サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

詩作 「所有」

長雨に煙る空

遠くに光る

ビルの赤いランプ

十一月の街は少しずつ冷えていく

こころが少しずつ冷えるように

 

愛することと

支配することの間に

見いだせなくなった距離を

探し求めて

動く指先

 

誰かを所有すること

愛しいあなたを所有すること

所有することで

急速にひび割れていくこころ

夕焼けが残る空

後悔だけが

残る黄昏

 

失ってしまう怖さ

握りしめて

逃さないように

指先に力をいれた

とたんに

音もなく歪み

爆ぜるようにくだける

まるで蜉蝣のように頼りなく

繊細に仕立てられた

愛し愛されるこころ

 

わたしはあなたの所有物ではありません

そう物語る

一対の冷たい瞳

わたしは告発によって

己の罪にはじめて気づく

子どものように幼い

無知なこころで

何もかも野蛮に欲しがっていたのだと

 

逃げ出さないように

標本にする

ピンで留められて

もがくあなたは

少しも幸福そうに見えない

愛が凶器でありえることを

学ばずに

いつまでもわたしはおぼれていた

あなたを愛するこころにではなく

あなたを縛りつけようとするこころに

それを愛の証拠だと

思い込んで

 

間に合わなかった電車のように

あなたは遠くへ去ってしまいました

何度もあなたは停車して

待ってくれていたのに

怠惰なわたしは

あなたの控えめなアナウンスを聞きのがした

誰もいないプラットホームで

わたしは霧雨に濡れる

線路の行く手に

目を凝らしても

あなたの電車は

ふりかえらない

 

愛しさが

ナイフのようにひるがえる

さっと振り抜かれ

あなたの頬に

ひとすじの赤い線を走らせた

しかしもう

あなたの瞳は微動だにしない

あなたは知ってしまったから

わたしが正しい愛し方を知らないことを

愛することと

所有すること

その区別がつかないわたしに

あなたは失望して

背を向けた

黒ずんだブラッドガターのように血なまぐさい

傲慢な愛情に

いつまでも付き合っていられるほど

人生は長くない

詩作 「いいえ」

いいえ、それは星ではありません

それは夏草の葉叢で生まれた若い蛍火

 

いいえ、それは風ではありません

それは夕暮れの家路を歩くあなたが

一日の労働を終えた溜息の音

 

いいえ、それは答えではありません

それは連綿と続く暮らしのなかで

あなたへの関心をかすれさせた恋人の

形ばかりの相槌です

 

誤解が人の世の定めならば

隅から隅まで

分かり合うことを望む

あなたが

生き辛いのは道理です

 

いいえ、それは真実ではありません

それは束の間の快楽に溺れた彼が

慌てて拵えた安物の芝居

 

いいえ、それは嘘ではありません

それはたとえ欺瞞や倦怠に満ちていたとしても

長い歳月が蒸留したあなたへの愛着

 

いいえ、それは罪ではありません

それは太古の昔から男女が繰り返してきた

心変わりの一例です

 

正解を人の世に求めても

裏切られるばかり

絶えず相手の眼を見つめている

あなたは

要するに強情な分からず屋です

 

いいえ、それは愛情ではありません

それは身勝手な淋しさを埋めるための脅迫です

 

いいえ、それは無慈悲ではありません

それは昼も夜も野獣のように追い縋るあなたから

身を守るための対策です

 

いいえ、それは永遠ではありません

それは偶然知り合った二人の関係に被せられた

幸福な錯覚の織物です

 

死を拒めば

生きることはすさむ

永遠を望めば

愛することが難しくなる

時限爆弾を背負って

走りまわるような

わたしたちの暮らしを

恩寵が照らす

幸福な錯覚という恩寵が

 

いいえ、それは絶望ではありません

それは愛することに不慣れなあなたへの大切な贈り物

 

いいえ、それは悲劇ではありません

それは自分のこころをかわいがるあまり

相手のこころに首輪をつけたあなたの罪です

 

いいえ、それは終わりではありません

それは今まで知らなかった広大な原野へ走り出す為の

高らかな号砲です

 

知らないものを知るために

伸ばされた手

かがやく指環

あなたはまるで生まれたばかりの仔羊のように

明るくものうい瞳をひらく

そうです

あなたは何も知らなかっただけです

しかし農場の外には

果てしない森がひろがり

運命は水脈のように枝分かれして

宇宙の辺境まで連なっています

 

