サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(蠍座・支配力・不都合な真実)

*たまに、所謂「星占い」という奴をスマホで検索して眺めてみたりすることがある。大抵、そういうときは、自分の身の上に何か入り組んだ問題が生じて、巧く方針を定められずに思い悩んでいるのが通例である。自分の頭では適切に答えを導き出せないものだから、外在的な指標に頼ろうと企てる訳だ。

 私は蠍座の生まれで、大抵の場合、蠍座の性格としては、秘密主義であるとか、性的な事柄に対する関心が強いとか、独占欲や支配欲が強いという風な項目が挙げられている。それが何もかも自分に当て嵌まると思う訳ではない。だが、或る人から「支配力が強そうだ」と言われた。理由を訊ねると、「人前で奥さんのことを『嫁』と呼ぶから」という返事であった。自分では余り意識したこともなかったが、実際に妻に訊ねてみると、確かに「嫁」という呼称には、所有物のようなニュアンスがあると、同意していた。

 私は小売業の店長であるから、良くも悪くも人を使いこなさねば仕事の回らない立場である。そして、実際に売り場を自分の采配でコントロールしているときは、名状し難い充実感を覚えているのも事実である。その意味では、適職に任じられているという見方も成り立つのかも知れない。それが人の上に立つ人間であることの醍醐味なのだと、信じ込んでいる部分もある。

 だが考えてみれば、支配することに魅惑を覚えるという性質は諸刃の剣であるとも言えるし、また万人に共通する精神的な資質だと、一方的に敷衍し得るものでもない。例えば現在の私の直属の部下は、明らかに人から支配されて充実するタイプの精神的特徴を備えているように見える。それが私の眼には大変歯痒く物足りなく映じる。曲がりなりにも彼女は、私の代行者として売り場を取り仕切り、スタッフを統率せねばならない役割を宛がわれているのである。そういう人間が、支配されることに充足を覚えるタイプであるという事実は、何とも因果な話であるが、同時に有り触れた事態であるとも言えるだろう。自分の性質と、社会から割り当てられた使命との間に、望ましくない不一致や背反が生じることは、特段に奇態な現象ではない。

 だが、支配欲の強さが裏目に出れば、独裁的な暴君と化して他人を傷つけたり、己の欲望の命じるままに破滅的な行為を繰り広げる場合もあるだろう。こういうことは、楯の両面であるから、それ自体を取り上げて善悪を論じても無益である。だが、少なくとも、己の人間性に含まれた有害な要素や、その危険性に対する理解は、成る可く精確な仕方で積み上げておいた方が安全である。劇薬も、適切に使用すれば有益な効能を得られるものだ。

 無論、自分がどういう人間であるかを正しく理解し、濁った真実に澄んだ眼差しを注ぐということは、それほど簡単に成し遂げられる課題ではない。充分に理解している積りであっても、それが所詮は表面的な綺麗事に過ぎない場合も少なくない。そういうことを、最近学ぶ機会があった。やはり、生きることは、果てしなく奥深いものなのだ。