サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

競馬と莨と、少年の夏

 仕事を終えて十時過ぎに家に帰り着き、偶々テレビのチャンネルを回したら(今どきダイヤル式のテレビなんて存在しないし、一定の年齢層から下の人々は、チャンネルを「回す」とは言わないのだろうか)、凱旋門賞の中継を流していた。今年の日本ダービーを勝ったマカヒキという馬が(聞くところによると、ディープインパクトの産駒らしい)出走し、オッズも高いということで、日本馬初の凱旋門賞制覇が期待されていたらしいが、十四着という惨敗に終わった。日本人の実況が余り名前を呼ばないくらいに後方へ沈んだまま決着したので、最初から最後まで、何処にマカヒキがいるのか見分けられなかった。

 凱旋門賞の感想を書こうと思っているのではない。私が最後に馬券を買ったのは高校三年生の冬で(確か、タップダンスシチーが驚異的な大逃げを炸裂させたジャパンカップだったと思う)、社会に出てからは仕事が忙しく、家族を養うのに精一杯で小遣いも乏しく、勝馬投票券に身銭を切るような余裕はなかった。そもそも高校生が馬券を買ってはいけないのは、世間の常識であるが、時効ということで大目に見てもらいたい。

 要するに、偶々チャンネルを捻ったら凱旋門賞の中継に出喰わして、何故か競馬に興味を持っていた十代の頃の風景が俄かに甦ったので書き留めておこうと思い立った、という次第である。私が子供の頃、スーファミやプレステで「ダービースタリオン」という競走馬の育成ゲームが流行っていて、周りにも熱心にサラブレッドの育成に取り組んでいる少年たちが大勢いた。その中には、現実の競馬にも強い関心を寄せている友人もいて、そうした土壌というか、風土に巻き込まれて私も知らず知らず競馬に興味を持つようになった。「みどりのマキバオー」とか「優駿の門」とか「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」といった、競馬を題材にしたマンガも少年たちの愛読書に選ばれていた。つまり、そういう時代だったのだ。

 私が中山競馬場へ通って馬券を購う習慣に手を染めたのは、高校三年生の頃である。ネオユニヴァースという牡馬と、スティルインラブという牝馬が、三冠馬の栄光を嘱望されて話題を攫った年であった。年末の大一番、有馬記念では、シンボリクリスエスが圧倒的な強さを見せつけて冬枯れの中山競馬場のターフを駆け抜け、威風堂々と引退した。

 莨を吸い始めたのも、高校三年生の夏であった。江戸川の土手にある公衆トイレの個室に隠れて、ドキドキしながらラークに火を点け、独特の風味を味わってクラクラしたことを今でも明瞭に覚えている。全く、堕落した高校生だった。表立って不良になるほどの勇気も根性もなく、社会から全面的に落伍したいと願うには、余りに恵まれ、甘やかされた環境に育ってきた私にとって、競馬や莨はささやかな非行であり、退屈なレールからの逸脱であった。酷い時には、朝の通学時に高校の最寄りの駅で、トイレの個室に隠れて莨を吸っていたこともある。臭いで勘付かれない筈もないのに、自分では平気な顔をしていたものだ。

 そうやって私は、自分が置かれている環境に、抵抗しようとしていたのだろうか。高校生という身分が、私には窮屈で仕方無かった。莨を吸ったり、馬券を買ったりしていたのは、それほど当時の私が目的を持たない虚しさの中に埋没していたからである。小さい頃から本を読んだり文章を書くことは好きだったが、はっきりとそういう職業を目指すには、私は余りにも怠惰な少年であった。高校の頃、思い立って一人称で小説っぽいものを書いたことがあった。そのときに熟と思い知ったのは、自分には何も書くことがないという至極明瞭な事実であった。文章を書いて何かを訴えようにも、何らかの物語を構築しようにも、私の内面は空疎で、知識も経験も圧倒的に不足していた。自分には、書くべきことが何もない。書くべきことが何もなければ、幾ら書いても単なる言葉の遊びに堕してしまう。

 だから、私は只管に退屈していた。書きたいと思っても、書きたいことが熟成しなければ、価値のある文章は生まれない。書くことは生きることの支えとは言い難かった。どちらかと言えば、当時の私は書くことそのものに燃え上がる情熱を注いでいた訳ではなかった。漠然と、小説家という人種に憧れ、古色蒼然たる文士の逸話を信じて、坂口安吾のように自由闊達に暮らしたいと希っていただけに過ぎない。つまり、自由でいられるならば、小説を書かなくとも良かったのである。

 書くことそのものに真剣に向き合わないまま、私は空虚な日々を紛らわす為に、長過ぎる夏休みの一日に江戸川の公衆便所でラークを燃やし、日曜日の午後に船橋法典駅で級友と待ち合わせて、駅前のコンビニで競馬新聞と紅いサインペンを買い求め、中山競馬場の正門を幾度も潜った。結局、私は競馬を愛した訳ではなかった。単なる退屈凌ぎに、手当たり次第に「大人びたもの」へ縋ろうとしていたのだ。

 それでも自分では一人前の小説家志望の積りでいた。大学では、近現代文学研究会という如何にも地味な零細サークルへ入って、僅かばかりの友人を作り、谷崎潤一郎の「刺青」に就いて、偉そうな評論紛いの文章を書き殴って悦に入っていた。だが、その程度のことで、内なる渇望が癒されることはなかった。結局、私は何時も何かを探し求めて、野良犬のように真昼の新宿を徘徊するばかりだった。私は孤独で、それは友人や家族が存在しないという意味ではなく、自分が何を望み、求めているのか分からないという「無明」の孤独であった。

 今でも、自分が何を探し求めているのか、確信を持って語ることは出来ない。こうやってブログに定期的に文章を認めているのだから、物を書くことは確かに好きなのだろう。けれど、無明の孤独を完全に乗り超えたとは思わない。三十歳にもなって、こんな青臭い科白を吐くのは惨めだが、私は未だに「何者でもない」のだ。或る会社に入って、余所で言えば主任クラスの職位である店長の仕事を八年もやって、それで何かを成し遂げた積りになるのは滑稽だ。井の中の蛙、大海を知らずという奴である。私は未だ、私自身に出逢えていない気がする。本当の自分などと、世迷言を口にするのは憚られる。けれど、私は敢えて言い切りたい。本当の自分に巡り逢わなければ、本当の人生は始まらない、と。ドラゴンクエストⅥで描かれた、上の世界と下の世界とに引き裂かれた主人公たちの苦悩を思い出す。夢と現実を重ね合わせる為には、どんな冒険にも臆さず挑みかかっていくしかないのだろう。