サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(育てる者の責務)

*今期の新入社員が、今月一杯で他の店舗へ異動していく。後任の補充はない。四月に来年度の新入社員たちが配属されてくるまで、堪え忍びなさいという会社からの暗黙の御達しである。毎年の慣行なので、今更狼狽しようとは思わないが、そうした無理な人事異動の背景に、相次ぐ社員の退職という事情が介在しているのだから、否が応でも暗澹たる気分が募ってくる。

 年末年始の繁忙期を終えて、成人の日の三連休も過ぎ去れば、世間の消費は一挙に冷え込み、我々小売業の現場には閑古鳥が飛び交い始める。そうは言っても、如何なる状況であろうと千円でも多くの日銭を拾い集めねばならない我々にとっては、何も変わらぬ日常が続いているとも言い得る訳であり、従って社員を一人抜かれて何の補充もないというのは、やはり実際的な問題として負担である。

 本当なら、部下の異動を言い渡されたときに、もっと反駁してやるべきだったかも知れない。直属の上司は、売り場の現況も理解している訳だから、切実に訴えれば、もう一度、上長に掛け合って、期日を延ばすくらいの交渉は成り立ったかも知れない。

 だが、それが店長として、器の小さい判断だという想いを、私はどうしても禁じ得なかった。どういう事情で人が辞めていくのかは知らない。辞める理由は、個人の事情に紐付いているのだから、一概には総括出来ない。そして、会社全体の人員配置の最適化を考えるならば、自分の受け持っている店舗の人員状況の過不足だけを考慮して、上の采配に難癖をつけるのは聊か我儘な振舞いであると言えるだろう。

 もう一つ胸底を過ったのは、異動を言い渡された社員を、人員の不足を理由に現在の環境に縛り付けようとするのは、彼女の未来や成長を損なう振舞いなのではないか、という考えである。彼女は現在の環境に馴染んでいて、しかも多くのことを学んで、自分の血肉に変えてきた。このまま、無闇に慣れ親しんだ環境に安住していても、退屈して、場合によっては堕落するだけではないか。ならば、新しい環境で、もう一度冷水を浴びるような心持で、色々なことを学ぶべきではないか。共に働いてきた仲間と離れ離れになることは確かに淋しい。だが、訣別の寂寥を懼れる者に成長は望めないことも、地上の真理である。別れるときは辛い。だが、別れて成長した後は、もう淋しさは感じない。それは過去を忘却することとは違う。総てを自分の糧に置き換えられるということだ。淋しさを乗り越えられない人間は未来永劫、幸福な過去に縛られ続けることによって腐敗していく。

 だが、彼女がこれから向かおうとしている店舗は、余り内部の状況が良好ではないらしい。そういう噂は売り場の空気や、経営上の様々な数値的指標に滲み出る。或いは店長の顔つきに顕れる。店舗という一個の組織が日々の運営に躓いて腐敗するのは大概、内部の働く者同士の間で、信頼関係が構築されていないときである。そして、店内の信頼関係の構築の失敗は、往々にして店長の力量不足に起因する。色々な立場の人間と適切な仕方で関係を持ち、その距離を調整し、スタッフ相互の力関係や個性のバランスを見定めながら、最も有効な指揮系統と規律を探し、工夫を重ねる。これは組織の長としては当然の心掛であり、重要な職務である。だが、そうした技倆を合理的に、組織的に教育する制度が、私の勤め先に存在しているとは言い難い。そもそも、そうした技倆はかなり複雑精妙なもので、実際に現場を踏み、苦い経験を山盛りに積み重ねて、そこから種々の智慧を抽出していかない限りは、自分の力にはならないものである。すっきりとした教科書を読むような仕方では決して学び得ない厄介な側面が、たっぷりと含まれている。組織と人間を纏め上げるのは、単なる技術ではない。そこには種々の人間的美徳のみならず、もっと綜合的な「思想」や「哲学」が介在していなければならないのである。単なる物体のように、人間の思い通りに、或いは手順の通りに操れば動いてくれるというものだけが、技術的な判断によって解決される。だが人間は物質ではなく、隷属的な存在ではなく、銘々が主体的な魂を持っている。その素朴な事実をきちんと考えていないから、様々な不都合や軋轢が生じるのである。

 だが、兎に角私にとっては、新入社員の身を守ることだけが総てである。店長の力量に対する疑問符が、店内の信頼関係を怪しくしているらしいことは漠然と耳に挟んでいたので、私は新入社員に「スタッフの信頼を全部君が攫ってしまえばいい」と告げた。共通の標的が存在するとき、人間の同盟的関係は極めて強固なものになる。

 「着任したら、先ずはボスが誰なのかを突き止めろ。そして、そいつの考え方、価値観、不満に思っていることを探り当てろ。それを速やかに解決しろ。そうやってボスの信頼を掴み取れ。そこが抑えられたら、君に対する信頼は、水が高いところから低いところに流れて行くように、重力に従って末端まで行き渡る」

 こんな教育は如何にも血腥い。だが、新入社員が潰れないように配慮してやるのは、私の使命である。それでは、先方の店長に対して惨い仕打ちではないかと思われるかも知れない。だが、人の上に立つ人間には、有能である責任がある。無能ならば降りるしかない。それだけである。