サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「濫読」の他者志向性と「脚下照顧」の主体性

 読書は高尚な趣味で、教育上、奨励されるべき習慣であると広く信じられている。無論、そのような取り澄ました考えにアレルギー反応を示す方々も少なからず存在するだろうが、本を読むのは素晴らしいことだという固定観念は、私たちの社会にかなり深々と食い込み、隅々にまで瀰漫していると言えるのではないか。公教育の現場に限らず、社会に出てからも優れた経営者が「読書の効用」を説法する場面に遭遇することは珍しくない。内容や形式は様々だが、私たちの国で年間に発行される新刊書籍の点数は7万を超えており、それが単純に出版業界の明るい展望を示唆している訳ではないにしても、それだけの書籍が毎年刊行される背景に「読書」という営為への根強い需要と憧憬のようなものが関わっていることは間違いないだろう。

 明確な根拠がある訳でもない観念的な考察を列ねるだけでは、読む人も退屈だろうから、己の経験に基づいて意見を述べていこうと思う。私自身、本を読むことは好きだし、そこに特別な愛着のような感情を覚えていることは事実である。子供の頃、岩波少年文庫の「ドリトル先生」シリーズや、偕成社文庫から出ていた(と記憶しているのだが違っていたら訂正して謝罪する)「シャーロック・ホームズ」シリーズなどを読み耽っていた頃、私は単に空想の世界へ遊ぶことの面白さに幼稚な執着を示していたに過ぎない。少し自我が発達し始めると、読書家であるという風評は、教師や保護者からの嘆賞を招くものだということが分かるようになる。小学校低学年くらいの子供というのは、生意気であっても親の評価には割合素直に従うものだから、親が褒めるものは偉いものだ、凄いものだと素朴に信じ込んで、親の賛嘆の口振りを躊躇いなく模倣する。そうやって偉いね、賢いねと御世辞を並べられたら、多少退屈でも「熱心に本を読む少年」というセルフイメージから離反しないように心掛けるのは、年齢に関わらず作用する「虚栄心」の効果というものだろう。

 そうして始まった読書の習慣が、思春期というものに差し掛かってくると、幾分色合いを改めるようになる。十代の少年の考えることなんて高が知れているに決まっているが、それでも子供なりに思い悩むべき課題は色々と見つかるもので、知性と自我の発達に応じて深まっていく煩悶の解決策を、自分自身の力で捻り出すことが難しい場合、周りの人間に教えを乞うたり、書物を読み漁ったりするようになる。恐らく思春期の読書が所謂「濫読」に陥り易いのは、それだけ考えなければいけない悩みが数多く噴出するにも関わらず、その答えを自力で探し当てるだけの知識や思考力を未だ身に着けていない年代であるからだろう。本当に幼いうちは、知らないことが無数にあっても、それだけでは不幸を覚えることはない。分からないことは親に尋ねればいいし、理解出来なくとも親に処理をしてもらえば万事片付いてしまう。だが、徐々に自我が芽生え始めると何でもかんでも親に相談したり周囲の大人を頼ったりすることが苦痛になってくる。それ自体は悪いことではなく、成長の証に他ならない。そして、その成長への欲望が切迫した情熱と化して、無垢な少年少女を「濫読」へ駆り立てるのである。

