サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2020-08-26から1日間の記事一覧

「ツバメたちの黄昏」 十五 国境の街ヘルガンタ、ビアムルテ州

そして瞬く間に出立の日は近付き、日頃の様々な雑役から解放された私は、その代わりに「ツバメたちの黄昏」と名付けられたダドリアへの弾薬輸送の密命に関する諸々の準備に忙殺されて、這々の体で旅立ちの当日を迎えた。 書記課事務室の同僚たちは相変わらず…

「ツバメたちの黄昏」 十四 旅立つ者の決意

打ち合わせは日没を過ぎて漸く区切りを迎え、すっかり疲れ果てた私は重たい躰を引き摺るように事務室へ戻った。同僚たちは土気色の顔を携えて現れた私に冷淡な眼差しを向けたものの、朝方のような露骨な敵意を叩きつけようとはしなかった。厭味な先輩メリス…

「ツバメたちの黄昏」 十三 三つ巴の抗争

それから始まった私たちの生命を懸けた重要な打ち合わせが、実に剣呑な雰囲気の中で進められたことは言うまでもない。葉巻を燻らせながら椅子に踏ん反り返って、商館次長による計画の概略の説明を聞き、輸送課長による積荷の詳細や「運び屋」たちの陣容に関…

「ツバメたちの黄昏」 十二 ファルペイア州立護送団の異端児

改めて振り返ってみれば、それは実に運命的で意義深い一日であったと言えるだろう。ダドリアへの弾薬輸送計画、恐らく大抵の商館員は関わり合いになることのない数奇な任務を命ぜられて、それまでの凡庸極まりない生活からは凡そ想像もつかないような日々へ…

「ツバメたちの黄昏」 十一 孤独な昼食、孤独な午後

昼餉の時間も仲間たちは私のことを遠ざけて密やかな陰口を叩くばかりで、私は久々に一人きりで商館の食堂の隅っこで食べ物を黙々と胃袋に押し込む羽目になった。彼らの的外れな嫉視と羨望が、如何に誤解に満ちたものであるかを幾ら懸命に力説したところで、…

「ツバメたちの黄昏」 十 高慢と偏見

翌日の午後、商館長の部屋で州侯殿下御下命の大仕事の打ち合わせが行なわれることになり、私は夜明け前に眼が覚めてしまうほどの緊張を強いられながら、辛うじて己の心を奮い立たせて定刻の午前八時に事務室へ出勤した。 私の暗鬱な心境を物語るように当日は…

「ツバメたちの黄昏」 九 蜘蛛の糸の如く絡み合う因縁

「何故、州侯殿下が私という人間のことを御存知なのですか」 至極尤もな質問を吐き出すと、書記課長は厳めしい眉を少しだけ和らげて、漆黒の珈琲を口へ運んだ。「この珈琲は苦過ぎるな」「話を逸らさないで下さい、課長」 無礼を承知の上で、私は敢えて露骨…

「ツバメたちの黄昏」 八 書記課長ジーレム・アステル氏による面談

商館長の呼び出しを受けた日の夕刻、日の暮れかかった薄暗い事務室で鞄に荷物を纏めている最中に、再び不吉な呼び出しが掛かって、私は暗澹たる気分で背筋を伸ばした。同僚たちは三々五々、仕事終わりの一杯を傾けようと最近流行りの呑み屋へ繰り出す算段を…

「ツバメたちの黄昏」 七 書記課事務室

要するに生贄に選ばれたのだと、館長室を辞去した後の廊下で私は思い当たった。内乱で夥しい数の難民を吐き出すほど秩序の壊れている隣国ダドリアへ、官兵の眼を盗んで弾薬を送り届けるなど、正気の沙汰ではないと一蹴するのが、健全な常識の持ち主には相応…

「ツバメたちの黄昏」 六 哀れなルヘラン氏、一世一代の大役を仰せ付かる

円形劇場の檜舞台で主役を演じる中堅の俳優のような声量で、我が敬愛する商館長閣下は昨今のフェレーン皇国を取り巻く厄介で面倒な政治的情況に就いて、有難い御高説を並べ立てて下さった。以下はその大雑把な要約である。 既に述べたところと重複するが、我…

「ツバメたちの黄昏」 五 「政情」という奇怪な地図

「君には弾薬を運んでもらう。尤も、君自身に荷物の揚げ降ろしを遣れと命じる気はない。弾薬の取扱に慣れた書記官など存在しないからね」 モラドール商館長の意想外な発言に、私は思わず総身を凍らせた。弾薬? そんな積荷をコスター商会が引き受けたことな…

「ツバメたちの黄昏」 四 隣国ダドリアの苦境

「ダドリアへ? 私が?」 思わず素っ頓狂な声で返事をした私の間抜け面を、商館長は大して面白くもなさそうに眺めて頷いた。「そうだ。君にはダドリアへ行ってもらう」「モラドールさん。幾ら私が世間知らずだとは言っても、流石にダドリアが内乱状態である…

「ツバメたちの黄昏」 三 商館長モラドール氏の不吉な呼び出し

コスター商会の本店で三年間、書記官として書類仕事の基礎中の基礎、初歩中の初歩から学び抜いた私は軈て能力を認められ、スファーナレア州の州都ジャルーアの支店への転属を命じられた。鷲鼻の商館長から部屋に呼ばれて、異動の内容を告げられた瞬間の私の…

「ツバメたちの黄昏」 二 港町ジャルーアへ流れ着くまでの前段

それは或る晴れ渡った初夏の一日、すっかり黄ばんで端の曲がり始めた当時の日記を繙いて確かめてみたところ、精確な日付はバレマン暦三六五年五月三日、私は何時ものようにジャルーアの埠頭に程近いコスター商会の事務所へ勤めに出ていた。何時もと同じ、何…

「ツバメたちの黄昏」 一 コスター商会の一等書記官ルヘラン氏の回想

スファーノ湾の穏やかな海原に面した港町ジャルーアは、百年も昔から栄えてきた古色蒼然たる漁業と交易の街で、埠頭に連なる煉瓦造りの重々しい倉庫には、金銀財宝から娼婦の下穿きまで、ありとあらゆる品物が収められていると聞く。実際に倉庫の扉を開け放…