サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「文体」に顕れる「思想」 江藤淳「作家は行動する」

 私が江藤淳という評論家の名前を初めて知ったのは確か、中学三年生の頃に柄谷行人の「意味という病」という本を偶然父親の書棚から発掘して、恐る恐るページを捲り始めた頃であったと記憶している。それまで一度も聞いたことのなかった江藤淳という作家の書物を実際に手に取るまでには、更に数年の歳月が必要だった。大学一年生の時、私は授業をサボって四六時中、新宿の街を徘徊していた。とはいえ、夜の盛り場へ紛れ込んで酒池肉林の饗宴に酔い痴れていたという訳ではない。臆病な私は、日暮れと共に地元へ戻ってアルバイトに精を出すか、大学の友人と合流して酒を飲んだりカラオケに行ったりするばかりで、本格的な非行に走るような豪胆さとは遂に無縁であった。

 その頃、私が新宿へ迷い込む度に立ち寄っていたのは、紀伊国屋書店の本棚であった。そこで買い求めた本を携え、靖国通り沿いのドトールへ移動し、日暮れまでページを捲るのが当時の私の日課であった。読書好きには違いなかったが、実際には自分が人生の袋小路に追い込まれ、手足を縛られているような虚無的な不自由を刻々と感じ続けていた。充たされない思い、と簡単に言ってしまえば言えるような程度の葛藤であり苦悩だ。大学の授業には何の興味もなく、いい加減に決まり切ったカリキュラムに従って家と学校を往復する子供特有の習慣には飽き飽きしていた。大して酒に強くもないのに、頻繁に居酒屋へ出入りしていたのも、青果店のレジ係というアルバイトに血道を上げていたのも、大学をサボってふらふらと真昼の新宿を彷徨していたのも、そういう鬱屈した感情を束の間でも紛らわす為だった。実際には、その新宿の彷徨によって魂の飢渇が癒されることはなかった。残ったのはただ、数冊の書物に関する断片的な記憶だけだ。

 筑摩書房から福田和也の編輯で発行されていた「江藤淳コレクション」の一冊を買い求めたのも、丁度その頃であった。今でも覚えているのは、新宿三丁目の交差点に面した真夏のドトールで、汗をかいた苦いアイスコーヒーを我慢して啜りながら(現在の私はコーヒーを毎日欠かさないが、当時は苦いのを堪えて大人ぶって飲んでいたのだ)、江藤淳大江健三郎の「飼育」や「芽むしり仔撃ち」に関して綴った批評文を読み、名状し難い刺激を受けたことである。私は中学三年生で「意味という病」に惹かれて以来、柄谷行人の文章を好んで耽読していたのだが、江藤淳の文章にも同質の「批評という魅惑」を見出して、見事に引き摺り込まれたのだ。批評という難解で抽象的な語句の連なりにどうして惹きつけられるのか自分自身、理由は明確に捉えられていなかったのだが、それでも私は夢中でロジックとセンスの幸福な融合である、それらの批評的エッセイを次々に渉猟した。

 「江藤淳コレクション」の中の文学に関するエッセイを纏めたその一冊を、私は手垢が染みるまで繰り返し耽読し、そのエキサイティングな知性の閃光と誠実な抒情(こういう言い方が適切かどうかは心許ない)に幾度も魂を揺さ振られることとなった。特に抄録された「作家は行動する」は魅惑と刺激に満ちていて、様々な作家の文章を実例に挙げながら、それらを縦横無尽に論じ、果敢に独自の定義を試みていく作者の知性の柔軟で溌溂とした運動は、私という人間に深い影響を及ぼした。後に松戸の図書館で単行本の「作家は行動する」を偶然発見し、福田和也の省いた部分にも眼を通すことが出来たときの歓びも、今では懐かしい思い出の欠片である。

 柄谷行人の著作にも言えることだが、或る文章なり作品なりを読んで、そこから実に多様で射程の長い思考を引き出すことの出来る江藤淳の優れた頭脳と技術に、私は全く新しい世界を拓かれるような感覚を懐いたのであった。小説の一節が、壮大な思索の伽藍を築き上げるための導きの糸として機能し得るのだということを、私はこの二人の批評家の文業から学んだ。普通に読めば何ということもない文章が、無限の解釈と定義の可能性を備えて凝縮されている。それを繙くことは、自分の住んでいる狭隘な世界を力強く押し広げることに他ならない。そう考えたとき、文学という営為がどれだけ巨大な可能性を孕んでいるのか、私は眩暈のような感覚にさえ囚われたのだ。

 「作家は行動する」は文体論である。文体というものの厳密な定義はよく分からないが、或る文章の背後に含まれ、潜在している「思想の骨格」のようなものを剔抉して、それがどのような構造を備えているのかを炙り出す江藤淳の眼力に、私は陶酔させられた。例えば、次のような文章を読んでみて欲しい。

 この作品の中心的なイメイジは、「黒人兵」と、「夏」と、「戦争」である。しかも黒人兵は「光り輝く逞しい筋肉をあらわにした夏、僕らを黒い重油でまみれさせる」汎神論的な子供達の夏であり、「僕ら」と「黒人兵」とは「暑さ」という「共通な快楽」で結ばれている。これらの有機的に一体化したイメイジと「遠い国の洪水のような戦争」とは対比され、いわば一種のフーガを奏しているであろう。そして黒人兵がにわかに兇暴な敵になり、「僕の指と掌をぐしゃぐしゃに叩きつぶし」はじめるとき、いままで弱奏されていた「戦争」の主題が急に接近し、「子供達」の主題は急に消えて行く。「もう僕は子供ではない」という「啓示」と、現に自分が「戦争」に接触したという経験――その二つの主題の交錯をこのように明瞭に描き出していくものは、いうまでもなく作者の「文体」以外のものではない。この豊富なイメイジの世界は、かりに繊細であるにせよきわめて論理的な、明確な行動によって支えられている。そして、そのような行動の軌跡が描かれ、それによって静止しようとするイメイジが動的に規制されている(かりに充分にではないにしても)のは、小説の基本的な条件であった。この条件を充たしている作品は、現在決して多くはない。

 恐らく江藤淳という作家は、小説や言葉というものを固着した記号としての様態から解き放ちたいと切実に願っていたに違いない。彼は小説を書き、文章を書くことを「行動の軌跡」として捉えることで、それを青白い文弱の閉域から離陸させようと試みたのだ。その性急な願望が、彼の文体に独断と偏見を病菌のように齎していることは事実だとしても、その見返りとして獲得された流麗な「思考の運動」の冴え渡る光輝は、魅力的であると認めるしかない。事物を写実的に模倣する、という絵画のようなリアリズムではなく、音楽のように様々な要素が渾然一体となったダイナミックなリアリズムを欲する彼の文章そのものが、まさしく音楽的な動態を具現化している。彼の理論自体の精緻さや学術的な実証性とは全く異質な次元において、そのダイナミズムは私たちの心を魅了する。実際、文章というものは本質的に絵画よりも音楽の方により高い親和性を示す表現の様式なのだ。そうした言語的な「音楽性」に対して鋭敏であることが、江藤淳という優れた批評家の最も良質な要素なのであり、それに比べれば文学理論の整合性など、取るに足らない問題でしかないと私は信じている。

 

作家は行動する (講談社文芸文庫)

作家は行動する (講談社文芸文庫)