サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

本当の言葉、転職の現実

 昨夜の記事に書いた通り、今日は面接を二社受けてきた。 

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 どちらも人材派遣、職業紹介などの事業を展開する会社で、私はキャリアコンサルタントという職種に応募した。名前は仰々しいが、要するに営業である。

 昨夜、仕事の帰り道、不慣れで気詰まりなオフィスワークを終えてすっかり草臥れた躰と朦朧たる頭を引き摺りながら、私は翌日の面接のことばかり思案していた。自分は結局、何故人材ビジネスの領域に足を踏み入れようと思い立ったのだろうか? それを他人にも通じる言葉に練り上げなければ、面接の突破は覚束ないだろう。

 結果的に私が捻り出したのは「働く歓びを感じてもらいたい」というフレーズだった。捻り出したという表現は聞こえが悪いかも知れないが、別に捏造した訳ではない。私は現職である小売業の店長として、共に働くスタッフが活き活きと働ける環境を作ることに、心を砕いてきた。そこに大きな充実感や歓びを見出してきたのは事実である。だから、それを軸にして、人により専門的に関わることの出来る業界を志望した訳だ。

 けれど、現実はそんなに甘くなかった。私の懐いていた見通しも、余りに無邪気であった。

 最初の会社は、有楽町に事務所を構えていた。総武線で東京駅まで行き、山手線に乗り換える。有楽町へ来るのは実に久方振りのことで、前回は確か、私の誕生日祝いの買い物で、妻と一緒に阪急のメンズ館を訪れたときではなかったか。ドイツの「ミューレ」というブランドが作っている両刃の剃刀を、私が妻に強請ったのである。しかし、私は体質的に肌が余り丈夫ではなく、残念ながら妻の贈ってくれた高価な剃刀の圧力には堪えられなかった。今はフィリップスの電動シェーバーを愛用している。我儘な夫で申し訳ない。

 早めに着いたので、駅前の三省堂書店山田ズーニーの新書を衝動買いし、近くの喫茶店で水出しのモカ珈琲を所望して、莨を吸いながら気持ちを鎮める時間を持った。私は面接が嫌いではないが、やはり見知らぬ人と重要な会話をするのは緊張する。互いに肚の探り合いという側面もあるから、油断し難い。

 時間になって、会社のオフィスを訪ねた。定型のエントリーシートに必要事項を細々と書き込み、簡単な適性テストを受けた。その後、人事部の主任である男性が入室してきて、面接が始まった。

 私は自分の想いを語った。現職で感じてきた充実感と限界、志望先の会社で実現したい働き方、何を重んじているか、そういった事柄を、言葉を選びながら話した。嘘は吐きたくないと思い、精確な言葉を選ぼうとするうちに、話柄は二転三転してしまった。未整理の説明になってしまったが、入社二年間で2500人の求職者を面談してきたと語るその男性は、鋭い目つきで真剣に傾聴してくれた。

 彼は正直な人物で、はっきりとした口調で、私の志望理由と、自社が用意出来る労務環境には「ズレ」があると言い切った。私は働く人たちが充実感を持てる環境を作りたいと言ったが、彼の考えでは、キャリアコンサルタントとは飽く迄も「営業」であって、売上を取ることが最大の使命なのだ。そこにズレがある、だから入社して二、三年の間は、貴方は頑張って働いてくれるかも知れない、会社に貢献してくれるかも知れない、けれどその後、貴方は自分の遣りたいことと遣らなければならないことの「ズレ」に辛抱し切れなくなって、辞めるだろうと、彼は明言した。勿論、飽く迄も私の仮説に過ぎないけれど、と附言してくれたが、私としても、彼の見立ては正鵠を射ているような気がした。

 貴方は人事や労務、或いは経営コンサルティング、そういった職業の方がいい、バリバリの営業を遣るには余り適性がないと思う。だから、申し訳ないけれど、私は貴方を不採用にする。彼の正直な言葉は、普通に考えれば失礼で、余りに直截な表現だったと思う。しかし、私は不満を覚えなかった。寧ろ清々しかった。

 彼は自身の経験を踏まえて、色々な忠告を授けてくれた。面接の場であるというのに、私は彼に、自分の適職は何だと思うかと逆に訊ねてみた。彼は他にも多くの仕事を抱えているだろうに、丁寧に自分の考えを語ってくれた。面接が終わり、再び有楽町の地上へ戻った後、私はすっかり気が抜けてしまった。自分の考えが、余りに皮相であったという想いが、私の気力を萎れさせていた。「私たちの会社が『赤』だとしたら、貴方は『オレンジ』だ。『赤』と『オレンジ』は似ているけれど、その微妙な違いは、時間の経過と共に広がっていく。だから私は『赤』の人材を採用したい」という人事部主任の言葉が、脳裡を去らなかった。私は間抜けな男だった。キャリアコンサルタントという言葉に、何か恩寵のような輝きを期待していたのだ。営業ならば、小売の世界とそんなに大きな違いはない。十年間の職歴を擲って移りたいと、本気で想える職種ではないと、私は静かに自覚した。