いいえ、それは限界ではありません

それは過ぎ去った日々のなかで

古い写真ばかり見ていたからです

 

いいえ、それは夢ではありません

それは傷ついたあなたのこころが

まだ見ぬ誰かをほんとうに愛し始める予兆です

 

いいえ、これは気休めではないのです

永遠など望まずに

この瞬間の

電流のような愛しさだけを信じてください

添えられた賞味期限の日付を

確かめてみたところで

なんにもならない

未来は

いつもわたしの掌のそとで

にぎやかな交差点のように

時の重さを量っています

根源的性質としての「弱さ」

 以前、長谷川豊という人物が自身のブログに、人工透析患者に対する誹謗中傷の記事を投稿し、社会的な問題に発展したことがあった。彼の言い分は、医者の勧告を無視し、節制を怠って発病し、揚句の涯に人工透析を受けることになるのは患者としての罪悪だ、というものである。そういう人間に公費を投じて医療行為を受けさせるのは不当な措置であり、全額実費負担にすべきで、金が払えないのならば死んでもらった方がいいと、彼は本気なのか嘘なのか、自身の言葉で訴えている。

 この記事に対する猛烈な批判が巷間に満ち濫れたことは周知の事実である。この場で、同じ批判を繰り返すことは無益であるから差し控えておく。ただ、彼の言い分が極めて現代的な「弱者観」に支えられていることは、重要な論点として改めて確認しておく必要があるだろう。つまり、弱者であることは、本人の「罪過」であるという、随分と傲岸な考え方である。或る意味では、これはトマス・ホッブズの「リヴァイアサン」における「自然状態」そのものの世界観である(但し、私は「リヴァイアサン」の翻訳も原書も読んでいない)。言葉を換えれば、現代的な「自己責任論」の典型でもある。

 経験論的な考え方の、極度に純化された形態としての「実存主義」は、こうした頑迷で簡便な「自己責任論」を培養する素地としての性質を濃厚に孕んでいるように、私には思われる。要するに、自分の人生は自分の力で概ね決定し得る、という自由主義的信仰が、弱者は罪人であるという極端な自己責任論の跋扈を支えているということだ。本人の病気は、本人の選択の結果である。だから病人は、救済されるべき「不幸な弱者」ではなく、寧ろ積極的に社会から放逐されるべき「怠惰な愚者」として定義される、という訳だ。

 こうした論法が随分と歪んだ認識に基づいていることは、明瞭な事実である。成功した人間が、自分と同じ方法を用いれば誰でも同じような成功に辿り着けると確信しているとすれば、それは随分と大雑把な推論だと言わざるを得ない。実際には、そのような方法を開陳する世間の無数の成功者たち自身も、自分が様々な外在的条件に恵まれて、その成功に到達したのだという真実を理解しているのではないか。だが、膨張した自尊心は、そうした単純な真実に光を当てることを妨げるものである。

 社会的な弱者であることは、本人の罪であるという類の傲慢な言説は、社会的な強弱が純粋な自己決定の結果として与えられているという信憑に基づいているが、その仮説自体が実存主義的な偏見の産物であることに、私たちは慎重な眼差しを注がねばならない。努力によっては克服し得ない素質の格差や、自力では制御し難い運命の格差を悉く認識の領野から捨象した上で繰り出される素朴な自己責任論(それはナルシシズムの一種であろう)の暴力性は、或る意味では「自由」という理念の後光によって照らし出された「希望」の形態である。「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」(日本国憲法 第十四条)という自由主義的な理念は、実存主義的な「決断」の効力に重要な意義を認めていると言えるだろう。だが、こうした考え方を過度に推し進めることで、弱者に対する不当な排撃が蔓延するとすれば、それは本末転倒の事態ではないか。

 そもそも、人間というのは、その本質として脆弱な存在である。こうした基礎的認識が蔑ろにされることによって、自由主義的な弱者観と、純然たる自己責任論の斉唱が生み出されるのである。つまり「人間は強者として存在し得る」という認識への盲信が、結果として「怠惰な弱者」という偏狭な価値観を形成する基盤となるのだ。

