サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

語り得ないものを語ろうとすること 村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」

 村上春樹の短編小説、特に初期の頃の作品群はどれも、具体的で明確な意味に結実することを拒むように、確固たる物語の輪郭から逸れていく性質を持っている。処女作である「風の歌を聴け」などはその典型的な例で、極めて断章的な性格の強い文章の連なりが、極めて緩やかな補助線の下に結び合わされ、一応は筋書きのようなものを保っている。しかし、それが明瞭な輪郭を帯びた「物語」であると強弁することは難しい。

 今回、この記事で取り上げようとしている「中国行きのスロウ・ボート」という作品もまた、そのような断章的性格の系譜に通じる作品であると言えるだろう。それは殆ど小説であるというよりも「散文詩」のようなものだと看做すべきなのかもしれない。人生で出会った「中国人」に関する断片的な考察、それを「小説」としてカテゴライズすることが、果たしてどこまで正しい判断なのか、私には見当もつかない。だが、それは寧ろ「小説」という文学的カテゴリーの始原的な形態へ立ち帰ろうとする運動なのかもしれない。「小説」と呼ばれる文学的様式の発明と発展の歴史を、学術的に明晰に振り返る知識も能力も持たない私が、このようなことを述べても単なる謬見にしか帰結しないだろうが、固よりこのブログ、このネット上に築かれた小さな人工島の上で、客観的な正しさとやらに色目を使う必要はない筈だ。

 小説であること、それはどんな文学的形式も包摂し得るジャンルであり磁場なのだと、とりあえず偉そうに定義づけることは出来るが、そんなものは単なる見得のような行為でしかない。小説は無限の器だ、それはどんな形態も様式も許容し得る自由なメディアなのだと、誇らしげな顔で言い放ったところで、問題の核心が明らかに究められる訳でもない。寧ろ問題は益々錯綜していき、どんどん深みに嵌まっていくばかりだろう。

 この小説は独特の感興を湛えた私的=詩的な回想の形式を取っている。それは「風の歌を聴け」にも通じる語りのスタイルで、初期の村上春樹を特徴づける文学的作風の基本線であると言えるだろう。これらの作品はいわば、物語的な構造に織り込まれる前の「原材料」のような風合いを保っている。「習作」という言い方が乱暴ならば、これらは「実験」のようなものだ。後年、例えば「海辺のカフカ」を執筆していた頃の作者は、新潮社が特設した販促用のホームページ上でインタビューに答え、その野心が「ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のような綜合小説の試み」にあることを語っていたように記憶している。「綜合小説」という言葉が具体的にいかなるものなのか、その明晰なイメージを第三者が共有することは恐らく困難だろうが、初期の短編小説からは遥かに隔たった場所に屹立する壮大なカテドラルのようなものであることは、たぶん確かなことだ。

 作者はいわば、試みを重ねていたに違いない。その長大な実験の第一歩は「風の歌を聴け」によって具体的に提示され、続く諸々の実作を通じて、その果てしない道程を踏み固められていった。「中国行きのスロウ・ボート」も、恐らくはそのような系譜の途次に屹立している。

  最初の中国人に出会ったのはいつのことだったろう?

 この文章は、そのような、いわば考古学的疑問から出発する。様々な出土品にラベルが貼りつけられ、種類別に区分され、分析が行われる。

 さて最初の中国人に出会ったのはいつのことであったか? 

  このような書き出しが典型的な、つまり世俗的にイメージされる「小説」の冒頭とはかなり異質なスタンスによって支えられていることは歴然としている。これが「エッセイ」でない証は何処にも見当たらないと言えるし、これが「小説」としてカテゴライズされなければならない絶対的な必然性も確かではない。恐らく作者は様々な「語り」のスタイルに挑戦している。どのような「語り方」が自分には可能なのか、その可能性の圏域を限りなく押し広げようとしているのだ。その試みは実際に目映い輝きを放っている。何と言えばいいのか、この「風通しの良さ」は、優れた書き手にしか達成することの出来ない「可能性の手触り」を豊富に含んでいるのだ。

 もう一つ指摘すべきは、これも既に多くの人々によって指摘されていることだが、語り口が含んでいる独特の「距離感」である。作者は決して語るべき物事の本質に迫ろうとしない。表層的な、そして観念的な理窟ばかりが尤もらしく執拗に書き込まれるばかりで、何故彼が「中国人」について書こうとしているのか、その動機の奥底に潜在しているものの正体が浮き彫りにされることはない。言い換えれば、このような「語り口の可能性の模索」に向けて捧げられた一連の文学的営為はきっと、どうしても「語ることの出来ない何か」に躙り寄るためのリハビリテーションのようなものなのだ。彼は本質的な問題を言い当てようとする素振りを示すが、それが具体的な理路を形成することはない。

 平凡な言い方だが、それはきっと「失われた青春の残滓」に関する記憶と結びついている。彼が語ろうとしているのは、或る根源的な「喪失」のようなものだ。それが具体的に何であるのかを、指し示すことは限りなく不可能に近い。

 東京。

 そしてある日、山手線の車輛の中でこの東京という街さえもが突然そのリアリティーを失いはじめる。……そう、ここは僕の場所でもない。言葉はいつか消え去り、夢はいつか崩れ去るだろう。あの永遠に続くようにも思えた退屈なアドレセンスが何処かで消え失せてしまったように。何もかもが亡び、姿を消したあとに残るものは、おそらく重い沈黙と無限の闇だろう。 

 トラウマ的な記憶がいつまで経っても意味づけられること、言葉によって回収されることを拒み続けるように、村上春樹が語ろうとする対象は常に断片的な追憶の形式を選択せざるを得ない。それを足掻くようにして捕捉し、明瞭な言葉の形に象嵌しようとする試み、それが初期の村上春樹という作家を呪縛した文学的な使命であると、私は考えている。

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)