サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

誠実と勤勉 村上春樹「職業としての小説家」

 先日、村上春樹の「職業としての小説家」(新潮文庫)という自伝的なエッセイの本を読み終えた。近所の書店でも文庫の新刊コーナーに山積みになっているくらいだから、世間的にも話題になっているだろう(ノーベル文学賞の発表の季節でもあることだし。生憎、今回も村上春樹は落選で、アメリカの高名な歌手ボブ・ディランが受賞の栄誉に迎えられたが)。

 内容としては、過去のエッセイやインタビューなどで語られたことと重複している部分が多い。村上春樹の愛読者ならば聞き覚えのある挿話や価値観が目白押しである。だが、そうだとしても思わず惹き込まれてページを捲り続けてしまうのは、やはりこのような書物を綴れる日本語の作家が、村上春樹以外に想像出来ないからだろう。

 村上春樹は毀誉褒貶の振幅が大きい小説家である。熱心な愛読者を世界中に抱える一方で、国内の文壇や有力な批評家からは、殆ど罵倒に等しいような批判を浴びせられてきた。その精確な理由は、市井の読書家に過ぎない私には探りようのない問題だが、何れにせよ彼が国際的な影響力を有する作家であることは、最早動かし難い事実であると言って差し支えないだろう。

 どんな作家に関しても同じように指摘し得る部分もあるのだろうが、村上春樹という作家の自己形成の履歴は特異なものである。少なくとも、ジャズ喫茶のオーナーだった男が、神宮球場ヤクルトスワローズの試合を観戦中に天啓を受け、初めて書き上げた小説で群像の新人賞を勝ち取り、作家としての出発を果たしたなどという半ば「神話的なエピソード」は、誰にも真似し難い輝きに満ちている。そこから極めて孤独な仕方で、自分に与えられた宿命を活かして、比類ない地歩を築き上げ、国際的な名声も恣にするというのは、少なくとも現代の日本に生きる作家としては異例の境遇である。

 改めて村上春樹という作家の歩みを、本人の肉声に近い講演風の文体を通して確かめてみると、彼が極めて誠実で勤勉な人間であるということに否応なしに開眼させられる。尤も、彼を忌み嫌う人たちは、そうした文章さえも単なる商業的なプロモーションの一環であり、過剰に潤色された「広告」に過ぎないと、牙を剥き出して言い立てるかも知れない。その点に関して、真偽を判定する為に必要な材料を、私は生憎持ち合わせていない。だから、作家の言葉を丁寧に読み取って、自分の所感を書き留めることしか出来ない。

 私個人は、数十年間に亘って現役の作家としての地位を維持し続け、しかも国際的な名声を獲得するという次元にまで辿り着いたという事実そのものが、外野からの様々な批判にも関わりなく、村上春樹という才能の偉大さを証していると思う。読めば間違いなく面白いし、色々な題材に挑戦して、着実な成果を上げていることも無論、賞讃に値すると思う。肌が合わないと感じる人もいるだろう。そうした事実にも、全く共感を覚えない訳ではない。村上の書く「僕」の性的な御都合主義や、溜息交じりのナルシシズムに吐き気を催すのは、或る意味では自然な生理かも知れない。だが、村上春樹という稀有な作家が、自分の実力だけを信じて、非常に地道な努力を積み重ね、堅実な履歴を描いてきたことに、私は素朴な敬意を覚える。才能だけでは、彼のように生きることは出来ないだろうし、もっと俗っぽい迷妄に囚われても奇異ではないのに、彼は自分自身の価値観や信条に対して禁欲的なほどに忠実である。恐らく作家としての「文学的才能」などという曖昧な幽霊のような観念が重要なのではなく、多くの人々が魅せられるのは彼の生き方であり、世界観なのだと思う。村上春樹のような生き方が倫理的にも美学的にも正しいなどと、偏狭な強弁を試みたい訳ではない。作家の生き方と、文学作品の価値は全く別物であると、潔癖な読書家は誇らしげに、或いは苛立たしげに宣言するかも知れない。しかし、私は坂口安吾の「作家にとっては、作品は書くのみのものではなく、作品とは又、生きることだ」(「教祖の文学」)という言葉を思い出さずにいられない。書くことは良くも悪くも、つまり好むと好まざるとに関わらず、己を表現することであり、渾身の力で作り上げた文学的な虚構の時空に、作家自身の倫理的な信条が全く片鱗を示さない理由はない。

 村上春樹が日本国内の所謂「文壇」から孤立した作家であったこと、それは彼に孤独な営為を強いたが、その孤独が却って、読者との直接的な「信頼と紐帯」を生み出す土壌として作用したことも事実であり、あらゆる批判を斥けて作家としての堅実で主体的な「成熟」を遂げたという客観的な事実は、文学と無関係な世界で生きる私のような庶民にも、言い知れぬ「希望」を与えてくれる。私は村上春樹の熱烈な愛好家ではないが、にも拘らず彼の本を定期的に繙かずにいられないのは、そこに孤独で勤勉な人間だけが語り得る「誠実な希望」が染み通っているからだと思う。彼は自分の信念を安易に手放さないし、他人の信念にも横暴な干渉を加えようとしない。そうした個人主義的な生き方に苛立ちを覚える人々が実在することも充分に理解し得るが、私は村上春樹のそうした「誠実さ」を得難い美徳であると感じる側の人間である。

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)