 無論、私は徒に「弱者であること」の正当性を鼓吹しようと考えている訳ではないし、怠惰であることは罪悪そのものではないにせよ、その遠因として作用し得ることは認めるに吝かではない。だが、相対的に「強者」であることが、直ちに相対的な「弱者」に対する差別や迫害を齎すという事態には、何らかの制約が課せられねばならないと思う。病気になるのは自己責任であり、従って公費を投じて救済の措置を講じる必要はないという驚愕すべき「強者」の論理の跋扈は、明らかに人間の根源的な「弱さ」に関する省察の不足を示している。この異様な自己「過信」が如何なる原因に由来するのか、私は冷静に見定めることが出来ない。彼は自分が病気になったら、如何なる公共の助けも借りずに自ら好んで死を選び取る覚悟なのだろうか。それとも、自分は公費に頼らずとも豊かな私財を用いて、万全の医療を享受し得るという算段なのだろうか。何れにせよ、傲慢な考え方であると言わざるを得ない。病人を「社会的害悪」として位置付ける優生学的な思想の危険性は、全体主義の齎した歴史的な惨劇の事例を徴すれば、直ちに明らかになる峻厳な事実ではないか。

 昨年の夏に発生した、所謂「相模原障害者施設殺傷事件」においても、犯人の障害者に対する根深い嫌悪が、このような自己責任論の過激化された形態に基づいていることは、概ね確かな事実ではないかと思われる。障害者の存在を「社会的害悪」と看做す眼差しは、恰かも障害を抱えて生きることが「罪悪」であるかのように考える態度によって醸成されている。ここには、人間の根源的な脆弱性に対する謙虚な認識など、微塵も存在していない。相対的なものであるとはいえ、世の中には「強者」と「弱者」が存在するという単純な二分法が、根源的な脆弱性に対する省察を窒息させているのだ。

 人間の実存に附随する宿命的な「弱さ」を分かち合うことで連帯するという発想は、社会を成立させる為の根源的且つ基礎的な条件である。どんな事柄に就いても、自分自身の一存で決定することが可能であるならば、他者との連帯など、無益な徒労に過ぎないということになってしまう。だからこそ余計に、どうにもならない窮境に呑み込まれて足掻いている他人の姿が「醜悪なもの」に感じられ、乱暴な排撃の言辞が口を衝いて出ることになるのだろう。だが、誰もが根源的な次元では「弱者」であるという認識を堅持する限り、他者は常に連帯可能な存在として現前する。人間が根源的な「弱者」であるということは言い換えれば、どんな強者も、明日には「弱さ」のどん底まで転落しているかも知れないということである。

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

 「平家物語」の冒頭に掲げられた、この美しい詩句は、人間の根源的な脆弱性に関する省察の、簡潔で適切な表現であるに違いない。

Cahier(悪夢・離婚・未熟・カフカ)

*先ほど、寝つきの悪い子供に寄り添って眼を閉じていたら、疲れに誘われるように知らぬ間に眠りに落ちていた。そして、久々に悪夢を見た。妻から別れを告げられる夢だった。理由は分からない。詳しい経緯も、具体的な科白も、早くも記憶の彼方に霞み始めている。無論、夢というのは元来、そういうものだ。

 妻は冷たい態度で、私に離婚という方針をナイフのように突きつけた。動顛した私は、せめて娘だけでも、と言った。すると妻は鼻で笑って、好きにすれば、という趣旨の言葉を返した。どうせ、あんたに面倒なんか見られる訳ないでしょ、という含意が、暗黙裡にその返事の端々に反響しているように聞こえた。

 それから場面は転換した。友人や、職場の上司や同僚や、母親や、そして離婚の意思を示した妻と一緒に、何故か私は呑み会のようなものへ出掛け、しかも場所はカラオケボックスだった。ドリンクバーの機械があった。私は背負い切れない想いを周りの人たちに伝えた。母親にも、伝えたような気がする。上司の上司が、じゃあ彼は二回目の離婚をするんだねと、気遣わしげな表情で呟いていた。

 そういう訳の分からないシーンの連続の後で、不意に眼が覚めた。薄暗い部屋で、私は息苦しい体勢で眠っていた。一瞬、自分の現在地も、現在時刻も把握出来ずに茫然とした。隣では一歳の娘がすやすやと眠っていた。妻は、リビングのソファに横たわり、イヤホンを装着して3DSを両手で掴み、魔王を斃す冒険の旅路を突き進んでいる最中であった。夢で良かったと、私は心底思った。

