サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

選ぶこと、迷うこと、信じること

 連日、転職活動への決意を語り続けておきながら、この期に及んで、迷いが生じている。我ながら情けない限りだが、心が揺らいでいることは事実なので、恥を忍んでありのままに書こうと思う。

 今日は会議だった。退職の件に就いて、直属の上司が、更に自分の上長へ話を通している筈で、遅かれ早かれ呼び出されることは分かっていた。昼間の休憩を終え、新商品の試食会へ参加しているときに、後ろから肩へ腕を回された。振り返ると、上司の上司だった。具体的な肩書などは控えたいので、迂遠な表現になるが、とりあえず「上長」と呼ぶことにする。「後で時間くれるか」と上長は言い、私は頷いた。

 会議が終わり、地区単位に分かれてミーティングを始める頃合いを見計らって、上長に呼ばれた。人目を避けて、私たちは別フロアの小さな会議室へ移動した。突然、こんな話を持ち出して申し訳ありませんと謝ったら、上長は笑って、本当だ、俺はビックリしたぞ、何しろノーマークだったからなと言った。

 部屋の扉を閉めて着席しながら、上長は揶揄するように「何だっけ、土日休みの仕事へ行きたいんだっけ」と言い、私は「土日休みたいから辞めたい訳じゃないです」と返答した。一拍の間をおいて、上長は「将来が不安か」と訊ねた。

 このまま、二十年、三十年と今の働き方でいいのだろうか、この業界にいていいのだろうか、という不安を持っていることを、私は正直に上長へ伝えた。上長は一見、イタリアンマフィアを思わせる威圧感のある風貌の持ち主で、光沢のあるグレーの髪を丁寧に後ろへ流している。ショットガンとトレンチコートの似合う、厳つい男前である。

 具体的に転職活動してるらしいな、という質問に、私は包み隠さず応じた。学習塾の運営を一社、人材派遣の営業を二社、受けたこと、何れも巧くいかず、内定は取れていないこと、それらの説明を上長は静かに聞いていた。余所の業界の人たちは、うちの会社を知っているか、評判はどうだ、と訊ねられたので、やはり異業種の世界なので、全く認知されていませんでした、と私は答えた。

 上長は、俺も五年後、十年後の会社の将来を心配していない訳じゃない、だから、お前の不安を解消してやることは出来ない、と明言した。そもそも、その不安に答えはない、誰かが正解を持っている訳じゃない、俺がお前の人生の責任を取ってやれる訳じゃない、だから、腕尽くで慰留しようとは思わない。だが、俺はお前が辞めるのは惜しいと思ってる。俺はお前が、若いうちから妻子を養う為に、必死に働いて苦労してきたことを知っているし、新卒の肩書もなく、何のキャリアもない状態で入社して、そこからここまで努力して辿り着いたことも知っている、それは上辺だけの評価じゃないということだし、実際お前のキャリアは順調に来ている。辞めるのは勿体ないと思う。

 そこから、どういう流れでその話になったのか、明瞭に記憶していないが、既に感情が高ぶり始めていたのだろう。私は、内定が取れていないのに、会社に退職の意思を告げるのは、馬鹿みたいな行動だと思うのですが、と言ったところで、絶句した。三十にもなって青臭い限りだが、涙が濫れてきたのだ。

 上擦る声を振り絞って、私は懸命に想いを伝えようとした。自分の中で、このまま、この場所で働いていていいんだろうか、という迷いが生じて、爾来、仕事に一〇〇パーセントの気持で向き合えなくなった。中途半端な仕事をしている自分が許せなくて、堪えられなくなった。本来ならば転職活動は、会社に隠れて内定を得るまで粛々と進めるべきものなのに、それでも敢えて私が会社に伝えようと思ったのは、と言ったところで、再び言葉が途切れた。

「会社を裏切っているようで、嫌だったんです。裏切りたくなかったんです」

 涙で視界が曇って、上長の表情を見定めることも出来なかった。情けない、相手の貴重な時間を割いてもらって、子供みたいに泣きじゃくって、俺は一体何を遣ってるんだと思った。退職の決意を伝える筈だったんじゃないのか。それでも、涙と一緒に迫り上がってきた感情の形に、嘘はなかった。裏切りたくない。たかが転職で、何を大袈裟なことを言っているのかと、読者諸賢は嗤笑するかも知れない。雇用は契約であり、両者は対等なのだ、順序を踏んで退職するならば何も裏切りではない、内定が取れるまで転職の意思を上司に打ち明けないのは普通のことだと、転職エージェントなら諭してくれるかも知れない。

