サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「異界転生」という普遍的な類型について

 どうもこんばんは、サラダ坊主です。

 ネット上では頻繁に指摘されている事柄ですが、「小説家になろう」という超巨大小説投稿サイトのランキング上位を占めている人気作品の数々は、その大半が「異世界への転生」という物語のフォーマットを採用しています。余りに「異界転生」パターンの作品が多過ぎる為に「テンプレ」などの揶揄が絶えない訳ですが、この「異界転生」という物語の様式は「小説家になろう」に限らず、様々なフィクションの領域で変奏されている普遍的な主題です。「異界」と呼ばれる領域に転生した人物の活躍や苦闘を描くというのは、正しくフィクションに相応しい物語の類型であることは言うまでもありません。厳密には「転生」ではありませんが、映画版の「ドラえもん」などは、その大半が日常の閉域から隔絶した「異界」への移行によって、その物語のダイナミズムや魅力が支えられている訳ですし、少女マンガでは「ふしぎ遊戯」なども書物の中の異世界へ転生するというのが全体の筋書きの中軸でした。私が最近読んでいる乾石智子さんの「夜の写本師」にも、書物に吸い込まれて過去の異郷へ一時的に転生する場面が出てきました。

 この「異界」にも様々な変奏があり、過去や未来へ移動する時間軸の「異界」もあれば、空間軸の異界もある訳で、何れにせよ、これらの類型が眼前の「日常的現実からの離脱」という文学的想像力の根源にあるものと密接に繋がり合っていることは言うまでもありません。それは私たちが普段、現在的な時空の一点に縛り付けられながら暮らしていることへの反動であるとも言えますし、或いはそのような「異界」を想定する力自体が、ホモ・サピエンスという特殊な種族の繁栄を支える原動力というか、本質的な条件であると言い得るかもしれません。

 これら「異界」に対する想像力は、人間という存在に固有とまでは言わないものの、人間において極度の発達を遂げた機能であると考えられます。その発達の原初において生じたのは恐らく「記憶」という機能の爆発的な進化だったのではないでしょうか(私には生物学的な知識など欠片ほどもないので、あくまでも根拠のない「私見」に過ぎませんので御注意下さい)。「記憶」というか厳密には記憶したものを「想起」する力、今この瞬間にこの場所で生じている「知覚」とは異なる種類のイメージを、脳裡に再構成する力が発達したことによって、人間の精神的諸機能は驚嘆すべき進化の過程に最初の一歩を踏み出したのです。

 記憶された世界を想起する機能があれば、私たちは「現在的現実」(粗雑な造語ですいません)から、自らの意識の焦点を引き剥がすことが出来ます。要するに私たちの脳は、同時に複数の「イメージ」を重ね合わせて操作する力を備えているのです。「記憶の想起」とは言い換えるならば「存在しないものを知覚すること」であり、それが「既に存在しないもの」を対象とする場合には「追憶=回想」と呼ばれ、逆に「未だ存在しないもの」を対象とする場合には「予測=展望」と呼ばれることになりますが、それらはベクトルが異なるだけで本質的には同一の作用です。「存在しないものを知覚すること」によって得られるのは種々の「イメージ」であり、そのイメージを相互に、或いは何らかの論理的規則に従って連関させることで、人間的な「思考」は営まれます。

 随分と抽象的で意図の掴みづらい文章になっていますが、もう少々辛抱して御付き合いください。「存在しないものを知覚する」というのは何もオカルトめいたことを述べている訳ではなくて、実に単純素朴な「事実」です。例えば昨夜の晩御飯の献立を思い出すとき、私たちは「既に存在しないもののイメージ」を脳裡に想い描いている訳です。過去というのは理論上、この世の何処にも存在しなくなったもののことを指しているのですから、私たちの精神が動物のように「現在的瞬間」に呪縛されていれば、過去というのは再び想起することの出来ない「不可知の領域」となる筈です。言い換えれば、何かを「イメージする力」というのは、何もフィクションを作ったり読んだりするときに限らず、私たちの実存そのものを成立させている基礎的な条件なのです。

 そのような「イメージの力」をフルに稼働させることで成立するのが「異界転生」という物語類型であり、決して存在することのない「異界」を精密に想定して詳細な記述(言語的であれ、映像的であれ)に落とし込むことは、間違いなく私たちの精神的機能を発達させ、洗練させます。もっと言えば、何かをイメージするという営為が私たちの根源的な生存の「作法」であるからこそ、私たちは架空の物語に惹き付けられるし、その架空の物語に触れることを「享楽」として感受するのです。

 無論、そうした根源的事実と、「小説家になろう」というサイトでランキング上位を占める作品群の露骨な「画一性」との間に、具体的な相関を見出そうとする積りはありません。私が言いたいのは「異界転生」という物語類型が、人間という存在の有する生物学的な構造に馴染み易いものであり、従って普遍的であるということです。但し、実際に「小説家になろう」においてアップされている作品群が(無論、素人の作品ですから当然と言えば当然なのですが)、普遍的な「想像力」の産物であるとは言い難いのが実情です。端的に言って「小説家になろう」という空間の中で積極的に愛好されている作品群を生み出している想像力の性質は実に偏っています。あれだけ膨大な数の作品が投稿されているにもかかわらず、人気を集める作品の物語類型が、或る種の「異界転生」パターンに悉く包摂されてしまっているというのは、冷静に考えれば奇態な話です。それだけ客層が偏向しているということでしょうか?

 今日も特に結論はございません。

 船橋からサラダ坊主が御送りしました! おやすみなさいませ!