 その夢の中で、私は昔、最初の妻と離婚したときの経験を思い出した。厳密には、その当時、私の心身を苛んだ「絶望」の感情を精細に思い出していた。妻の冷たい態度に不安を煽られ、問い詰めたら、彼女は「もう愛していない」と明言し、私は真夜中の台所の床に蹲って、恥も外聞もかなぐり捨てて嗚咽した。その泣き声を、リビングで、疲れた妻は無言で聞いていた。泣き止まない子供の寝かしつけに疲弊した母親の後ろ姿だった。そのまま、眠れずに朝が来た。中学生の義理の娘と、保育園に通う幼い息子が起き出す時間だった。私は朝から仕事へ行かねばならない立場だったが、とてもそんな気力が湧かなかった。泣き顔を子供たちに見られたくなかったので、携帯を握り締め、サンダル履きで表へ出た。

 その当時、暮らしていた家賃の安いメゾネットから、流山街道を横切って少し歩くと、直ぐに江戸川の土手へ辿り着くことが出来た。私は亡霊のような足取りで土手へ往き、休みで眠りこけている筈の部下に電話して、今日、私の代わりに出勤してくれないかと頼んだ。寝惚けた声の部下は、突然の連絡に当惑した様子で「一体、どうしたんですか」と訊ねてきた。一体、どうしたのか。確かにその通り、一体、どうしてこんなことになってしまったのか。私は懸命に呼吸を整えてから、「嫁と別れるかも知れないんだ」とだけ、絞り出すように言った。その瞬間、あんなに呼吸を整えたのに、泣き崩れるように声が顫えてしまった。部下は慌てた様子で「分かりました。僕が出勤します」と請け合ってくれた。我ながら、みっともない上司だった。

 それから一年くらい、私は関係の修復を志して、自分なりの努力を重ねた。一人の夫として、父親として、未熟な個所は無限にあったから、修復と改善の余地も大きいように思われた。けれど、一旦冷え切ってしまった人間の心に再び前向きな明るい光を燈すことは至難の業だった。一年後、私たちは大事な問題に就いて話し合うとき、何時もそうするように、台所の勝手口から暗い夜の懐へ出て、莨に火を点けた。何か気持ちに変化はあるかと、私は訊ねた。何も変わらない、と彼女は明言した。経済的な不安から、少なくとも子供たちが手を離れるまでは、私の方から離婚を切り出そうとは思わない、というのが、彼女の既定路線だった。その方針に変更が生じないのならば、私は愈々、自分自身の絶望を現実の一部として受け容れるしかなかった。「別れよう。それでいいな?」と私は決断の言葉を口にした。勝手口のドアの前に屈んで、メンソールの莨を吹かしながら、彼女は黙って頷いた。

 その当時の絶望の生々しい感覚を、先刻の悪夢は冷凍のマグロのように新鮮な状態で保存していた。自分はダメな人間なんだという感覚。総てを失ってしまったという感覚。無論、当時の出来事は今でも記憶しているが、肉の剥がれた骨格のように、それは意味の連なりとして知的に消え残っているだけで、そのとき感じた生々しい情緒は、とっくに掠れて読めなくなっていた。私は甦った絶望の感覚に恐怖した。その恐怖の余韻が、目醒めた後も暫く私の胸底を去らなかった。

 離婚から半年くらい経って付き合い始めた年下の女性と、一年も経たずに別れ話の局面を迎えたとき、彼女は電話越しに「やっぱり私、バツイチ子持ちの人は無理」と言ってのけた。自分は未だ二十五歳で、可能性もあるから、敢えてバツイチ子持ちの人間と関係を持ったり、将来を構想したりする必要はないという趣旨の発言もあった。私は愕然とし、深く傷ついた。つまり、彼女は現在の関係を「勿体ない」と考えるようになったのだ。中古品の男相手に、二十五歳の「女」として、自分自身を最高値で売りつける権利を行使するのは、馬鹿げた振舞いだという結論に達した訳だ。そのときの絶望、つまり「最初は愛し合っていても、結局は必ず終わりが来るのだ。しかもそれは多かれ少なかれ、私の人間的な未熟さに基づいた結末なのだ」という絶望が、先刻の悪夢に私が魘された最大の理由であった。