 次の面接会場は新宿だった。西新宿の高層ビル群へ向かう途中、偶々見つけた「但馬屋珈琲店」という小さな、しかし落ち着いた雰囲気のカフェで、簡単な昼食を取った。「人事」というキーワードで、転職情報サイトに検索を命じる。案外、色々な求人広告が画面に現れたが、どれも琴線に触れない。そもそも人事ならば、今の勤め先にも部署がある。十年間の現場経験に基づいて、人事部に移りたいと熱心に希望を出せば、道は開けるかも知れない。だとしたら、私が転職する意義は、何処にあるのだろう?

 そういう曖昧な気持ちで、新宿にある人材会社の面接を受け、通り一遍の遣り取りを交わし、やはり明確に「営業」の世界なのだということを思い知って、降り出した雨を避ける為に地下道を伝って駅へ戻った。方針が一挙に見えなくなったような気がして、苦しかった。家に帰り着いても、妻に今日の出来事をぺらぺらと話して分かち合う気分になれなかった。所謂「意気消沈」という奴だ。

 結局、私は自分の「本音」を掘り下げると言いながら、知らず知らず妥協して、本当の情熱を注げる訳でもない会社に、応募していたのだ。主観の上では、真剣な考究を重ねた積りでいても、現職への倦怠感に堪えかねて、早く逃げ出したくて、いい加減に妥協しようとしていたのではないか。それでは、転職する意味がない。この転職が、新たな運命を切り拓く一歩にはならない。そんな中途半端な覚悟で、有耶無耶の志で、俺は十年も世話になった会社を捨てるのか。俺は一体、何を下らないことを遣っているんだ。この期に及んで俺は未だ、自分の本音を裏切って、表層的な条件で「適職」を捕まえようとしているのか。

 だが、済崩しに転職を諦める気にもなれない。何処へ往っても同じだから、或いは人事を遣るなら今の会社の方が経験が活かせるから、そういった理由で何もかも茶番でしたと切り上げるのは、如何にも不本意な成り行きだ。今の仕事に情熱を燃やせないことは事実で、その事実から適当に眼を逸らして、給与だけ貰えればいいと嘯くのは嫌だった。だが、その息苦しさから逃げ出す為に手近な餌へ飛びつくのも嫌だった。理想が高過ぎるのかも知れない。けれど、理想を持たないのならば、そもそも会社が潰れた訳でもないのに仕事を探し始めるのがおかしいのだ。

 結局、私は書くことに最大の情熱を持っている。だが、書くことで飯を食えると思っていないので、今回の転職活動でも、ライターなどの職種に応募することは避けていた。未経験の三十歳がライターを志望したところで、明るい未来が拓けるとは思えない。それより、現職で培った経験を謳い文句に、現実的な勤め先を、少しでもマシな仕事を探した方が賢明だ。それが所帯持ちの責任ではないか。

 だが、そうやって最初から「無理だ」と決め付けることが、結局は自分の「本音」を押し殺すことでしかないと危惧していたのは、他ならぬ私自身であった筈だ。知らぬ間に、本音が逃げ出してしまったのだ。現実に妥協して、安易な選択に自分の魂を封じ込めようとしたのだ。しかし、それでは今回の転職の「本義」が消滅してしまう。私は観念して、幾つかライティングに関わる求人を探し、応募した。書類選考を通るかどうかも心許ないが、挑戦によって深刻な弊害が生じる訳ではない。交通費と珈琲代が嵩むだけの話だ。

 転職活動は疲弊する。結果が直ぐに出ればいいが、往々にして結果が直ぐに出ないのは、転職者自身の決意と方針が十全に固まっていないことが原因であると思う。結果が出ないと、早く終わらせたくて妥協が始まる。だが、そうやって妥協するなら、今の職場で妥協を貫けば済む話ではないか。わざわざ金と時間を投じて、別の環境に移り住んでまで、妥協を続けるのは滑稽だ。もっと自分に相応しい世界がある筈だと信じて、転職に踏み切るならば、何でもいいから仕事に就きたいなどと、無節操な妥協に逃げ込むべきではない。そのように自分自身に言い聞かせながら、私はパソコンの画面に表示された応募ボタンをクリックし、ゆっくりと運命の歯車が回る音に耳を澄ます。直ぐに結果が出なくとも、未来は必ず切り拓けると信じて、耳を欹てている。