サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2016-07-25から1日間の記事一覧

サラダ坊主風土記 「松戸」

中学三年生の春に大阪から引っ越して以来、十年以上も私は松戸に住んでいた。最初は胡録台というところで、父親の勤め先の社宅であった。その次は、結婚して江戸川に程近い古ヶ崎という地域へ移り住み、離婚すると松戸駅の近くに四万円の安アパートを借りて…

「殉国紀」 第八章 古びた呪刀 6

「まあ、座ってくれ」 勧められて腰掛けた継ぎ接ぎだらけの布張りの長椅子は、底無し沼のように深く沈み込み、客人の重みに堪えかねて滑稽な悲鳴を上げて軋んだ。局長室とは名ばかりの質素な部屋は、壁の彼方此方に黄ばみが目立ち、天井には雨漏りの汚点が幾…

「殉国紀」 第八章 古びた呪刀 5

帝国における鉄路の発祥は、アレス盆地とヴォルト・アクシアを結ぶクヴォール本線であり、その主要な任務は呪工品の運輸であった。キグナシア同様、呪工業の盛んなヴェロナ半島でも、夥しい貨物と鉱夫を運ぶ為に、ノルダーテンとレウ・ヴェロナを繋ぐヴェロ…

「殉国紀」 第八章 古びた呪刀 4

峻険な連峰を踏み越えると、行く手に広がるのは帝都アルヴァ・グリイスを擁するタイリン平原である。グリシオヌス連峰に発する二つの大河、バルクールとデフォルーの恵みを享けた大地は、乾燥した気候ゆえに大規模な農耕の定着には至らず、古くから遊牧民の…

「殉国紀」 第八章 古びた呪刀 3

「全く年寄りってのは大したもんだぜ。こんなオンボロの泥舟で、最新鋭の軍艦を振り切っちまうんだからな」 不覚にも右肩に蒙ってしまった浅い刀創に繃帯を巻いてもらいながら、カゲイロンは舵輪を握り締める老婆の痩せた背中を眺めた。 「何を言ってるんだ…

「殉国紀」 第八章 古びた呪刀 2

徐々に日の傾き始めたコントラ湾の穏やかな海面に、その巨大な艦影は如何にも不釣り合いな無骨さと威圧感を備え、異彩を放っていた。海神グリーフの遺した旧式の呪鉱船とは比べ物にならない体積を持ち、舳先から船尾までの全周を厳めしい艦載砲で飾り立てた…

「殉国紀」 第八章 古びた呪刀 1

ヴェロヌス警事局の巡視艇が骨董品の呪鉱船を見つけたのは、午後三時十六分であった。不審に思い、追跡を始めると、呪鉱船は瞬く間に速度を上げた。呪動機を全開にして距離を縮めに掛かった巡視艇の乗組員たちは、不審船の甲板に堂々と佇立する帯刀した男の…

「殉国紀」 第七章 叛徒の塒 7

鏡に映った自分の顔は、随分と老いて見えた。脂の抜けた髪、皺の寄った眦、乾いた唇。思えば宮中に出入りする帝妾たちのように着飾ることもなければ、市井の女のように日々の身繕いを習慣とすることもない半生を過ごしてきた。仕事に没頭し、手入れを怠って…

「殉国紀」 第七章 叛徒の塒 6

巡察士という職業は、緑邦帝国の急激な勃興の所産である。緑邦帝アルヴァの建国戦争から黒剣帝クセルーザの南方戦争に至る百年間は、黎明期の帝国に版図の爆発的な拡大を齎した。創設から間もない警務庁には、旧ボルゼエレ帝国に出没する夥しい罪人を残らず…

「殉国紀」 第七章 叛徒の塒 5

西部地方の乾燥した大地には四六時中、砂埃が舞っている。帝国辺境管理軍の本拠地スヴァリカン要塞が立地する広大なカシュート平原も、その大半は茫漠たる曠野であり、樹木の類は、西端のティガル河流域まで足を運ばないと見られない。 「一体、その若造は何…

「殉国紀」 第七章 叛徒の塒 4

「パレミダ。無事だったのね」 落ち着いた飴色の長い髪を後ろできつく束ねた女は、穏やかな声で言った。不安と悲観に満ちた長大な時間を堪え続けた痕跡のように、言葉の端々に安堵の響きが籠っている。 「当たり前だろ。課せられた使命を果たすまでは死ねな…

「殉国紀」 第七章 叛徒の塒 3

複雑に折れ曲がった廊下を、ファジルとパレミダは黙々と歩き続けた。壁に埋め込まれた啌気燈の白い光は蝋燭よりも仄暗く、視界を確保する助けにはならないが、眼を凝らし、掌で触れる限り、天井も床も壁も液化岩を噴き付けたように滑らかに舗装されている。…

「殉国紀」 第七章 叛徒の塒 2

「いらっしゃい」 路地裏に面した見窄らしい居酒屋の扉を開けると、板場で魚を焼いていた髭面の男が顔を上げた。バルリの店に比べると随分狭苦しいが、棚に並んだ酒の種類は眩暈がするほど豊富だ。表の喧噪とは裏腹に、客は一人もいない。 「酒なんか呑んで…

「殉国紀」 第七章 叛徒の塒 1

帝都アルヴァ・グリイスは、六百年に亘り、緑邦帝国の中枢として栄えてきた壮麗な古都である。太祖緑邦帝の名を冠した王城は、幾重にも連なる環状の城壁で仕切られている。最も中心に位置する「シオルダの城壁」はその名の通り、青雁帝シオルダの時代に建設…