 リビングで悪い夢を見たと妻に告げると、彼女は大丈夫だ、私はここにいるよと言ってくれた。娘も布団で健やかに眠っていた。台風5号に起因する足早な大雨は既に千葉を去っていた。鏡で確かめると、私はとても酷い顔をしていた。まるでカフカの小説のような夢だった。

Cahier(夏・花火大会・ファミレス・交通事故)

*八月に入ってから仕事が忙しく、なかなかブログの更新に着手する余裕を確保することが出来なかった。カミュの「ペスト」を読み終えたら、纏まった感想記事を認めたいと考えているのだが、未だ300ページにも達していない。なので、断片的な雑録を書き記すくらいが関の山だ。

*日本の夏と言えば、古来花火と相場が決まっている。今日、八月五日は千葉県内の方々で花火大会が催された。有名な市川市民納涼花火大会の他にも、幕張や佐倉や手賀沼や松戸など、花火大会のオンパレードで、夏の夜の街路には浴衣姿の若い女性が濫れ返っていた。生憎、私は終日仕事であったが、妻は娘を連れて幕張の浜辺へ壮麗な打ち上げ花火を見物に出掛けた。幼い娘は、間近で炸裂する花火の轟音に怯えるどころか、随分と上機嫌で、感嘆符のような声を発しながら踊っていたらしい。なかなか豪胆な一歳児である。

 花火大会というのは、食品小売りに従事する人間にとっては紛れもない書き入れ時で、かつて市川で店長を勤めていた頃には、夏の花火大会というのは年間でも指折りの売上高を叩き出す、蒸し暑い正念場であった。雨が降らないことを天に祈り、願いは無事に聴き届けられて、一度も雨天中止の惨憺たる窮状には見舞われずに済んだ。尤も、私以外にも自ら「照る照る坊主」の心意気で熱烈な祈祷に力を尽くした方は大勢いらっしゃっただろうから、私の願いが聴き届けられたという確証はない。

 市川から柏へ異動の辞令が下り、漸く江戸川の花火から解放されたと安堵したのも束の間、直ぐに私は自分の考えの甘さを痛感する羽目に陥った。何も市川市民だけが夏の夜空に描き出される火薬の芸術を愉しんでいる訳ではない。柏の人々にはちゃんと手賀沼の花火大会という愉しみが与えられているのである(無論、同日開催の松戸へ往ってもいい)。結局、食品小売業に従事する限りは、花火という光学的芸術の魔力から身を逸らすことは出来ないのである。

*妻が花火大会の観覧で遅くなるので、私は夕食を自力で調達することになった。止むを得ず、部下の社員1名とフリーターのスタッフ1名と共に、千葉駅の近所のファミレスへ行った。

 街中には、浴衣姿の浮かれた男女が幾人も歩いている。市川の店舗に勤めていた当時、花火大会の夜は何処の居酒屋も軒並み予約で満席になるという話を聞いたことがあり、千葉市内も幕張の花火帰りの人々で賑わっているだろうと予測を立てたが、辿り着いたファミレスの店内は閑散としていた。

 私は鰻丼と温かい饂飩のセットを頼んだ。本当は冷たい蕎麦が良かったのだが、肥満した男性の店員は丁寧な口調で、饂飩を蕎麦に取り換えることは出来ないと返答した。運ばれてきた鰻は、ゴムのように人工的な食感であった。値段相応なのだから、文句は言えまい。だが、この類稀なる「ゴム感」の由来は何なのだろうか。安い鰻だから、ゴムなのか。しかし、安いからと言って、つまり品質が劣るからと言って、ゴム感が強まるというのは当たり前の現象なのだろうか。

*駅までの帰り道、フリーターの女の子が、此間この場所で走ってきた車にぶつかったと言った。正面から来たので、反射的にボンネットへ両手を突いたらしい。結果として、自分が怪力を駆使してボンネットを押さえ、車を強制的に停めたような奇態な光景になったそうだ。自動車を運転していたのは若い女で、そのまま挨拶も何もせずに走り去ったという。恥知らずの酷い女である。「いてててて」と騒いでやればよかったじゃないかと、私は言った。「いててててえ、あばら粉々やわ、どないしてくれるねん姐ちゃん」と言えばよかったじゃないか。女の子は笑って取り合わなかった。良識的な反応であろう。

