サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

ジュール・ヴェルヌの想像力と、若き日々

 母方の祖父母の家は、山口県下関市にあった。子供の頃は夏と冬に、新下関の駅からタクシーに揺られ、坂道に面した古びた一軒家に運ばれるのが慣例であった。祖父は昔、捕鯨船の機関長を務めていて、時には南氷洋まで遠出して半年以上も家を空けることもあったという。祖母は華道の先生で、私が物心ついた頃にはもう現役を退いていたが、伯父の使っている部屋の入口には、その木製の看板が掲げられたままになっていた。

 その広い玄関の辺りに、硝子戸のついた大きな書棚があり、そこには谷崎潤一郎の現代語訳「源氏物語」が美しい装幀の函入りで鎮座していた。同じ棚に、子供向けのジュール・ヴェルヌ全集があり、私はそれを夢中になって読み耽った。「十五少年漂流記」や「地底旅行」や「月世界旅行」など、その当時の興奮の余韻は今でも躰の奥底に消え残っているような気がする。

 何故、ジュール・ヴェルヌの著作がそんなにも幼少期の私の心を捉えたのか、その原因は最早、明白ではない。とにかく心臓の高鳴りが止まらず、夜更けを迎えても客間の蒲団に寝そべって、眠い眼を擦りながら夢中でページを繰った。それは甘美で、幸福な体験であった。読書の習慣が身に着くかどうかは、人生の早い段階で概ねその度合いが定まってしまうように思うが、実際、少年期の柔軟な精神ほど、書物を通じた異世界の飛翔に相応しい資質は他に考えられない。貪るような読書という体験の愉楽を味わう機会は、大人になってからはめっきり乏しくなった。書物の側に、退屈を呼び覚ます欠陥が潜在しているとは限らない。原因の過半は恐らく、無闇に知識を増やして純粋な気持ちで物事と向き合えなくなった私の下らぬ俗塵によって占められている。大人になり、世知に長け、色々な出来事に不遜な既視感を覚えるようになると、物事を純粋な気持ちで眺めることが難しくなり、本を読んでいても、その世界に我を忘れて没頭するということが非常に困難になる。

 中でも「十五少年漂流記」は特に魅惑的な一冊で、無邪気な少年の高揚を誘発するには充分過ぎるほどの心憎い設定によって、その物語の全体を支え、見知らぬ世界の風景を立ち上げていた。同じく小学生の頃には、確か「講談社青い鳥文庫」に収録されていた「ロビンソン・クルーソー」にも夢中になった。祖父母の家へ帰省する行き帰りの新幹線の車中で、私は極めて熱心に、無人島へ漂着したイギリス人の境涯に想像力の翼を羽撃かせ、届かせようと努力した。大学生になってから、恐らくは新宿の紀伊国屋書店辺で買い求めたと思しき「蠅の王」を、退屈な講義の最中に読んでみたこともあるが、同じように「漂着した異界での自由と孤独」を描いていながら、私は一向に読み進めることが出来なかった。思えば当時は、私はピカピカの大学一年生でありながら早くも学校生活への堪え難い絶望を肥大させており、最初の履修登録さえ大雑把に済まして確認にも行かなかったほどの落伍者であったから、なかなか書物の世界に意識を集中させることが出来なかった。現実の世界で深刻な煩悶や懊悩を抱え込んで、地べたを這い回っているときには、優雅な読書など愉しめないものだ。孤独ゆえに、そして内なる青臭い虚無を紛らわす為に、その頃の私は講義を怠けて、新宿歌舞伎町の入口にあるドトールで色々な本を読み漁ったものだが、自分が正しい途から外れているという自覚の為に、字面へ没頭することは絶えず困難を伴っていた。単に世間の規矩から逸脱した日々を送っているという罪悪感に魂を責め立てられていたのではない。最も深刻であったのは、自分自身が、己の人生に明瞭な目標や方針を定められていないという厳然たる真実の苦しみであった。人間は生き甲斐を求める存在であり、意味によって充足する生物であるから、学校の規律に隷属しようとしまいと、自分なりの目標や野心さえ固まっていれば、それほど切実に思い悩んだり輾転反側したりすることはないものだ。

 今となっては、ジュール・ヴェルヌを読み耽った少年の日々も、怠惰で陰気で放縦な大学生であった頃の生活も、等しく懐かしく思い出される。その時代に帰りたいとは一度も思ったことがない。寺山修司は、その著作の中で屡々、室生犀星の詩句を引いて、ノスタルジーの誘惑に屈することを自戒していた。私も偉大なる先達に倣い、郷愁の甘美な味わいは、郷愁の否定と不可分であるという真理に忠実でありたいと思う。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても
帰るところにあるまじや

室生犀星「抒情小曲集」(註・青空文庫より転載)