「殉国紀」 第六章 海神の妻 6

沖合に出た船は、黄ばんだ帆を広げ、吹き抜ける潮風を一杯に頬張った。仲間と呼び交わすウミナリツバメの甲高い鳴き声が、青天白日の海原へ響き渡る。 「此処からヴェロヌスまでどれくらい掛かる?」 カゲイロンが訊ねると、老婆は舵輪を握り締めたまま、天…

「殉国紀」 第六章 海神の妻 5

「気を付けるんだよ。足許は滑り易いし、尖った岩が天井から突き出してるからね」 老婆の翳す古びた啌気燈の光が、湿っぽい洞穴を灰色に染める。林の小径よりも更に不安定な足場に苦労しながら、一行は少しずつ闇を掻き分けて慎重に進んだ。暗い洞窟の奥には…

「殉国紀」 第六章 海神の妻 4

木蘭亭の胡桃色に汚れた雨曝しの引き戸を開け放つと、退屈そうにガーシュを燻らしていた老婆の瞳が、狡賢い鼠のように此方を一瞥した。弛んだ瞼が緞帳のように黒眼へ被さっている。相変わらず、客の気配はしない。 「忘れ物かい」 「あんたに訊きたいことが…

「殉国紀」 第六章 海神の妻 3

翌朝、窓から射し込む光に瞼を叩かれて目を覚ますと、隣で眠っていたイスナの姿が消えていた。ぼんやりと霞む意識を引き摺って上体を起こし、卓子へ抛り出しておいたガーシュを掴んで銜える。散歩にでも出掛けたのだろうか。自然の神秘に恵まれた片田舎の孤…

「殉国紀」 第六章 海神の妻 2

静かな夜というのは、危険な時間だ。コントラ湾の穏やかな海に浮かぶハーディラー島は、サルファンが長年暮らしてきた港町イシュマールの喧噪とは比較にならない沈黙に満ちていた。開け放たれた窓辺から聞こえて来るのは単調な潮騒の音、生温い夜風の音、宿…

「殉国紀」 第六章 海神の妻 1

サルファンたちがハーディラー島の小さな港に船を停める頃には、豪奢な夕陽は既に海原の彼方へ没し、黒檀色の夜陰が辺りを隈なく領していた。桟橋を伝って陸に上がると、島の中心部に聳え立つレネシーカ山の斜面に、家の灯が疎らに散っているのが見える。観…

「殉国紀」 第五章 帝都へ 5

「呪波弾?」 耳慣れぬ単語に当惑するヘイゼルに、マスティーヴァは険しい顔で頷いてみせた。 「本庁の兵器開発局にいたマドン帥刀官の発明らしい。咬み砕いて言えば、次世代型の呪合弾だな」 呪合弾とは、帝国軍務庁陸戦院兵器開発局長のマドン帥刀官が創案…

「殉国紀」 第五章 帝都へ 4

インヴォルグ中継基地の地上十四階から十六階までの空間は「総務管理階層」と称する。最上階の管理長室を筆頭に、基地の心臓部である要塞総務部室など、管理者たちの執務室が集まる重要な領域である為、立入に厳しい制限が課せられる「甲種機密区域」に指定…

「殉国紀」 第五章 帝都へ 3

インヴォルグ中継基地は、エレドール沙漠の曠野に聳え立つ巨大な軍事要塞である。エレドール沙漠管理軍の管轄下にあり、日夜、軍事演習や新型兵器の性能試験に明け暮れている。外部との往来は専ら地下に敷設された軍用軌道に支えられており、地上を行き交う…

「殉国紀」 第五章 帝都へ 2

軍用特別急行列車「ウルムグラン号」は、東部地方の基幹都市であるキグナシアを発ってから、一度も太陽の光を浴びずに闇に閉ざされた線路を轟音と共に走り続けた。不慮の軍事的攻撃から車両と兵員を守る為に、地下へ敷設することが原則とされている軍用軌道…

「殉国紀」 第五章 帝都へ 1

市域西部のエルディンス地区に位置するキグナシア駅は、東部地方有数の鉄路の要衝である。リーダネンを経由して帝都地方へ向かう列車、東のヴォルト・アクシア方面へ向かう列車、南のイシュマールやカリスタへ向かう列車が乗り入れる合流地点であり、取り扱…

盗みたがる人

こういうことを人目に触れるところで書いていいのか分からないが、何でも備忘録として書き遺しておこうと思う。 私はわりと手癖の悪い人間であった。幼稚園に通っていた頃、何度か友達のおもちゃを盗んだ。どうしても欲しくて、我慢が利かず、こっそり盗み取…

サラダ坊主風土記 「枚方」

私は昭和六十年に大阪府枚方市で生まれた。枚方市というのは、大阪や京都へ出勤する京阪沿線の重要なベッドタウンである。という風なことは無論、小さい頃は知らなかった。だが、改めて思い返せば、私の住んでいた京阪本線樟葉駅の界隈は、数多くの団地を擁…

少年は己の半身と対決する ル=グウィン「ゲド戦記」

アメリカの作家アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記」第一巻「影との戦い」のハードカバーを図書館で借りて読んだのが、幾つの時だったかはもう覚えていない。小学生時代の私は図書館へ通うのが日課のようなもので、ゲド戦記を手に取ったのは恐らく、…

海を走る電車

宮崎駿の「千と千尋の神隠し」に、千尋とカオナシが電車に乗って、海の上を渡っていくシーンがある。「風の帰る場所」(文春ジブリ文庫)という本の中で、宮崎駿はこのシーンのことを「作品の山場」と呼んでいるが、実際あれは物語の重要な転換点になってい…