 すると部下の社員の女の子が、私は停まっている車にチャリンコで追突したことがあると言い出した。典型的な悪事である。大丈夫、誰も乗っていなかったと彼女は言う。そういう問題ではない。自動車と自転車では、自動車の方に罪があると強弁する。停まっている車に突っ込むのは無論、突っ込んだチャリンコの罪であろう。逃げたのかと聞く。もちろん逃げたと言って笑う。筋金入りの悪党である。だが、同じ状況なら、私も確実に逃げるだろう。

*子供の頃、団地に住んでいた。団地の棟に平行して、住人専用の駐車場が並んでいる。団地の棟と駐車場との間のスペースで、私は自転車に乗る練習をしていた。ふらふらと頼りなく蛇行する幼い私を、窓から顔を出した団地の住人たちが見守り、応援してくれる。無論、彼らが見守っているのは私ではない。私の披露する飲酒運転並みの危険運転によって、自分の愛車が損なわれないか、冷や冷やしながら眼を光らせているのである。どんな物事にも、異なる側面というものが備わっていることの、好個の事例である。

Cahier(アルベール・カミュ、ミラン・クンデラ、新入社員、ドラゴンクエスト)

*フランスの作家アルベール・カミュの小説「ペスト」(新潮文庫)を読んでいる。未だ200ページ弱の段階なので、纏まった感想を綴れる状態ではない。翻訳が、日本語として熟していなくて、意味を追うのに難儀するが、余りに滑らかな日本語であっても、却って原書・原語のニュアンスを消し去って、本来の意味を見え辛くするかも知れないので、良いとも悪いとも言い難い。

 「ペスト」の前に読んでいたフランツ・カフカの短篇群に比べると、カミュの文章はとても饒舌に感じられる。しかも、その饒舌さは如何にも理知的で観念的で、カフカ的な文学の対極に位置付けられるべき作風であるように感じられた。カフカが徹底的に削ぎ落としていく「意味」を、カミュは頗る貪婪な食欲に基づいて追い求めている。途中で登場する神父の壮大で大仰な「説教」の場面から、メルヴィルの「白鯨」における「説教」の場面を連想したのだが、訳者の後書きに、カミュが「ペスト」の構想を練るに当たって「白鯨」から重要な影響を受けていた旨、記されていた。メルヴィルの驚嘆すべき饒舌は、物語の単線的な進行を妨げ、その超越性を失墜させる為の武器であるが、果たしてカミュの場合はどうなのだろう? 「異邦人」を読んだときの感触ではカミュもまた、神学的なイデオロギーに代表される「意味という病」(©柄谷行人)への根深い不信と抵抗を抱え込んでいるように思われたのだが、それはカフカ的な簡潔さとも、メルヴィル的な饒舌とも異質だ。端的に言って、メルヴィル諧謔が「異邦人」の文体に反響しているとは思えない。或いは「ペスト」ならば、そうした反響を聞き取れるのだろうか? それに就いては読了するまで、判断を差し控えるのが公正な態度であるだろう。

 

*「小説の技法」(岩波文庫)という本の中で、ミラン・クンデラは「作家」と「小説家」の厳密で正当な区分に就いて語っている。彼の考えでは、両者は似て非なる存在であり、安易な混同は忌避されねばならないのである。そして彼の区分に従えば、アルベール・カミュは「小説家」ではなく「作家」という扱いになるらしい。

 クンデラの思索の経路を、私が精確にトレースすることは出来ないが、確かにカミュの「ペスト」における文体は、小説の作者の「声」であるというよりも、一人の思想家の演説のように聞こえる部分が大きい。多少の皮肉な笑いが、混じっていない訳ではない。だが、カミュの笑いは、小説的な哄笑には程遠く、尚且つ彼の語り口は極めて真摯で、明晰で、理知的である。それはカフカの苦いユーモアとも、メルヴィルの大袈裟なユーモアとも異質な「声」によって構成されているのだ。総てを笑い飛ばし、戯画化してしまう為には、カミュという人物は余りにも生真面目な性格であるように思われる。彼の関心事は、あらゆる信念を相対化して哄笑することではなく、飽く迄も一つの真剣な信念を問い詰め、語り尽くすことに存している。それは小説ではなく、哲学、或いは思想の問題である。言い換えれば、カミュという人物の頭脳は、小説という手段を経由することに堪え難い「迂遠さ」を見出すように仕立てられているのではないか。余りに明晰な頭脳は、性急な情熱を欲するものだ。それこそ、手を叩いて笑い転げる余裕を失ってしまうほどの「正義」への厳粛な希求に、彼は駆り立てられていたのではないだろうか。

