サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(解散・改革・希望・ポピュリズム)

*本日付で衆議院が解散した。総選挙の投開票が十月二十二日に設定されると共に、テレビ画面の向こうに広がる政治の世界は大荒れの様子だ。東京都の小池百合子知事が「希望の党」の代表に就任して結党会見を開き、離党者の続出でゾンビと化した民進党の前原代表は、小池劇場の類稀なる影響力に縋って「合流」の奇策を掲げ、愈々「安倍一強」の政局が覆されるのではないかという観測が俄かに強まっている。

 小池都知事が国政選挙に立候補する見込みが高まり、世上には批判的な意見も出現している。都政を放擲して、己の野望に衝き動かされるように衆議院へ鞍替えして、史上初の女性総理大臣に昇り詰めようと企てるのは無責任ではないか、という至極尤もな正論である。だが、そうした道義的な議論が、小池百合子という稀代の名優の決意を(現時点では未だ、彼女が衆議院の代議士に立候補すると確定した訳ではないが)覆し得るほどの威力を発揮するとは思われない。民進党の乾坤一擲の「捨て身の攻撃」で、自公政権の盤石な体制に風穴が開くかも知れないという「政権交代」の潮目が一挙に具体化してきた今、野心家の小池氏が「東京都知事」と「内閣総理大臣」の何れを天秤に掛けた上で選び取るか、と試しに想像を膨らませてみる。恐らくは「内閣総理大臣」の肩書に、政治家としての本能が、持ち前の立派な牙を突き立てたがるのではないか。

 端的に言って、小池百合子氏の都知事としての力量は、少しも明確な形では立証されていない。オリンピックの経費に就いても、築地市場豊洲移転問題に就いても、あれだけ華々しく啖呵を切って、改革の烽火を燃え上がらせた割には、何ら目覚ましい成果は上がっていないように見える。近年、急激に脚光を浴び始めた彼女の具体的な実績は専ら「選挙に勝った」という一点に尽きているのではないか。

 様々な報道を徴する限り、彼女の名優振りは図抜けている。弁舌は巧みであり、イメージ戦略で人心を籠絡する術に長けている。安倍晋三氏が「アベノミクス」というキャッチフレーズで知られる経済的なポピュリストであり、米国の尊大且つ差別的な元首の尻馬に乗って、北朝鮮に対する強硬な態度(「対話」よりも「圧力」を重んじると国連総会で演説してしまうほどの強硬な態度)を演出してみせる軍事的なポピュリストであるとするならば、小池氏は嘗ての環境大臣の経歴を活かすかの如く、只管に「クリーン」なイメージを打ち出すことに長けたポピュリストである。言い換えれば、既成の「腐り切った旧弊な政治」を打破して、希望に満ちた社会を作り上げる改革勢力、という演出に抜群の才能を示すポピュリストであるということだ。かつて小泉総理が「改革」の旗幟の下に、分かり易く単純化された「保守/革新」の構図を濫用して、大衆の浮動的な人気を収攬したように、小池氏もまた、具体的な中身を示さぬままに「改革」のイメージだけで、自民党に対する反感の政治的な受け皿というポジションを狡猾にも独占しつつある。

 無論、民意に基づくデモクラシーの制度が政体の要に採用されている国家において、有能なポピュリストであり、饒舌なスポークスマンであることは少しも罪悪ではない。だが、有能なポピュリストが誠実なポピュリストであるという論理は、特別な但し書きを省いては成立しない。安倍内閣に対する反感が、小池氏に対する漠然とした期待(文字通り、それは「希望」に過ぎない)に横滑りすることは大いに有り得るし、東京都議会における自民党勢力の惨敗は、そうした大衆の政治的感情を事実として証拠立てている。だが、安倍内閣と小池氏の来るべき「政権」との間に、決定的な差異を見出すことが可能かどうか、私は懐疑的である。彼女は今般の総選挙において、安倍政権に対する世間の不満を大いに活用するだろうが、それは彼女が安倍氏と比較して、遙かに優秀で国益に適う内閣総理大臣になれる逸材であることの証明にはならない。そもそも、彼女が安倍内閣と全面的な「対決」の方針を貫くかどうかも不透明である。実際、共産党社民党は「希望の党」に関して「自公政権の補完勢力に過ぎない」という言い方で批判を行なっている。細目に関しては兎も角、小池氏も安倍総理の悲願であると言われる「憲法改正」そのものに就いては、肯定的な方針を表明している。骨太の「護憲政党」を自任する共産党の立場から眺めれば、自公政権と小池新党は幾らでも「野合」が可能であるように見えるのだろう。

 現在の小池人気は、政治家としての具体的な実績に基づくものであると言うより、彼女の「選挙屋」としての卓越した技倆に由来するものである。「希望」という口当たりのいいフレーズ、印象的なシンボルカラーとしての「グリーン(クリーン?)」を巧みに操る視覚的な(つまり、テレビ・ネット的な)表現のセンス、世間からは悪党にしか見えない屈強な面構えのオッサン代議士たちを相手に派手な喧嘩を仕掛けてみせる気風の良さ、その「姐御肌」的なイメージ、オリンピックでも築地でも、一旦決まった事柄を平気な顔で引っ繰り返そうとする「改革」のイメージ、兎に角「イメージ」だらけのホログラムのような人気が、バブル期の株価のように異常な暴騰を示して、国政の舞台を騒々しく鳴動させている訳である。

 そうした現在の過熱した人気が、そんなに永保ちするものでもないことは、聡明な小池氏自身、充分に認識されているだろう。本来ならば大して日の当たらない都知事の職に留まり、オリンピックや築地市場の移転に関して地道な議論と根回しに骨を折り続けるより、自身の存在感が未だ鮮度を保っているうちに一世一代の博打に踏み切り、結果はどうあれ、史上初の女性宰相の椅子を奪い取ってしまうという筋書きは、彼女にとっては劇しい魅惑に満ちた青写真ではないか。

 だが、政権を勝ち得た後で、どう考えても烏合の衆に過ぎない「希望の党」の代議士を引き連れて、一体彼女がどのような活躍を示すのか、私にはよく分からない。無論、私の想像力の度し難い貧困が、そのような懐疑の培地であることも事実だろう。しかしながら、実際に都知事の職責を擲って国政の現場へ鞍替えするとしたら、総理大臣になった後も、適当なところで仕事を切り上げてしまうかも知れない、という虞は決して根拠を欠いた代物ではない。

 何れにせよ、今回の解散総選挙で「安倍晋三」と「小池百合子」以外に主役級の人物を想定することは難しい。民進党の「合流」という、恥も外聞も投げ捨てた上での奇策に就いて「野党四党の提携の合意に叛くものだ」と憤る共産党の志位委員長の発言に、真摯な関心を寄せる有権者は、既存の支持者の中にしか存在しないだろうと思われる。今回の選挙の争点を「独裁者・安倍晋三を斃せ」という特撮戦隊ものレヴェルの筋書きにまで絞り込めたら、そして「独裁者に抗う義勇兵の集まり」のようなイメージで、烏合の衆である野党勢力を一つの旗幟の下に糾合し得たならば、政権交代は現実の奇蹟として、選挙速報の中継画面をクラッシュさせるだろう。