 中学生の頃、或いはもっと昔から、私は自分がどうやって生きるべきなのか、その明確な指針を定められずに悶々としていた。その衝動は年々強まる一方で、例えば坂口安吾の「堕落論」や寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」に魂を撃ち貫かれ、劇しく揺さ振られたのも、柄谷行人の「意味という病」に興奮させられたのも、それらの書物が私自身の生き方の「指針」を示してくれているように感じられたからだった。心が弱っていた時期には、武者小路実篤の至極「能天気な」作品に慰めを見出したり、禅宗に憧れて「碧巌録」や「摩訶止観」や、鈴木大拙の随筆などを市立図書館で読み耽ったりしたこともある。成人した後も、二十歳過ぎの世間知らずの分際で二児の父親となり、慣れない社会人生活の渦中に飛び込まねばならなかった心労の所為か、いつも不安な感情が絶えなかった。その頃は金もなく、昼食代を節約して休憩中に書店へ立ち寄り、気になった本を買い求めて青白い顔でページを捲ったものだ。その頃のことで、今も漠然と覚えているのは、到底読みこなす力など自分に備わっていないことは重々承知していながら、例えばアンリ・ベルグソンの「時間と自由」やニコラウス・クザーヌスの「学識ある無知について」といった難解な書物を、当時の配属先であった新橋の文教堂書店で購ったことである。率直に言って一行たりとも精確に読み解ける自信のない、それらの高尚な書物に、哲学の体系的な勉強など試みたことすらない二十歳過ぎの私が昼食代も惜しんで挑んでいたのは、明らかに病的な衰弱の風景であると言える。私は随分と巨大な、観念的な苦しみのようなものに四六時中押さえつけられていた。要するに「俺は本当はどんな風に生きていきたいのか」という超絶の難問が、私の華奢で繊弱な知性を踏み躙っていたのだ。

 その頃の苛烈な「濫読への情熱」に比較すれば、現在の私は随分と落ち着いた読書家へと堕落したものである。昔のように昼食代を惜しんで書物を買い求めるような自虐とはすっかり縁遠くなり、しっかり腹拵えをした上で、のんびりと勤しむ読書に幸福を覚える余裕さえ身に纏えるように変貌した。それは私が自分の人生に一定の方向性を見出したと愚かにも思い込んでいるからだろうが、最も重要な転機は、自分の人生に関する答えは自分自身の頭と経験で導き出す以外に方法がないと、知らぬ間に信じるようになったことであろう。他者の意見は参考にはなっても、それをそのままの形で自分の人生に適用することは出来ない。どんなに未熟で蒙昧だとしても、自分自身の頭で執拗に考えを巡らせない限り、得られた答えが骨身に沁みることは有り得ないからだ。爾来、私の読書は往時の強迫的な熱意を失った代わりに、自分自身の価値判断を軸に据えた主体性を帯びるようになったと思う。大事なのは、その書物に綴られている内容を鵜呑みにすることではなく、そこから様々な思索を自分なりに引き出して、充分に咀嚼することなのだと、方針を一新したのである。

 禅宗の教えに「脚下照顧」という言葉がある。字義通りに言えば「足元を見よ」ということなのだが、別の見方をすれば「真理は己の内部にある」とも解釈することが出来る。本当に大事な答えは、自分自身に問い質すことでしか掴めない。それを観念的な言葉ではなく、実際の人生経験を通じて少しずつ理解することで、私は「書物の奴隷」であることを免かれ、麻薬中毒患者が薬の増量を求め続けるように、次から次へと「誰かの導き出した尊い真理」を追い求める性急さを手放せるようになった。組織に属していると、周りの人間は実に様々な「正解」を独善的に言い募ってくるものだ。私の耳には不毛な意見として響くようなことでも、彼らは彼らなりの経験や思索の成果として、その「正解」を持ち出しているのであり、従ってそこには一定の説得力が備わっている。そういうとき、私は「自分の感覚」や「自分の信じるもの」に立ち帰って、呼吸を整えるように心掛けている。煎じ詰めれば「脚下照顧」ということだ。それは「他人の考え」を払い除けるという意味ではない。「他人の考え」を傾聴し、参照したとしても、最終的に決断するのは自分自身であるという至極当たり前の認識を忘れないように努めているというだけの話だ。それは一見すると簡単なことのように思えるが、この世知辛い世の中では、自分の人生を「他人の思惑」に盗み取られることは風邪を引くよりも容易なことである。若しも「脚下照顧」の思想を手放してしまえば、どれだけ読書に励んで知識を蓄えたとしても、手許には「他人の意見」しか残らないのだ。端的に言って、それでは「本末転倒」ではないだろうかと、私は思う。