サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

俗悪と権威(ビートたけし・クレヨンしんちゃん・坂口安吾)

 ビートたけしの名前は、日本人ならば恐らく誰でも知っているだろう。今ではコメディアンとしてよりも「映画監督」としての声価の方が世界的に高まっているし、致命的なバイク事故以来の滑舌の悪化で持ち味のマシンガントークが精彩を欠いていることもあり、一定の世代よりも若い層の人々にとっては、若しかすると寡黙な芸術家のように受け止められているかも知れない。映画監督・北野武として撮影した数多くの作品は、どれも静謐な抒情と突発的な暴力の気配に彩られていて、そこに賑やかな漫才師の風貌を見出すことは難しく、シリアスなインタビューなどで訥々と語る彼の表情を見ていると、往年の芸人としての輝きを眼裏に思い浮かべるのは容易ではない。

 だが、時折テレビの画面を横切る懐古的なVTRの中に散見される「ビートたけし」の奔放な芸人振りは、その番組の性質全体も含めて、時代の差異を感じさせるほどに「過激」で「下品」である。テレビのバラエティが下品なのは今に始まったことではないと唾を飛ばす方も少なからず存在するだろうが、それでもネットが発達して「炎上」と呼ばれるバッシングの嵐が吹き荒れ易くなった昨今、テレビ番組は昔よりも遥かに道徳的規制に対して遠慮がちであるように思われる。今では食べ物を笑いの種に用いることも、注意書きのテロップ抜きでは放送することが難しい。不可能ではないが、面倒なバッシングを惹起することを怖れて先手を打っている訳だ。

 私が小学生だった頃、テレビでは「クレヨンしんちゃん」のアニメーションが子供に爆発的な人気を呼んでいて、その低俗で反道徳的な表現にPTA的感受性を備えた大人たちは露骨な不快を示していた。母親を呼び捨てにしたり、美しい女性への劣情を露わにしたり、生意気な口を叩きまくる野原しんのすけは、良識的であることを自負する教育的な保護者や教師たちの眼に、悪意に満ちた冒涜として映じたのであろう。だが、近年の「クレヨンしんちゃん」は、当時の過激さを随分と磨滅させているように思われる。毎週視聴している訳でもないのに、知ったような口振りで書き綴る横着を見逃してもらいたい。ただ、すっかり「大人の鑑賞にも堪え得る名作」としての社会的評価を獲得した一連の劇場用アニメーションなどを徴する限りでは、野原しんのすけが少しも「生意気な悪童」ではないことに辟易せざるを得ないのだ。このような傾向は「ちびまる子ちゃん」にも指摘し得ることで、昔はもっと画面全体から、人間の弱さや嫌な部分を照射するシニカルな視線が滲み出ていたように記憶している。誰も彼も「悪童」から「体制的なトリックスター」という語義矛盾の存在へ商売を替えてしまったようだ。

 登場した当初は「俗悪」という批判を浴びていた事物が、徐々に知名度を増して声価を高めていくのに伴い、退屈な権威主義に侵され始めるのは世の習いである。下品な毒舌で世間を撫で斬りにすることでスターダムに伸し上がったビートたけしが、今ではカンヌやヴェネチアの映画祭に出席する度、歓呼を以て異国の客に迎えられる偉大な映画監督へ転身を遂げている。野原しんのすけは、往年の「糞生意気な」毒素を捨て去った代わりに幅広い世代に愛好される国民的偶像へ格上げされてしまった。そのことの是非を問いたい訳ではないし、私は北野武監督の「HANAーBI」の物語を一挙に断ち切って屑籠へ抛り込むようなラストシーンに、何の留保も附さずに感銘を受けた人間である。だが、俗悪であることが創造性の源であったようなテレビが、社会的な地位を高めた結果として様々な規制に縛り付けられ、かつての野蛮な活力を失ったことは事実であり、洗練が停滞の肯定的な言い換えであるような事例は枚挙に遑がない。音楽の世界に眼を向ければ、ジャズやロックも、俗悪な文化として出発しながら、何時しか高尚な社会的評価を獲得した現象の好例として取り上げ得るだろう。俗悪であり続けることは、極めて難しいのだ。俗悪な文化を担う人々の心にも、社会的な栄光に対する一縷の憧憬は常に混入しているものなのだから。

 坂口安吾の「日本文化私観」に、次のような一節がある。長くて退屈するかもしれないが、この記事の主題と関連のある文章だと思うので、辛抱して眼を通して下されば幸いである。

