が嫌いであった。それは私自身が「優等生」というアイデンティティに呪縛されていることへの苛立ちの、迂遠な反映であったのかも知れない。ただ「優等生」の仮面を被った息子を持つことで、両親の社会的な威信(極めて些細なものであったにせよ)が浮揚されていたことも事実ではないかと思う。次第に私は、優等生であることの価値が、所詮は狭隘な価値観の一例に過ぎないという事実を悟り始めた。「優等生であることの地獄」を語れるほど、私は優秀な人間ではないが、少なくとも、その稀釈された状態を経験したことがあるのだ。そこから逸脱したいという欲望は、世間体や体裁を重んじる両親への素朴で古典的な反抗であったのかも知れない。

 私は学校の勉強に情熱を注ぐことを意識的に避けるようになった。授業中に居眠りしたり、宿題を手つかずで放置したりする一連の「怠業」は、私にとって一つの明確な行動規範に基づいた振舞いであった。「優等生であることを否定する」という如何にも思春期的な規範は、十代を通じて常に私の胸底へ刻まれ続けていた。大学を辞めてアルバイトに精を出したり、十九歳で年上の女性を妊娠させたりしたのも、そうした規範の延長線上に位置付けられるべき行為であった。

 堕落した虚栄心は、極めて我儘な欲望を知らぬ間に養っていた。「優等生だから、評価されているに過ぎない」という醒めた省察はそのまま、自分の本質を自分で肯定出来ないという精神的な屈折に帰結した。自信の欠如が齎す精神的な泥濘の深さは、特に十代の多感な時期においては、極端に観念的な膨張を示す場合が多い。私は社会的評価というものに怯え、そこから逸脱する自由に劇しい憧憬を燃え上がらせた。坂口安吾の闊達で情熱的な文章に心を搏たれたのも、禅僧の言行に対する興味を高ぶらせたのも、結局はそうした心理的葛藤であったのだろうと、今になって思う。

 「勉強の成績が良いから愛してあげる」という合理的な愛情の作法を、私の両親が墨守していたと断定する積りはない。そのように性急な断定が、公平な視点を欠いていることに、私は同意する。ただ、世間体を取り繕うことに気を散らして、純粋な「無償の愛情」を息子に傾注することを疎かにしているのではないか、という親への懸念(当時は未だ、そのような言葉で事態の構図を抽象的に捉えることは出来なかった)が、私に不安を齎したことは確かな「心理的事実」である。その満たされない想いが癒されぬまま、私は十代の終わりに差し掛かり、あるがままの自分を全面的に肯定してもらいたいという幼稚な欲望を捨て切れぬまま、成人の日を通り過ぎた。

 最初の妻に対しても、私は相変わらず「無条件の愛情」を望み続けていたように思う。それが幼稚で自己中心的なストーカーの心情と大差のないものであることにも、当時の私は全く気付いていなかった。そうした自覚の陰惨な欠如が、馬鹿げた破局を惹起したのだ。離婚に至って漸く私は、自分自身の考え方を根本的に改訂する必要を痛感した。甘えるだけでは、愛したことにはならないし、愛する力を持たないのならば、愛される資格もないのだと、目覚めるように考え直したのだ。その頃、日本橋の髙島屋へ異動した昔の部下と一緒に酒を呑む約束を交わし、彼の退勤を待つ間、夕刻の静かな喫茶店で、直ぐ傍の丸善で買い求めたエーリッヒ・フロムの「愛するということ」という書物のページを、縋るような気持ちで捲ったことを思い出す。自分の何が過ちであったのか、それをどのように革めれば、未来に向かって希望の光を燈せるのか、そういった問題意識に基づいて、或いは引き摺られるようにして、私は「愛するということ」の真理に迫ろうと躍起になっていた。

 それから六年ほどの月日が流れ、私は別の女性と所帯を構え、授かった娘を育てている。私が娘をどのように愛するかという問題は、彼女の精神的形成に強い影響を及ぼすだろう。少なくとも家庭においては、子供を「経済的な愛情」によって縛るべきではない。愛することは常に、無償の動機によって形作られるべき代物である。これは決して不毛な美辞麗句ではない。実際に「無償」であることだけが、つまり内発的であることだけが、愛情を愛情として自立させる唯一無二の条件なのである。

芽むしり仔撃ち (新潮文庫)

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愛するということ 新訳版

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