サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「妻」と呼ばれる人々

 世の中には色々な役割があり、誰しも社会、或いは世界という大きな天蓋の下で、何らかの地位を占めながら生きている以上は、そうした役割の仮面やら鎧やらに縛られる宿命からは逃れられない。夫婦というのも役割の一種で、私たちの社会の礎になる、微小な単位である。個人が素粒子なら、夫婦は原子だ。何れにせよ、極めて些細な単位であり、塊であることは間違いない。

 私は離婚歴があり、前妻と別れてから瞬く間に五年が経った。誰にでも当て嵌まる感想なのか知らないが、離婚というのは著しく自信を喪失させられる経験である。特に私の場合、先方から見限られて、つまり「もう愛していない」とはっきり言われて、何となく予兆は感じていたにも拘らず、青天の霹靂という印象が拭えず、私の精神は開闢以来、有数の危機に瀕した。愛されていないのならば、つまり相手に私のことを「愛しい」と思わせることが出来ないのならば、夫婦という枠組みを続ける意義はない。せっかちな私はそのように早合点して、離婚という結論へ瞬く間に飛び込もうとした。無論、両親は反対するし、会社の上司にもやんわりと諭され、混乱しながらも話し合いを重ねるうちに、今まで表立って口に出来なかったそれぞれの想いを吐露することが出来た。それで随分と気分が落ち着いて、凍てついていた関係性にも恢復の光明が見出せるような予感も漂い始めたので、離婚は先延ばしにすることに決めた。それから昔のように互いを慈しみ合う関係に戻ろうと努力してみたのだが、先方には関係を修復したいという意思が欠落していた。彼女は壊れたままの関係でも構わないと開き直り、単純に経済的な理由から離婚という決断を回避し続けていただけだった。一年後、改めて意思を確かめても、彼女の側に、私との幸福な関係を夢想する欲望が存在しないという悲惨な状況は、微塵も変化していなかった。私は遂に観念して、離婚を切り出し、哀しいことに快諾された。

 離婚という経験は、私の中では想定されてはならないものだった。二十歳の時に家族の猛烈な反対を振り切って、周囲の控えめな白眼視を意に介すこともなく(当時は余り感じなかったが、友人や知己は皆、呆れ返って困惑していたに違いない)、一世一代の果断に踏み切って結婚した私は、永遠の幸福を信じていた。それまで具体的な結婚願望など殆ど持ったことのなかった私が、何故遽しく結婚へ踏み切ったのか、その背景には恐らく、幸福な生活への憧憬が介在していたのだと思う。結婚と幸福を等号で結び付けられるほど、世の中の組成は単純ではないが、当時の私は頭に血が上っていて、激変する運命に若者らしく陶酔していたのだろう。

 昔から、私はどこか極端なところがあって、前妻にも「貴方はゼロか百か、どっちかしかない」と度々詰られた覚えがある。中途半端な状態が嫌いで、白黒はっきりつけたいという根本的な性質は、三十年生きる間に世間の荒波に揉まれて随分と稀釈されたと自負しているのだが、三つ子の魂百までという諺もある通り、人間の最も根源的な組成は、たかだか三十年では書き替えようもないに違いない。さっさと明確な結論を出したがる性格は、私の人生に幾度も荒々しい波風を立てた。大学を辞めたのも、授業に出ずにふらふら遊んでいたら、学科の事務室から親に連絡が行ってしまったことが契機であったが、友人と大学の近くの居酒屋でチゲ鍋を囲み、焼酎の水割りを呑んで千鳥足で家へ帰ったら、父親に険しい顔でそこへ座れと命じられ、どうする積りだと問われたのに対して、二つ返事で「退学する」と答えて、それで総て御破算になったという次第で、もう少し賢い学生なら、二年生から頑張って勉強して単位を取り返しますとでも言って、とりあえずは大学生の安穏な身分を保とうと試みるのではないだろうか。大体、その時点で私は自分の人生に関して具体的な見通しを有していなかった。漠然と小説家に憧れ、拙劣な習作を書いては投げ出し、退学の面接で初めて言葉を交わした担当教授に、小説家になりたいので大学は辞めますと告げて、勉強が嫌いな人間が小説家になれるのかねと、実に冷ややかな口調で吐き捨てられたほどで、本当に愚昧の極みであったと言う外ない。

 離婚にしても、世の中には冷え切った関係を維持したまま、子供の為、世間体の為、金銭の為、或いはもっと率直に「面倒臭いから」という理由で、何時までも夫婦という役柄を演じ続ける家庭も少なくないだろう。私の父はかつて、離婚へ踏み切ろうとする私に「家庭に問題を抱えていないサラリーマンなど存在しない」という超然たる訓示を垂れた。無論、そんな科白を吐いて澄ましていられるのも、彼が妻との間に、つまり私の母との間に一応は円満な関係を保っているからだ。「触らないで、鳥肌が立つ」と妻から罵られた私の凄愴な内面など、彼には縁遠い事柄なのだ。

 私はどうしても自分の本心を押し殺すことが苦手なのだろう。勤人として十年の月日を閲するうちに、その方面の俗っぽい技巧も随分と磨かれたのだが、それでも根本的な性向は変わらない。どこかで不意に、抑圧されていたものが噴き出すように、半ば衝動的に、現状を打開することへの欲望が燃え上がる。今も転職活動に励んでいるが、つい此間までは、仕事を変える、勤め先を変えるということなど、非現実的な夢想に過ぎないと決め付けていたのだ。それなのに、一旦方針が定まると、内定を取った訳でもないのに直属の上司へ退職の意思を告げてしまう。そういう極端な振幅の大きさが、私という人間の持ち味の一つである。

 最初の結婚のとき、私は離婚という選択など有り得ないと信じながら、日々の暮らしの端々に、このままずっと夫婦でいられるのだろうかという、漠然とした不安のようなものを感じていた。四六時中、口論は絶えなかったし、互いに全く正反対の価値観の持ち主であることが、時間の経過と共に浮き彫りになっていったからだ。眼を逸らしても、本音が息絶えることはない。私たちは徐々に疲弊していき、最後には完全に冷え切った他人同士のような会話しか交わせなくなっていた。不幸な話だが、それが現実だったのだ。

 愛しているからこそ、何でも思ったことは口に出して言えばいい、という乱暴な理念が、当時の私を重大な蹉跌へ導いた。今の妻にも、思ったことは伝えるようにしているが、それは何でも思ったことを口に出すという自堕落な流儀とは異質な心構えである。伝える為には、言葉を練り上げる必要がある。生煮えの感情を吐き出すのは、暴力的な振舞いだ。そんな単純な事実を学ぶことにさえ、離婚という深刻な経験を潜り抜けねばならないほど、私は愚昧な人間なのである。