サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

信じられないものを信じているように振舞う苦しみ

 どうも今晩は、サラダ坊主です。

 連日、己の「本心」と向き合うという主題を巡って記事を書いています。これは私にとっては結構重要な問題であり、遡れば少年期の頃からずっと解決し切れないままに持ち越し続けている難問です。

 例えば私は中学生の頃、生まれ育った大阪の地を、父親の転勤の都合で遽しく引っ越すことになり、中学三年生の春から千葉県松戸市へ転居しました。生来、口下手で不器用だった私にとって、思いも寄らない転居は非常に困難な経験となりました。空気のように関西訛りの言葉に囲まれて育った私の耳に、級友たちの喋り方は薄気味悪く響きました。意識し過ぎていただけなのかも知れませんが、私は彼らの輪に巧く馴染むことが出来ませんでした。

 最初は遠巻きに私のことを見物していた彼らの方でも、陰気で閉鎖的な私の振舞いに違和感を覚えていたのでしょう。所謂「いじめ」のようなことはなかったけれども、面白がってボールを投げつけられたこともあります。多分、何を考えているのかよく分からない転校生がどんな反応を示すのか、試してみたかったのでしょう。私は何食わぬ顔でボールを拾い、投げつけてきた相手に渡したように記憶しています。投げ返す根性もない代わりに、泣きじゃくるほど弱気でもない私の中途半端な反応に、彼らも当惑したのではないかと思います。

 少し余談に逸れてしまいましたが、その頃の私は友人にも恵まれず、絶えず孤独な気持を胸底に蓄えながら、退屈で苦痛に満ちた歳月を過ごしていました。家出を考えたこともありますが、勇気が湧かなくて断念しました。追い詰められた心を少しでも癒やす為に、私は読書に励みました。見知らぬ人々の言葉に縋ることで、自分が陥った陰鬱な袋小路から脱出する為の手蔓を掴もうと必死だったのです。坂口安吾の「堕落論」を読んだのも、武者小路実篤の著作に触れたのも、その頃だったと記憶しています。所謂「白樺派」に分類される実篤のエッセイ、確か新潮文庫の「人生論・愛について」だったと思うのですが、その御世辞にも流麗とは言い難い朴訥な文章に漲っている驚くべきオプティミズムに、渇いた喉を潤す清冽な真水のような感覚を味わったのです。淡々と自分の考えを、それほど論理的に突き詰める訳でもなく書き綴っていく実篤の強靭な明るさに、当時の私は憧れ、惹きつけられていました。

 坂口安吾に惹かれたのも、彼が徹底的に「己の本心」に忠実に生きているように感じられたからです。彼は何よりも自由を重んじ、「堕落論」という刺激的なアジテーションを行ないながら、それでも不思議と明朗な雰囲気を漂わせています。無論、彼の遺した文章の中には、色々と陰惨であったり悲愴であったりするものも含まれてはいますが、その文章に宿っている精神の躍動は、不幸や絶望に打ちのめされただけの人間には望み得ない清々しさを保っているのです。

 実篤も安吾も、自分の考えていることや信じていることに対して、爽快なほどに誠実な態度を貫き通しています。彼らの考え方や生き方が、客観的な見地から合理的であったり理想的であったりするとは言えません。ヒロポンを打ちながら、まさしく「淪落」の境地を生き抜いた坂口安吾の生き方は、間違っても真似したくなるようなものではないのです。道徳的、社会的には、彼は明らかに落伍者です。しかし、彼は落伍者である自分に矜りを持ち、自分の思想に信頼を寄せています。他人の眼を気に病んだり、社会的な価値観に適合しようと努めたりしている限り、安吾の壮烈な「自由」を手に入れることは出来ないでしょう。彼は、自分が信じられないものに盲従することを蛇蝎の如く忌み嫌います。その精神的な力強さに、十代の少年だった私の魂は劇しく揺さ振られました。孤独でありながら、過剰な自意識を持て余し、他人の笑われることに怯え、貫くべき想いが何なのかさえ分からずにいた私の眼に、坂口安吾の「自由」は光り輝いて見えたのです。

 あの頃、私は一体、何を信じて生きていけばいいのか、分からずに悶々としていました。小学校三年生の学級の文集に「小説家になりたい」と書いたものの、実際に自分が本気で小説を書きたいと思っているのかも曖昧でした。中学三年生の冬の時代には、半ば本気で禅僧になって悟りを開くべく修行しようと考えたこともありました。鈴木大拙の著作に触れたり、白隠禅師の本を読んだり、難解な「碧巌録」や「摩訶止観」を松戸市立図書館で開いたりして、所謂「安心立命」の境涯に達したいと思ったのです。鈴木大拙の物語る古の禅僧たちの姿はまさしく「自由」そのもののように清々しく感じられました。そうやって、七転八倒しながら、私は少しでも「確かなもの」を掴もうと努力していたのです。

 大人になり、社会へ出てからは、色々な人々が私に「信じるべきもの」を教えてくれました。組織の一員として労働に励む以上は、会社の掲げる理念や正義を信じるのは大切なことでしょう。しかし、性来強情な私にとって、何の思い入れもない「正義」を信じようと試みるのは、極めて難儀な営為でした。けれど、私は食う為に、生きる為に、給与と一緒に投げ与えられた「正しさ」を信じるべく、夢中で働くようになりました。夢中で働いている間は、正しさを疑う必要が生じないからです。与えられた正しさの枠組みの内側でしか、物事を考えられないようになっていくからです。

 しかし、十年が経って、私はやっぱり、信じ難い正しさを信じて生きていくことに、深甚な疲労を覚えるようになりました。本心では信じていないものを、恰かも絶対の正義であるかのように恭しく捧げ持って、部下や同僚にも吹聴するような生き方に、歪みを見出すようになりました。結局、私は自分で自分を騙し続けることに、承服し難い欺瞞を感じているのでしょう。無論、それを絶対的な罪悪として批判するのも、極端だとは思います。誰だって本音を押し殺して、贋物の笑顔を形作らねばならない局面を、人生の中に幾つも持っているものです。そのこと自体を、人間としての「堕落」だと、いかにも高潔な態度で指弾するのは、それ自体が一つの押し付けがましい「正義」であると言えます。

 信じられないものを信じようとする、或いは信じているように振舞うこと、その堪え難い苦しみを肯定するのは、とても虚しく哀しいことだと、最近考えるのです。