*連日、鍋底の枝豆のように、無性に暑苦しい。私は今日も千葉市中央区へ出勤した。小売業の現場指揮官、へっぽこ軍曹として、銃弾の代わりに札束の飛び交う優雅な戦場へ赴くようになって、十年ほど経つ。今年度の新入社員は短大卒の女性で、二十歳である。私は今年の冬に三十二歳の誕生日を迎える予定で、遂に新入社員との年齢格差が干支一周分に達するような、ほろ苦い御年頃に辿り着いてしまった。軍曹見習いの彼女は、年齢の割に肝が据わっている。私も、年齢に比すれば肝が据わっていると思われがちな外見と性格である。へっぽこ軍曹の口の悪さに、軍曹見習いは大して傷つきもせず、堂々且つニヤニヤと笑っている。私は、余りに礼儀正しい新入社員より、多少生意気な新入社員の方が心安らぐという変態軍曹なので、軍曹見習いの頼もしさに感無量である。一刻も早く将校に昇進して、与えられた職権を濫用し、私の給与額を不当に値上げしてもらいたい。因みに彼女は先日、SMの女王様みたいな、或いは往年のダンプ松本みたいな、つまり悪徳警察官のような黒い帽子を被って出勤していた。この調子では、軍曹見習いによる下剋上の成功も、もはや時間の問題である。

*待ち望んだ「ドラゴンクエスト」の最新作(3DS版)が先日、郵便屋さんの手で我が家に届けられた。尤も、待ち望んでいたのは私ではなく、妻である。日々、育児と家事に忙殺される彼女は、機嫌が悪いと土佐犬の如く吼え猛る小さな娘の就寝後の静寂を有効に活用し、遂に壮大な冒険の旅路へ出発したばかりである。今日の冒険の旅程を訊ねると、妻の返答は「電子説明書を読むこと」というものであった。随分と慎重且つ用意周到な勇者である。袋一杯の薬草と毒消しを買い漁るまで、最初のダンジョンに踏み込むことを拒否するのではないかと邪推したくなるほど、彼女の冒険旅行は綿密な計画に基づいている。邪悪な魔王も待ち草臥れること請け合いである。このままでは恐らく、間抜け面のスライムたちも巣穴へ帰ってしまうであろう。

ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

 
小説の技法 (岩波文庫)

小説の技法 (岩波文庫)

 

「断片化」としての小説(カフカの「中断」、メルヴィルの「集積」) 2

 前回の記事の続きを書く。

 

 「ロゴスの単一性」を重要な特質として帯びる「物語」=「ロマンティシズム」の堅牢な秩序に対して、様々な手段を駆使して叛逆と簒奪を試み、単一的なロゴスの彼方に「世界の本質的な多様性」を見出そうとするのが、小説的なリアリズムの本義である。

 小説的なリアリズムの技巧的な側面は様々だが、それらの多様な方法論の目指す理念的な極北は「断片化」の一語に尽きると、私は考えている。単一的なロゴスを覆す為に、例えば学術的な論文を書いたり、機智に富んだ諷刺的な詩歌を綴ったりするのではなく、飽く迄も「物語的なもの」を擬装するのが「小説的な狡智」であるのならば、その策動は「物語の内部」で実行に移されねばならない。それが「物語を断片化する」ということの意味である。

 ロマンティシズムは、或る単一な視座=意図による専制の下に、物語が構成され、進められていくことを不可避的に要請する。そうやって一切の出来事を或る単一的な「理念」の下に拘束し、支配するのである。小説的リアリズムは、そうした専制を覆す為に様々な方法を選択するが、カフカの場合には「中断」という身も蓋もない方法が、その小説的な企図の中核を構成しているように思われる。

 カフカの文章は少しも突飛なものではないし、そこに観念的な眩惑のようなものを見出すことも出来ない。彼の筆致は飽く迄も簡潔で、素朴な写実性の規矩に黙って服従しているように見える。つまり、その作品が読者に齎す印象の特異性を、彼の文章の特殊性に求めることは認められないのである。