 だが、私はずっと罪悪感に堪えかねていた。若しも「単なる仕事」だと割り切っていられるなら、内定が取れるまで私は口を噤んでいただろう。或いは、給料さえ貰えればいいと開き直って、適当に手を抜きながら働く日々に満足していただろう。「食う為の仕事」だから、割り切ってやればいい。私も口先では人に向かって、そういう科白を吐いた経験が幾度もある。仕事は仕事、給料の為だ。適当に切り上げて、余暇を愉しめばいいじゃないか。

 けれど、我が身を振り返ったときに、私は「食う為の仕事なんだから、適当に遣ればいい」という考えで仕事に取り組んできたことは殆どない、という事実に直面した。無論、完璧な人間ではないから、手抜きの経験は幾度もあるけれど、結果なんかどうでもいいと開き直れるほど、厚かましい人間ではなかったことも事実だ。憧れて選んだ仕事ではない。二十歳で結婚し、遽しく二児の父親となって、一刻も早く、一円でも多く稼ぎを得なければならない立場に追い込まれて、この会社へ入ったことも事実で、そういう意味では「食う為の仕事」に他ならないのだが、実態がそうであっても、主観的には、そういうクールな割り切り方は維持出来た例がない。根っからの社畜、ということだろうか。或いはそうかも知れない。だが、そこに矜りと情熱を持たなかった訳ではない。

 一頻り泣いた後、私の顔色が落ち着いたところを見計らって、上長は再び切り出した。そうやって、自分のことだけじゃなく、周りのことに気を配れるのも、本当なら黙って転職活動を進めることも出来たのに、責任を感じて打ち明けようとするのも、俺はお前の良いところだと思う、だから、俺はお前を信用している、一緒に頑張ろうぜと言いたくなる。明るい未来を約束してやることは出来ないけれど、十年後、若しかしたら会社が良い方向へ進んで、俺たちの給料は倍になっているかも知れない。一〇〇〇万プレーヤーになっているかも知れない。或いは逆に、会社は丸ごと泥舟になって沈んでいるかも知れない。そのとき、俺はお前にごめんと言うだろう。だけど、お前一人が沈む訳じゃない。俺も一緒に沈むんだ。

 別に今、私の勤め先の業績が悪い訳ではない。昔ほどの急成長は望めないが、増収増益は維持している。借金もないし、内部留保のキャッシュもべらぼうにあるらしい。けれど、業界の行く末を不安視する私の心境に合わせて、上長はそういう表現を用いたのだろう。無理に引き留める積りはないが、俺は一緒に頑張ろうぜと言いたい。私は、もう一度、妻と話し合ってみますと答えた。

 家へ帰り、妻と改めて話し合った。一つ一つ慎重に、互いの想いや考えを伝え合い、分かち合う。転職に伴うリスク、或いは可能性。今の会社に対する感情。色々と突き詰めていった結果、妻は静かに言った。「そんなに会社のことが好きなのに、何故辞めようとするの?」。

 会社のことが好きだとか嫌いだとか、そういう問題を真剣に考究した経験は、これまで皆無だった。私はずっと物書きで生計を立てることに憧れ続けてきて、今の仕事は飽く迄も生活の糧を得る為の手段なのだと、己に言い聞かせて生きてきた。より良い生活を求めて、転職を試みるのは少しも罪深いことではない。にも拘らず、例えば「裏切り」という重苦しい単語が脳裡を掠めるのは何故だろう?

 十年前、学歴も技能も経験も何一つ持たず、唯一「若さ」だけが取り柄だった私を、今の会社は拾い上げてくれた。入社後、最初の上司と反りが合わなくて職場を逃げ出し、行方を晦ました私に、会社は「戻ってこい」と励ましの言葉をくれた。再出発の為の環境も整えてくれた。住宅ローンを安い金利で借りることが出来たのも、会社の信用があったからだ。今の妻に巡り逢えたのも、職場だった。言い換えれば、会社は私に「生きる力」と「生きる場所」を与えてくれた。生活の為だと嘯きながら、どうしても根本的な部分でビジネスライクに処決し難いものを感じてしまうのは、会社のことを単なる雇い主だと思えないからだ。

 この記事を読んだ人は、私の頭の固さを笑うだろう。大袈裟な感傷を笑うだろう。新天地へ踏み出す勇気の欠如を指弾するかも知れない。だが、どのような批判を浴びようとも、現在の心境を正直に書き留めておくことが自分にとって大切な行為なのだと考え、私はこの文章を草した。読者諸賢の御意見を、積極的に拝聴したいと思う。働くとは、どういうことなのか。生きることは、働くことと不可分なのか。迷いの種は、一向に尽きそうもない。