サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

何も思い浮かばない時こそ書く(書くことは病気である)

 どうもサラダ坊主です。

 数日間更新を滞らせておりました。

 特に何も書くことはないのですが、それでも何かしらひねり出したい。

 なぜか?

 理由はありません。

 書くことは一つの本能であり、衝動だからです。

 

 皆さん、普通の人間は何も書かなくたって困らないのです。普通の人間というのは別に蔑んでいるとかじゃなくて、健全極まりない人間にとって、特段の必要性(仕事で企画書作るとかプレゼンの資料を調えるとか)がない限りは、文章を書くというのは必要のない作業であるという当たり前の話をしているだけです。

 にもかかわらず、世の中には書くことに特別の執着を持っている人間がいます。

 それは訳のわからない衝動ですが、いったん根づいてしまうとなかなか治まらない深刻な病気です。症状が悪化すると、別に何も書きたいことがないのに筆を執るという事態すら起こり得ます。というか、それが日常になるのです。

 何も書くことがないのに書くとか、冷静に考えたら明らかに異常な状態ですよね? だって書く理由がないんですから。でも、書く理由がないのに書くだけでも、その病気に罹患した人間にとっては立派な慰藉となります。何が癒されてるのかは分かりません。でも、書くことで何かが落ち着き、静まっていくことは確かな実感として存在するのです。

 書くことは話すことと微妙に違います。話すことって、その場の関係性とか、相手の磁場とか、そういったものにすごく左右されます。その運動性って、書くことの、あるいは文章の運動性とは全く異質なリズムに支配されています。ずっと内省的で、自分の存在の中核を掘り下げるというか、実に地道な作業です。でも、だからこそクリアになる認識ってたくさんあると思います。思索が進むというんでしょうか?

 書かなければ浮かばないアイディア、思考、信念、感情。それらをスコップで一つ一つ掘り起こす快感に目醒めたら、書くことは愉悦に満ちたウイルスとして貴方の精神を浸蝕することになるでしょう。

 そういう無目的な文章の快楽を味わうのに、ブログという媒体は非常に適していると思います。誰のためでもない、無意味な文章の羅列でいいんですから。

 という訳で、何も書くことがないのに書きました。なんかの役に立ちますか? 立ちませんよね。でも、それは書くことの病を疲弊させないのです。船橋サラダ坊主でした!