 カフカが長篇小説の「完結」を成し遂げられずに死んだという客観的な事実は、私たちに或る示唆を与えている。「失踪者」「審判」「城」の中絶は、フランツ・カフカという作家の用いた固有の技法に内在する「方針」によって招来された、不可避的な事態であったのではないか。無論、死者に真実を訊ねることは不可能であるから、こうした仮説に最終的な正当性を認めることは、傲慢な越権に過ぎないだろう。だが、一つの興味深い仮説であることは、少なくとも私個人にとっては確かな主観的事実である。彼の長篇小説が未完に終わったという事実は、単なる偶然の所産ではなく、作家自身の内在的な姿勢によって意図的に選び取られた「現実」である。このように考えたとき、彼の遺した作品が何れも「未完」であるかのような外貌を備えているという事実は、重要な意義を帯び始める。

 カフカの小説を読んでいると、一体「この作品は何を言いたいのか」という疑問が生まれる。別に作品の主題を暴き出したい訳ではなくとも、端的に一つの「物語」として眺めたときに「一体、何なんだ、これは」と言いたくなるような仕上がりのものばかりである。これは特定の作品に限った特徴ではなく、充分にカフカの「作風」と呼び得る次元で、その作品の群れに通底している要素である。彼の小説は「こういう話です」という明快な要約を峻拒する特異性を身に纏っている。言い換えれば、それがカフカにおける「小説性」なのである。そして、彼が独自の「小説性」を確保する為に駆使している技法が、物語の唐突な「中断」なのだ。彼は敢えて「物語」に強制的な中断を命じることで、「物語」が単一的なロゴスによって包摂される事態の到来を阻止している。

 物語が単一的なロゴスによって包摂される以前の段階で、物語の記述を強制的に終了させてしまうことで、如何なる文学的効果が生じるのか? 端的に言えば、その強制的な「中断」が一つの纏まった物語を、その分量の長短に関わらず「断片」に変えてしまうのである。物語の総体に、何らかの統一的且つ包括的な「意味」の天蓋が覆い被さることを回避する為に、カフカは不可解な「中断」の手続きを導入する。彼の短篇が不透明な「夢想」の感触を孕むのも、遺された三つの長篇小説が悉く「未完」のまま放置されているのも、こうしたカフカの戦略的な意図の帰結であると捉えれば、それなりに納得が行くのではないだろうか。

 無論、物語を強制的に「中断」させることだけが、物語の「断片化」という小説的戦略の選び得る唯一の方法だという訳ではない。物語を支配する単一的なロゴスに対する異議の申し立ては、様々な方法によって行われ得るし、その方法の多様性が文学の「豊饒」を齎す重要な根拠なのである。

 例えば、上述したような「断片化」の技法の体現者として、私が直ちに想起するのは、十九世紀のアメリカが生み出した作家ハーマン・メルヴィルである。彼の代表作である著名な長篇小説「白鯨」は、一見するとモービィ・ディックに片脚をもぎ取られたエイハブ船長の復讐劇という風に要約することが可能であるように思われるが、その要約が実際には「白鯨」という作品の本質的な独創性を殆ど何も説明していないことは、その読者にとっては明瞭な事実である。エイハブ船長の「復讐」という怨念は飽く迄も「白鯨」の物語を構成する「骨格」のようなものであり、重要なのは、その「骨格」に纏いついている夥しい量の「贅肉」の方であろう。メルヴィルは、捕鯨業に関する該博な(トリヴィアルなものも含めて)知識を縦横無尽に駆使して、この作品を構成している。そのとき、作品の内部に導入される無数の「鯨」に関する記述は、物語を構成する上で、必ずしも有機的な結合を実現しているとは言えない。寧ろ、有体に言ってしまえば、この「白鯨」という長大な小説は、素朴な意味で有機的に織り成された単一の物語ではなく、「鯨」に関する記述のユニークなパッチワークであり、雑駁な「断片」の集積された形態なのである。 

カフカ短篇集 (岩波文庫)

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白鯨 上 (岩波文庫)

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白鯨 中 (岩波文庫)

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白鯨 下 (岩波文庫 赤 308-3)

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