 茶室は簡素を以て本領とする。然しながら、無きに如かざる精神の所産ではないのである。無きに如かざるの精神にとっては、特に払われた一切の注意が、不潔であり饒舌じょうぜつである。床の間が如何に自然の素朴さを装うにしても、そのために支払われた注意が、すでに、無きに如かざるの物である。
 無きに如かざるの精神にとっては、簡素なる茶室も日光の東照宮も、共に同一の「有」の所産であり、詮ずれば同じ穴のむじななのである。この精神から眺むれば、桂離宮が単純、高尚であり、東照宮が俗悪だという区別はない。どちらも共に饒舌であり、「精神の貴族」の永遠の観賞には堪えられぬ普請ふしんなのである。
 然しながら、無きに如かざるの冷酷なる批評精神は存在しても、無きに如かざるの芸術というものは存在することが出来ない。存在しない芸術などが有る筈はないのである。そうして、無きに如かざるの精神から、それはそれとして、とにかく一応有形の美に復帰しようとするならば、茶室的な不自然なる簡素を排して、人力の限りを尽した豪奢、俗悪なるものの極点に於て開花を見ようとすることも亦自然であろう。簡素なるものも豪華なるものも共に俗悪であるとすれば、俗悪を否定せんとして尚俗悪たらざるを得ぬ惨めさよりも、俗悪ならんとして俗悪である闊達かったつ自在さがむしろ取柄だ。
 この精神を、僕は、秀吉に於て見る。いったい、秀吉という人は、芸術に就て、どの程度の理解や、観賞力があったのだろう? そうして、彼の命じた多方面の芸術に対して、どの程度の差出口をしたのであろうか。秀吉自身は工人ではなく、各々の個性を生かした筈なのに、彼の命じた芸術には、実に一貫した性格があるのである。それは人工の極致、最大の豪奢ということであり、その軌道にある限りは清濁合せ呑むの概がある。城を築けば、途方もない大きな石を持ってくる。三十三間堂の塀ときては塀の中の巨人であるし、智積院ちじゃくいん屏風びょうぶときては、あの前に坐った秀吉が花の中の小猿のように見えたであろう。芸術も糞もないようである。一つの最も俗悪なる意志による企業なのだ。けれども、否定することの出来ない落着きがある。安定感があるのである。
 いわば、事実に於て、彼の精神は「天下者」であったと言うことが出来る。家康も天下を握ったが、彼の精神は天下者ではない。そうして、天下を握った将軍達は多いけれども、天下者の精神を持った人は、秀吉のみであった。金閣寺銀閣寺も、凡そ天下者の精神からは縁の遠い所産である。いわば、金持の風流人の道楽であった。
 秀吉に於ては、風流も、道楽もない。彼の為す一切合財いっさいがっさいのものが全て天下一でなければ納らない狂的な意欲の表れがあるのみ。ためらいの跡がなく、一歩でも、控えてみたという形跡がない。天下の美女をみんな欲しがり、れない時には千利休も殺してしまう始末である。あらゆる駄々をこねることが出来た。そうして、実際、あらゆる駄々をこねた。そうして、駄々っ子のもつ不逞ふていな安定感というものが、天下者のスケールに於て、彼の残した多くのものに一貫して開花している。ただ、天下者のスケールが、日本的に小さいといううらみはある。そうして、あらゆる駄々をこねることが出来たけれども、しかも全てを意のままにすることは出来なかったという天下者のニヒリズムをうかがうことも出来るのである。大体に於て、極点の華麗さには妙な悲しみがつきまとうものだが、秀吉の足跡にもそのようなものがあり、しかも端倪たんげいすべからざる所がある。三十三間堂の太閤塀というものは、今、極めて小部分しか残存していないが、三十三間堂とのシムメトリイなどというものは殆んど念頭にない作品だ。シムメトリイがあるとすれば、いたずらに巨大さと落着きを争っているようなもので、元来塀というものはその内側に建築あって始めて成立つ筈であろうが、この塀ばかりは独立自存、三十三間堂が眼中にないのだ。そうして、その独立自存の逞しさと、落着きとは、三十三間堂の上にあるものである。そうして、その巨大さを不自然に見せないところの独自の曲線には、三十三間堂以上の美しさがある。(坂口安吾「日本文化私観」 青空文庫より転載)

 俗悪を貫くということは、並外れて動物的な情熱と野蛮な執着を必要とする営みで、その境涯に留まり続けることは容易ではない。只管に口の悪い乱暴な芸人としての生き方に固執し続けるよりは、例えば映画監督という椅子を手に入れて鎮座してみた方が、長い目で見れば賢明で幸福な生き方であろう。繰り返すが、私は北野武の映画が好きだし、彼の綜合的で多様な才能には敬服している。映画監督としての名声を得て、芸能界の大御所となった後も、色々な扮装をして馬鹿げた笑いに飛び込もうとするバランス感覚(それは「含羞」に彩られた高貴な美徳である)にも脱帽するしかない。重要なのは、俗悪であることを怖れないということだ。本当に新しいものは何時でも、例えば印象派の画家たちのように、権威主義的な人々から「俗悪である」という批判を浴びせられる類の領域から、めきめきと生まれ育ってくるものであるからだ。